RE!

RE!ワンライ

ワンドロ・ワンライ「#復活夢版深夜の真剣創作60分一本勝負」へ 投稿したものをまとめました。

雲雀

  • 唯一

    「お願いがあるんだけど……」 目の前で合わせられた両手を見て、学ランを脱いで彼女の頭にかぶせた。不格好な幽霊の仮装のようになった直後、目はしばし呆然と瞬いて。「なんでわかったの?」「寒そうに握ったり開いたりしてた」「ありがと。あったかーい」…

  • ハンカチ

      窓を閉め切ると、不快な羽音がぴたりと収まった。それに気づいているはずの彼女は、しかし部屋の真ん中で腰を抜かしたまま。「いい加減泣き止んだら」「う、うん……でも、でもびっくりして、あんなおっきいのに刺されちゃったらどうしようって…

  • 手作り

      天変地異が起きてもおかしくない。袖をまくる姿を見てはじめはそれくらい驚いた。 けれど今では、背伸びしてその肩から向こうを覗き込むのがとても楽しい時間になっている。「何」 わざとわたしにぶつかる方に振り返ろうとするキョーヤの頬と…

  • 期待

     八、九。あとひとつ。 その次は七、八。あとふたつ。 ――失敗したのはその焦りのせいではなかった。 キョーヤが指先をわたしの唇に押し当てたから。「あ」 思わずぱっと離れた拍子に、ソファーが軋む。喉の奥でされる、低い笑い声がちっともそう思って…

  • 絆される

      目を覚ましたはずの体が起き上がらない。寝起きの異常事態に急激に跳ねた心拍数は、タネを知ったとたんに別の意味を持った。 後ろからお腹に回される、ワイシャツのしっかりとした腕。 キョーヤがわたしを抱きしめたまま静かに寝息を立ててい…

  • いつもと違う

      棚へ向かう彼女の後ろ姿を振り返ったのはほとんど反射的だった。追ったのは軽い足取りでも機嫌のいい鼻歌でもなく、淡い香り。 いつも纏っている、爽やかなシャボンとは違うものが。「君、なんだか別のいい香りがする」「あ、お香かも。昨日部屋で試した…

  • 笑えない

    「落武者みたいなひとが追いかけてきて」「知ってる相手なの」「ううん、知らない」 幸いなのはそれが現実のできごとではないということだけだ。しかし眠たげな目が真昼にまで及ぶ影響は深刻で。 昼食を終えてもなお、彼女から離れないのは悪夢の気配。「眠…

  • 横顔

     フローリングを踏みしめるのはかちかちと小さく硬い音だった。毛むくじゃらの塊は彼女めがけて一直線に走っていく。その勢いをむしろ歓迎する両手は、子犬を捕まえて抱き上げた。「シャンプーしたんだねー、いい匂いー」 犬相手の猫なで声は、はしゃいで笑…

  • 隠せない

     彼女が笑うと、もともとその傾向がある頬がさらに柔らかな丸みを描く。それは食事の時も同じだと気づいた。いただきます、と弾む声の後に茶菓子を摘む指も。「おいしい! ほんとにこっちもいいの?」「どれも君のだよ。全部食べて」「ありがとう」 喜色満…

  • 卒業

     頬に触れて、離れていったのは温度。「もう終わりなの」「ううん。もう一回……」 腕の中でわずかに背伸びするようにして。支えを求める手を肩に導いて、再び柔らかなキスを待った。いつまでも、猫が鼻を擦りつけるのと何ら変わらないあどけないもの。 そ…

  • 守る

      また、ブラウスの袖口を濡らして。「今日ね、お父さんもお母さんも帰ってこられないんだって。仕事があんまり大変だから」 そう、とだけ返し、窓の向こうで未だ晴れない雨空を見上げた。薄暗い中、隣で俯く彼女の表情もあちらと同じ温度をして…

  • 惚れた弱み

     髪を撫でる小さな手。普段のそれに輪をかけて柔らかい――甘いと形容した方が近い、背後から降りる声。「お疲れさま、本当にがんばったね。えらい、えらい」 こうしてほしいとねだったのでもなければ、こうしろと強要した覚えもない。ただこの部屋に戻って…

  • メッセージ

     放課後までひとことも話さないと決めていた。それは誰に対しても変わりない。「わかった」 喉を指さした瞬間キョーヤは断言してくれた。席を立ちながらコートとマフラーを手に取り、積まれた段ボールに向かおうとしたわたしを止めて。「それはいいよ、明日…

  • おまじない

     絆創膏を構える手を避けることも跳ね除けることも、とうの昔に諦めた。こういうときの彼女はやけに頑なになる。「もう、また乱闘して」「僕は何ともない」「でもここ、切れちゃってるよ」 頬を指さされ、痛みのない負傷に気づかされる。もがく相手の爪でも…

  • 視線の先

     ジャージの袖がまくられると白い腕が筆先の黒によく映えた。半切に向かったまま、彼女は微動だにしない。「何て書くんだっけ」「部活動壮行会。気合い入れて書いて」「任せてよ。キョーヤは休んでてね」 微笑む横顔は、ある一点を境にふっと無表情に近くな…

  • 背中

     こちらが手を出す間もなく、窓辺に陣取っていた丸い鳩はどこかへ飛び立っていった。何とも頼りない声は羽ばたきの後、おずおずと。「行っちゃった?」「行った。だから言ったでしょ」「あんまりすごい勢いだったから」  開け放っていた窓めがけて突っ込ん…

  • こたつ

     アイスとみかんの二択。右手の方を取られる可能性など考えているのだろうか。左手から土産を受け取ると、彼女は「予想通り」と頷いて笑う。「わざわざ温まりながら体を冷やす意味はあるの」「あるの。温かいところで甘いものを食べると幸せになれるんだよ。…

  • 夢で逢う

     色のない景色だった。小さなプレートを戴くホールケーキと、皿からはみ出るほど大振りな葉を敷いたサラダ。テーブルに並ぶのは、自分だけならば絶対に用意しようとは思わない食事たちだった。まるで何かのパーティのようにささやかな、本来は色彩に満ちた光…

  • 駄目

     黒髪に隠れた額が滑らかなこと。これは手のひらで覚えた。 頬をくっつけると温かいこと。もちろん、これは頬で。 それなら、唇は?「だめだよ」 眠たげなのにきっぱりと断じて、首を横に振るのが答え。「唇も、指でもだめ。君にはさせてあげない」「どう…

  • 返事

    「何」 目の前のおまんじゅうが返事をした。  こんもりと大きな塊は白く、近づけば真新しい眩しさを纏う毛布だとわかる。ソファーの上でじっと動かない丸の端からは、靴下のつま先がほんの少しだけはみ出ていて――用もなくこの部屋に来たのは正解だったら…

  • 見せつける

     キョーヤが首を傾げる後ろ、窓の向こうからほとんど毎日のように女の子たちの見上げる視線があることはずっと前から知っている。こんなにかっこよくて優しいキョーヤのことだから、好きになるのはとてもよくわかる。わたしだってそう。けれど情けない焼きも…

  • 運命

     クマを抱えて扉の前に立ち尽くした彼女を部屋に入れてからというもの、数分。「びっくりした。キョーヤ、起きてたんだ」「何となく眠れなかったからね。ここに降りてきた」 やっと話し始めたかと思えばこれだけだった。聞きたかったのはその表情の理由で、…

  • 風邪

      ノイズが聞こえる。遠くでテレビでも見ているのだろうと考え、しかし本当にラジオが混信していることを認める。ここ何年も電源を入れた覚えがないのだから、そもそも中身がだめになっているのかもしれないが。 こんな状態では感覚なんてものは…

  • おしえて

     「前より星が少なくなった気がする」「また読書かい。そうやって夜中に酷使して目が疲れたんだ」  星は減ってない、そうつけ加えてキョーヤは大きな手のひらでわたしの視界を塞いでしまう。温かな暗闇は、届かなくなる光の代わりに音…

  • 揺らぐ

    携帯電話を片手に一旦部屋を出て行った背中を見送ってベッドに腰かけると、ふと棚の上のスタンドミラーが目に入った。後ろでまとめた髪が少しだけ緩んでいるような気がして整えていると、それを見つめる視線に気づいた。ベッドの隅っこで、じっとしている丸い…

  • そばにいて

     首の皮膚に爪を立てると鈍い痛みがある。自分のコントロールが効いてこの程度で済んでいるのなら、他人にされたらどうなるんだろう。こんなことを頼む相手もいないけれど。 今このときのように、きっと怪訝な顔をされてしまうから。「怪我したいの」「猫の…

  • 指輪

    青と白、たまに黄色。プラスチックの蓋に広げた透き通るビーズをテグスの先で掬い上げては通していく。一連の動きを追うのはゆっくり瞬く目。「何を作るんだい」「花の飾りの指輪だよ。さっき手芸部の子が余りを分けてくれたの」――そう答えた直後に差し出さ…

  • 震える

     日中は暑いだろうと半袖のシャツを選んだのが間違いだった。ほとんど雲に覆われた空の下では、そよ風とは呼べない強風が気まぐれに吹き初めて。「寒い。寒くない?」「寒くない」 カーテンを全開にしたのは、申し訳程度の日光を浴びるため。平然と返してみ…

  • お出かけ

    忘れたわけじゃないと言い張るその顔に差す影がある。まだ強い日差しを遮ろうとかざした手のひらは頼りなく、続く手首には血管が透けて見えそうなほど。「待ってるから、取りに戻りなよ」「いいのいいの。すっごく楽しみにしてたんだもん、早く行こうよ」駅を…

  • 花占い

    「君の願いは叶ったのかい」揶揄するでも急かすでもない、静かな視線。秋の気配を見せ始めた木々の下へ腰を落ち着かせて、突っ立ったままのわたしを見上げて。昨日、今日の話をされているわけではなかった。これは何ヶ月も前、ここへ散る桜の薄紅が舞い飛んで…

  • もう一度

     前回のお泊まりは真夏。そして今は秋の入口。というわけで、同じ装備では厳しいことはとてもよく理解している。ひらひらの半袖では、このごろの夜の気温に耐えられない。「似合ってたのに。リボンとか」 そう言いながらキョーヤが首を傾げるのは嬉しいけれ…

  • 手紙

     力を抜けば文字が掠れて、力を込めるとペン先がぱっくりと割れインクがあふれ出る。薄い紙の向こう側にまで滲むように思ったのか、彼女は慌てて便箋を持ち上げた。「難しいよ」「こればかりは慣れだからね。毎日使うといい」「そういえば、キョーヤはどうし…

  • まだ

    どこに行くの、その質問に答える必要はなかった。彼女は毎朝この建物の真横を通り過ぎて登校している。それくらいの情報は掴んでいた。わからないのはその声の理由だった。震えて、呼吸をするのが精いっぱいとわかる様子は無理をして話すことでなおさら酷くな…

  • 夏のせい

     オレンジジュースを注いだグラスから、かろん、と涼しい音がした。とはいえ氷の溶ける音で気温が下がるはずもなく、頭がのぼせるような熱気から逃れようと屋根の影に戻る。今まで直そうと粘っていた風鈴は、そもそも風がなければ鳴らないのだった。「よくそ…

  • 夏祭り

    わたしの両腕を広げてぎりぎり足りるほど、水槽代わりのプラ舟は大きかった。その中で泳いでいる金魚はなぜだか1匹だけ。箱の色を透かすほど薄い尾びれがひらひらと揺れるのが、うちわを仰ぐようで涼し気な気持ちよさ。「よほど腕のいい客がいたのか」キョー…

  • 薬指

    「この前従姉と歩いてたらね、商店街のおじさんたちがみんなして奥さん、奥さんって呼び込みしてきたの。何でかな」「指輪を目印にしたんじゃないの」「あ、そっかぁ」立ち並ぶお店の通りがかりにまたしてもお嬢ちゃん、と呼ばれたのは夕暮れの帰り道も中盤に…

  • 花火

    隣町の花火大会が広報に載ったのはひと月前。今夜の雨天をラジオが告げたのは今朝。彼女の浮かれぶりが地に落ちたのは誰の目にも明らかだった。こうして聞くのみの声にも重みを感じる。「再来週に並盛の花火大会があるでしょ」「それはそれとして……」まとも…

  • ミモザ

      蒲公英色をした花束が机の上に広がる。ミモザって呼ぶんだよ、と言って聞かせる彼女の声と同じ柔らかさがその黄色にはあった。目にも鮮やかというよりは、画用紙に散らした水彩の穏やかさを纏って咲く花。大気にかざせばほどけて溶けていきそうに。「キョ…

  • 好きの裏返し

     今年初の真夏日。新聞の一面に仰々しく躍る文字の上に置いていた指には軽くインクがついてしまった。ウェットティッシュで拭おうと顔を上げた先の机には、彼女が昨日忘れていったハンカチが目に飛び込んでくる。 ここ最近彼女の様子がおかしかった。うつむ…

  • 壁ドン

     不満かどうか。二択で言うなら不満だった。「わたしだけどきどきしてる気がする」 返事は「ふぅん。で?」それだけ。真昼のまぶしい光を避けてカーテンを閉める間も、追加のことばはない。「そういう素振り見たことないんだもん。楽しいときは割と笑ってる…

  • ずっと

      コンビニで買ったのだという三個一パックのパッケージの中にはドーナツが収まっていた。先ほどまでお行儀だのひとの目だのを気にしていた彼女は結局空腹に負けて慎重に開封を始める。 たった今離れた駅は僕たちが本来降りるべきだったところだ。意気揚々…

  • わすれないで

     「長い間並盛を空ける」 旅行とでも勘違いしたのか、帰る準備を終えたばかりの彼女は興味ありげに表情を輝かせると再び椅子に腰を下ろした。タイミングを測る必要などないはずなのにそれを目の当たりにするとことばを呑み込まざるを得ない。一ヶ月帰らない…

  • ぬくもり

      ほのかな熱気は甘みを纏わせている。鼻先を掠めて天井へ上っていくのを追う隙もなく、ミトンでフライパンから下ろしたココットのひとつに視線が注がれるのに気づいた。まだカラメルをかけていないプリンの卵色が眩しいのは、それがおいしいとすでに知って…

  • 気になる

      暇だよ遊んでとわがままを言った次の瞬間に放られたのは、キョーヤがいつも使っている携帯電話だった。ひと月先の案件を今片づけてしまいたいと机についたままの本人は、わたしがちゃんとキャッチしたのを見届けて視線を帳簿に戻してしまう。「それで遊ん…

  • 目を瞑る

     嘘だと見抜くのに数秒とかからなかった。それは多少の場数を踏んできたからで、もし初めてこの光景を見たなら引っかかっていたに違いない。閉じた瞼、投げ出した手脚、寝返りをうったと見せかけたのか少し乱れた上掛け。 保健室に入ろうとした先輩たちが慌…

  • いちばん

      好きなものがたくさんあるという。香ばしいクッキー、甘酸っぱいオレンジジュース、校庭の桜、少し古い映画。彼女が楽しみにしていた漫画の発売日は今日だ。「僕がついていく必要はないはずだけど」「キョーヤだって探したい本あるって言ってたでしょ」 …

  • ずるい

     わたしの部屋にはひとつもなくて、彼の部屋にはひとつだけあるもの。簡単なクイズだった。答えは相手の持ちもの。「キョーヤばっかり、ずるい」 続けようとすることばは、顔面にクマのぬいぐるみをぺたりと押し当てられて封じられてしまった。身に覚えのな…

  • 君に染まる

     髪が柔らかい。肩の線が柔らかい。そうしてわたしのあちこちに触れた結論は「頬がいちばん柔らかい」。いっそ恭しささえ感じる指先に輪郭をたどられるのがくすぐったくて恥ずかしい。 それ以上に胸の内側をかりかりと引っかくもどかしさは降りてくる視線の…

  • 普通

      うさぎの形の林檎を皿に整列させる指がふと止まる。見上げる視線は慣れているのでとくに返すこともせず残りの数頁を読んでしまおうと文字を追った。微かに色あせた紙面からは、これもまた微かに古い日焼けの香りがする。 しゃく、と瑞々しい音は舌の上に…

  • おかえり

     眠気に負けて机に突っ伏してからしばらく、意識が途切れていたのに気づいたのは窓の外が暗くなってからだった。カーテンが必要不可欠だった眩しい放課後は遠く、丸一日を待たないと見られない。 そちらへ顔を傾けると、窓に映る教室の中はクラスメイトが残…

  • やきもち

     家を出てから学校に着くまでの間ぴったりとつけ狙ってくる気配があった。足音のない、走って撒こうとしても離れない根性の持ち主。校門の手前で思い切って振り向いたわたしの目の前で彼は、または彼女は聞くものすべてを震え上がらせる可愛らしさでにゃあ、…

  • 君だけ

     一度目の覚醒は十数分前だった。 瞼を開けるよりも先に意識が浮上する。閉じた視界、その中でもわかる色などないはずの気配はソファーの前で立ち止まってこちらをまじまじと覗き込んだ。 いちばん高いところから落ち始めた日が遮られるちょうどいいポジシ…

  • 帽子

     押さえる手が間に合わず、麦わらの帽子はあっという間に風にさらわれていった。紺のリボンがひらと揺れるのを目で追う動線に飛び込んできたのは空の青、その色を白へ消し飛ばす勢いで猛威を振るう太陽の光。 暴力的な輝きを見たくないがためにサイズの合わ…

  • 本音

      ここに忍び込んでキョーヤが最初にしたのは窓全てを開け放つことだった。淀んだ空気が透明に近づいていくのを感じてようやく息をつくと、まだ足りないとばかりにぱたぱたカーテンをはたく音が二階から落ちてくる。ここで褒められたものではないのはわたし…

  • 構って

      リビング。 玄関。ベランダ。 窓辺。その向こう、屋根の上。 最後に彼女の自室を探してもその持ち主は見つからず。壁かけ時計やカーテン、その他ほとんどがふわりとしたパステルカラーをしているここはまるで夢でも見ているかのように現実感がなかった…

  • 嘘つき

     一冊分。 ぽかりと空いた本棚の隙間が妙にもどかしかった。わたしのものだからここにあるのが当然なのに、こうして突然なくなってしまうとどうしても題名が思い出せない。通学路にできた解体現場に元々どんな建物があったか言えないのと似てる、と場違いに…

  • きらきら

     目を閉じていると、光は瞼の向こうから注ぐ。空に薄い雲がかかっているこの時刻なら暑くも眩しくもなく眠気を妨げることもなかった。葉擦れの音が運んでくる睡魔を心地よく受け入れるその横で、屋上へ道連れにしてきた彼女は起き上がってじっと空を見上げて…

  • ほっとけない

     絆創膏、消毒液、ガーゼ、テープ。彼女が机に並べたそれら全て不要なものだった。きょとんと目を丸くするのは三つ積み上げられた脱脂綿の空箱の傍ら。「怪我なんてしないよ」「わかってる」 応接室に近寄ることも叶わなかった生徒数人が風紀委員に運ばれて…

  • 馬鹿

     狭い部屋ひとつ、真ん中には彼女のための椅子が一脚。小さくなってぽつねんと座り込むその周りは鉢植えと花瓶が何十も取り囲んでいた。曇り空はその影を淡く落として。 空き教室のアイボリーをした壁に這う蔦はまばらで、辛うじてここが廃墟ではないことを…

  • 別れ

    「……は旅立ちの季節であり、同時に新たな出会いが訪れる季節であります。卒業生諸君、私はこ」 断続的で耳障りな金属音が長引くことはなかった。困惑の声を上げて立ち上がった彼女はビデオデッキの前で膝をつきやがて肩を落とす。こちらとしてはわざとらし…

  •  ラジオみたい、と、怪訝そうなことばはいつもと変わらない透明な響き。「僕は携帯だよ。電波が悪いのかもね」「あ、そっか。いいなぁ、わたしも早く携帯欲しい」 その後にカメラつき、パステルカラー、ストレート型と注文がつくのは耳にたこができるほど聞…

  • 心臓の音

     時計の針と同じに思えたリズムが実はほんの少し急ぎ足だったことに気づいたときから、鼓動と秒針はだんだんと大きくかけ離れていく。疲れて眠り込んだ彼女の体温は既に戻りつつあり、反比例して元々目が焼けるようだった窓の外は眩しさを増した。あの中を走…

  • 名前

     音に色はあるか。その答えは否だとばかり考えていたら彼女はそうではないと言う。そう感じる者は少なからずいるとも。「たまに、ドレミに色がついてるときがあるよ。ドは赤で、後は順番に虹の色」 そうして教室の窓から身を乗り出した彼女の視線の先には音…

  • 言わせて

     その目がわたしの前で微かにでも不快感をあらわにするのを初めて見たかもしれない。やや性急にテーブルに戻されたマグカップが大きな音を立てて中身を波打たせた。白い雫がひとつ跳ねては落ち、その水面は奇妙な形の波紋がぶつかり合って打ち消されているは…

  • 君なんて

     あんなに腹が立ったのもあんな暴言を吐いたのも久しぶりだった。頭に血が上るのは一瞬で、そしてじわじわと冷えていく。お互い短気なわたしたち、けれどその気持ちが相手に向くのは本当に珍しい。だからこそ衝突から数分後のこの寒気と胃痛に慣れる日はきっ…

  • 失恋

     「振られた」 そう告げた瞬間にアスファルトへ倒れ込みそうになるほど驚いていた彼女は、今は落ち着いて花壇を囲うレンガへ座り込んでいる。真後ろに咲いたアネモネは赤い頭を垂れていかにも生気を失い。「告白したの?」「したよ、今朝。軽く受け流された…

  •  朝早くここから出かけていった住人を待っている間に、窓を叩く雨音はどんどん激しさを増していった。そういえば傘を持っていなかった気がする。持っているのも想像できないけど――そんなことを思いながらやっとのことで探し当てたバスタオルを広げた。 ち…

  • 不意をつく

      こう静かだと本をめくることすら慎重になってしまう。英和辞典の一頁はとても薄く漫画とはわけが違った。ぱりぱりと側面を爪弾くようになるわたしへ、向かいから怪訝そうに投げかけるのはたったひとりだった。ここにはもうほかの生徒はいない。「爪研ぎは…

  •  小さな手で前髪をかき上げられた次の瞬間に目元に押し当てられたのは布の肌触り。彼女にしては容赦のない勢いに驚きよりも好奇心が勝り、ミント色をしたハンカチを剥がしてその目を覗き込んだ。微かに強張った視線はたしかにこちらに向けられ、水面に揺れる…

  •  彼女が下校中に足を止めたのは橋の上で、川を緩やかに流れていく花びらの塊を楽しげに見下ろしている。すぐ背後の公園には桜の木があるというのに――ほとんど花を散らした惨状を頭上に抱えてはいるが。「これ、何て言うんだっけ」「花筏」「あ、それそれ。…

  • 囚われる

      最後の一輪が円を閉じ、掲げられたのはお世辞にも美しいとは言えない花冠だった。摘み取ったシロツメクサの鮮やかさも大きさも不揃い、だが互いの結びつきだけは強固な歪を彼女は誇らしげに空の青へかざす。「ずいぶん上達したね」「キョーヤが教えてくれ…

  • 手料理

      ほろりとした甘みが舌先に柔らかく広がるのが心地よくて、いつもよりゆっくりと味わった。机の向かいでは同じ光景が展開していて、けれどお互いの前に置かれた弁当箱には真逆の食事が詰まっている。「キョーヤのおうちの卵焼きは甘いんだね」「君のところ…

  • 愛の言葉

      棒状をしたレモン色のアイスが中央で折り取られ、片方を差し出される。 愛とは何だ? その問いに対する答えだとわかったのは、ずいぶんと誇らしげな顔を浮かべて撤回しようとしないから。「これのどこが」「お徳用の飴と比べてみて。二分の一だよ? こ…

  • かわいい

     ドライヤーを止めて、そうっと指を髪に差し入れて。何度か繰り返すのに飽きる素振りも見せない彼女からは「おしまい」のひとことがそろそろ訪れるはずだった。そういう当人の髪はすでに手入れが終わっている。数分前にドライヤーを当てて梳かしたのは僕だ。…

  • 祭り

     どんなに憧れても、インフィオラータをこの目にすることはできない。暇に任せて読んでいたガイドブックに何ページも展開していた花祭りは、遥か遠くイタリアのものだ。「だからって僕を連れ出す理由がわからないな」「来年のことはわからないんだもん、いつ…

  • 手の大きさ比べ

     帰ろう、そんなことばとともに差し出される手をすんなり握り返すのはまだ慣れない。思わず返事に詰まったところをキョーヤは聞き逃さなかった。「何」「何でもない」「嘘をつくときの目だね」「見抜かないでよ」「やっぱり嘘か」「鎌かけた……?」 通りす…

  • 恋バナ

     浅い眠りから覚めたのは、彼女の名前をさえずりながら飛び回る小鳥の仕業だった。長くはないつき合いだが、何を言われているのかはこの状況も相まって大体把握できる。「そうだね、いい子だよ。真面目に学校生活を送ってる」 座り込んだ膝に降りてくる黄色…

  • 写真

     その手にあるのは、いかにも使いかけとわかる古いインスタントカメラ。この部屋に残った、風紀委員の備品らしいが――覚えはない。 試し撮りにヒバードを二枚、残りのフィルムは三枚。そう言って、彼を頭に載せて得意げに振り返る彼女の次のことばは予想が…

  • いたずら

     机に引っかけておいた鞄がない。困って、教室の外で待っていたキョーヤを振り返る。その手には見間違いようのない、わたしの鞄が掴まれて揺れていた。いつの間に。「もらった」「もらわないで……」「どうしようか。これはもう僕のものだけど、何が入ってた…

  • 恋の自覚

    「邪魔したらただじゃ済まない」 脅し文句といえど、何度も繰り返したならその効力は擦り切れていく。ましてやこの場合、こちらにそれほど報復の意思もないからなおさらだ。「わかってるよ」 いつものように屋上で昼寝をする隣で、彼女はいつものように好き…

  • 「今。今完全に起きたら何かいいことあるの」「えーっと、たくさん楽しい」「ふぅん」 キョーヤは二度寝から起きようとしない。こうして家に上げてくれた時点で、今回の企画を飲んでくれたも同然なのに。「天の川! 流れ星! 最悪何か星を見ようって」「焦…

  • 触れる

     昨日彼女に下した命令は「これから一週間、僕相手にごまかすな」。それだけだった。 ***「やった、わたしの勝ちだね!」「百十何戦のうちの今日だけだよ」「勝ちは勝ち! 勝者の権利、覚えてる?」 手札を机に広げながら得意げにするのを目の前に、仕…

  • こっち向いて

     並盛どころか日本中、世界中の誰もが浮足立っているようだった。教室の真ん中でぼんやりとラジオに耳を傾けている彼女も例外ではなく、窓からいくつでも数えられる色彩の賑やかなアドバルーンを横目にしている。「もうすぐミレニアムなんだね」「そうだった…

  • 綺麗

     ぽとりと、頭上に降ってきたのは朝顔だった。続いて、窓から身を乗り出す彼女の焦った声。「ごめんねー、それわたしのー」 拾い上げたそれは、まあまあよくできた造花だ。そろそろ街の七夕祭りの時間だと思い出す。急いで降りてきた彼女のクラスでは、あり…

  • おねだり

     ビニール袋ひとつに、カステラ、アーモンドプードル、生クリーム、そしてたくさんの板チョコが詰め込まれた。普段の自分なら罪悪感で腹痛を起こしそうなほど多い。カロリー的な意味で。 袋を持ってくれたキョーヤは、大して苦でもなさそうに手からぶら下げ…

  • きみのせい

     同じこたつに入った彼女は軽く伸びをした。この家に持ち込んだまま置きっぱなしのぬいぐるみはどこかで見たことのある丸い鳥。それを抱きしめてくつろぐ姿はもう慣れたものだ。「おかえり」「ただいま。これだよ、朝に言ってたやつ」「ありがとう。いい香り…

  • マニキュア

     彼女の爪は丸くて小さい。ブラシがはみ出ないようにするのに神経を使うとは思いもしなかった。こんなことを休日になる度に丁寧に繰り返す彼女は相当気が長いらしい。 手のひらに乗せた白い指は、大人しく僕にされるがまま。「キョーヤが塗ってくれるなんて…

  • 体温

    「香りに温度はあると思うかい」 おやすみを言おうとしたその唇は、ふとこぼした問いへの答えを持っていない。ゆったりとした瞬きをひとつ、それだけで彼女がよく温まってきたのがわかっただけ。「君から温かい香りがする。柚子だね」「持ってきた分ぜんぶお…

  •  一年いい子にしているとプレゼントがもらえる日。そう聞いていたのにサンタは予定より少し遅れるらしい。「キョーヤは今年もいい子だったからきっと大丈夫」 そう言って笑ったサンタは今ごろ走ってこちらに向かっている。いつもの道を使っているだろうと当…

  • 間接キス

    「リップバームだよ。こうやって薬指で塗るの」 よりによってデンプンのりと間違われた不憫なアイテムを実演つきで説明する。はちみつ成分配合、なんて宣伝はその通りでひと塗りするだけでいい香りが鼻先をくすぐった。 わたしの指をじっと眺めていたキョー…

  • 近付きたい

     鞄から取り出される厚い本は僕が頼んだものだった。彼女が好きだと言って聞かせてくれる遠い昔の童話を自分でも追ってみたくなったと伝えたときの喜びようは記憶に新しい。「これ一冊だけで有名どころはほとんど読めるよ。なでしことか、いばら姫」「ありが…

  • 手袋

     止めろというのに試した彼女は声を上げて手を引っ込めた。曇り空の下を歩く憂鬱を吹き飛ばすような明るいそれは驚きながらころりと転がる。「氷みたい、雪みたい」「痛いくらいだ」「だからポケットに手、入れてたんだ」 キョーヤにしてはお行儀が……とひ…

  • 自撮り

     隅に彫られた猫の肉球ふたつがアクセント、そんな縦置き用の写真立てを用意したのは正解だったらしい。観念して畳に座り込む彼女の後ろ姿を間近で眺めるのが爽快なのは想定外の幸運が降って湧いたせいだ。デジタルカメラの設定を確認する間もシャッターを押…

  • 甘える

     二度見したのはわたしだけではないはず。隙なんて滅多に見せない風紀委員長、その頭にひょこりと跳ねるのは明らかに寝癖だった。「今日はお寝坊さんだったの?」「君と同じにしないでくれる」「んまぁひと聞きの悪い」 お願い通りに屈んでくれたキョーヤの…

  • またね

     肩で息をする彼女は風紀委員にセーフをもらってほっと笑みを見せていた。遅刻未遂の自覚はあるようで、乱れた襟を整えながら急ぎ足で校舎を目指す。 彼からは死角で気づかれなかったらしいがこちらからは遠目にもわかった。大振りの花飾りがこの季節にふさ…

  • 生意気

     可愛い、可愛いと、いい加減聞き飽きた。「まさか、まさかキョーヤが、まさか……」「うるさいよ」 額を弾いてやろうかと伸ばした指があっさり避けられるのは想定内。彼女は両腕に抱いた――というより抱きすくめたクマのぬいぐるみを離さない。 ほんの気…

  • 雨宿り

     雨音にかき消されかけた微かな声に気づき小走りにたどる。公園のベンチを覆う申し訳程度の屋根の下に体をねじ込んだ途端さらに激しく降り始めたのを彼女は気にもとめずに足元に放った学生鞄の持ち手をたぐった。「わぁ、キョーヤ濡れたねー」「君は平気そう…

  • 嫉妬

     縫い目、綿の詰め具合、やっと納得のいく出来になった。「ぬいぐるみが綻んだ」 それだけのこと、とキョーヤは呆れたりしない。小さな頃からわたしとずっといっしょにいる友だちだと知っているからだ。「涙目で玄関に出てくるから何かと思ったよ。その子か…

  • あーん

     その指に摘まれるのは兎のりんご。結構な自信作なのにこんな指摘が飛んできた。「どれも左耳だけ大きいね」「……畑で西日に当たりすぎたんだよ」「そう」 深く突っ込まれないのは情けをかけられているのかもしれない。それにしても応接机を挟んでふたりで…

  • 特別

    「まだあんまりお腹空いてないから、スープにする」 返事はしても、視線はショーウィンドウの向こうに引き寄せられる。キラキラしたハイヒール、ひらひらしたスカート、それを完璧に着こなすのはすらりと背の高いマネキンだった。多少の段差はあれど、多分わ…

  • らしくない

     ソファーに横になったまま動けなくなっているのを初めて見た。眠たいのでも暇なのでもなく、発熱で。「保健室行こうよ」「ここでいい」「わかるけど……」 座面からはみ出たつま先は微動だにしない。脱いだ学ランを上掛けがわりに両手をお腹の上で組んで、…

  • おうちデート

     夕焼け空が少しずつ陰るころ、通りには子どものさわめく声が遠ざかっていった。ベッドから起き上がって窓を開けると、魔女や狼男……のころころと小さいのが列になって商店街へ歩いていく。少し後ろを、懐中電灯を持った大人が三人。 毎年恒例、町内会のハ…

  • 赤い糸

    「運命の相手とは、赤い糸で手の小指どうしが結ばれてるんだって」「知ってるよ。こっちの方が確実なのにね」「物騒すぎる、しまってしまって」 どこから出したのか、というか何で持っているのかやたら棘のある手錠をキョーヤが渋々片づける。確かに、糸は確…

  • お揃い

     お湯で取れるマニキュアがあると教えたときから、キョーヤは興味津々にわたしの指先を眺めることが増えた。「これも胡粉ネイルなの」「うん。風紀委員長的にはどうかな」「休日なら何も問題ない。だから僕にも」 そうやって差し出された両手、その指先を彩…

  • 約束

     壁のカレンダーに丸をつけるのを、隣からの視線が追う。「嘘つきは針千本飲むんだってね」「そこでロールちゃんを見ないで……」 ぷるぷる震えるハリネズミをその手から引き取ると不満げな視線が返ってきた。「君が何考えてるかわかるよ」「状況が状況だか…

  • 夕焼け

     帰って来るひと、逆に帰って行くひと、夕方の駅は帰宅ラッシュでそこそこ雑踏している。そんな中でも、横合いからわたしを呼ぶ声だけははっきりとわかった。 「カクテルパーティー効果だね。騒がしい場所でも自分に関わる内容だけは聞き分けられる」「へー…

  •  刺すような冷気が錯覚とわかっていても一瞬気を取られる。頁の端が指の腹を深く裂いたのを彼女は目の当たりにしていた。大慌てで鞄を探り始めるのが他人事のように映る。「待ってて、絆創膏……」「怪我したのは君じゃないでしょ」「痛いってわかるもん」 …

  • いっしょに帰ろう

     通学路の途中に建てられた掲示板は所々が錆び、赤い下地が覗いている。そんな有様の中、新しく貼られた広報は白く浮いたように目立った。日の落ちた下校時間というのもあるかもしれないけれど。「お祭り? こんな時期にあったっけ」 並盛神社に何とかとい…

  • 彼シャツ

    「とても寒くなった、ので何か着るもの貸してくださいな」 満面の笑みに向かって手元にあったワイシャツを投げた。「強肩だ」「そんな薄着で出かけてくるから悪い」「悪いのは突風だもん」 むくれる彼女はまたくしゃみをする。ただでさえ季節の変わり目で気…

  • 譲れない

     彼女は普通に「可愛い」と口にする。それは野良猫を見たとき、町で子どもとすれ違ったときと枚挙にいとまがなかった。奇妙なことにその並びには僕も加わるらしい。「初めてキョーヤに言ったときヘッドロックされたっけ」「君のそれが褒めことばだって知らな…

  • 意地悪

    「名作だって雑誌に書いてあったから」 そんな理由で彼女が借りてきたDVDをこの家に持ち込む理由はひとつしかなかった。オープニングから数え始めて十度目の悲鳴が喉の奥で震えるのを隣で聞く。強張った表情でそれでも目をそらさないのは使命感からだろう…

  • ねえ

     呼びかけに応えて彼女が振り向くときはいつも嬉しそうに唇が笑んでいる。その理由を問われたときの反応すら。「キョーヤが呼んでくれるの好きだもん」「君のことは毎日呼んでるのに」「毎日嬉しい瞬間があるってことだよ」 小走りに数歩先へ行く足音は軽く…

  • 糸電話

     苛立ちでもなく困惑でもないこの何とも言い難い感情にいちばん近いのは呆れだろうか。施錠までして閉め切られた応接室、そのドアから伸びるのは凧糸がつけられた紙コップ。窓の桟に辛うじて引っかかるそれを手に取ったタイミングを見計らったのだろう、これ…

  • やさしい嘘

     おつかいと称した厄介払いに気づくことなく、彼女は出かけていった。 ***「キョーヤのおうちの場所わからないよ」「ついていけばいいよ」 指さした先、胸を張るようにひとつ鳴く小鳥が応接室の窓から飛び立っていくのを慌てて追いかけていく足音は軽い…

  • わがまま

      草壁先輩が声を張り上げるのが後ろに遠ざかっていく。あれは明らかに救いの手だったというのにわたしは振り払った。こうして走れば確実に感づかれ、歩いていては意味がない。どう転んでも悪いことにしかならない状況が焦りを加速させた。階段を踏み外しそ…

  • 僕を見て

     応接室が静寂を保つのは二時間が限度だった。「先生のお手伝いをしたの。ノートをたくさん運んだよ」「へぇ」「窓拭きって大変なんだねぇ。腕が疲れちゃった」「そう」「部活の見学に行ってきたよ。何かね、すごかった」「ふぅん」 頼んでもいない話題を毎…

  • 相合傘

     歩きにくい、狭い、はみ出る、肩が濡れる。おまけに背の低い君が傘をさしたら天井も低くなる。メリットの何倍もあるデメリットを説いたところで豆腐にかすがい、糠に釘。「傘持ってくるの忘れる方が悪いんだよ」 もっともらしいことをのたまったのは、頬を…

  • 告白

     嘘、と、小さくひとりごとがこぼれるのを止められない。思わず座り込むと、記憶の中より随分背の高いキョーヤくんも隣で三角座りになった。「夢だと思うのかい」「夢だと思いたいよ」「そこまで嫌いだったかな」「嫌いだし、苦手。こんなにいきなりなんだも…

  • 君じゃないと

     どこを探しても見つからない、と生徒たちの困惑の声が遠く聞こえる。もうすぐ委員会が始まる時間だった。今、風紀委員ひとり欠けたところであの場には草壁が向かっているはずだ。ボイコットするつもりはないのだからわざわざ捜索隊を組まなくてもいいものを…

  • 危機感持って

     真っ青な視界に、尾びれが揺れる影がちらつく。ガラスに隔たれた向こう側ではたくさんの魚が悠々と泳いでいた。控えめな照明がそれを際立たせる。「綺麗だね」「そうだね」 抑えた声、お互いにほとんど上の空、繋いでいる手はそのまま。何の不幸かあまりに…

  • 口紅

     どっちも必要ない。キョーヤの感想はそのひとことだった。「それだけ?」「それだけ」 さっさと手元の書類に視線を戻してしまうのがさらに「話はおしまい」感を醸し出す。少しだけがっかりして、手のひらに収まるサイズの小さな口紅ふたつを見下ろした。淡…

  • 未来

     軽やかな足音に顔を上げると、何やら企んだ顔がにこにことしながらこちらを見下ろしていた。やや身を乗り出しているのが、いかにもという感を抑えきれていない。「見て見て、これは好きの気持ちが三百倍になる魔法のステッキです」 暇を持て余した暇人の暇…

  • お昼寝

    「あと少しで終わるから待ってなよ」 ペン先で示され大人しくソファーに収まって数分。カーテン越しに和やかな昼下がりの光は眠気を誘って止まない。上靴を脱いでくつろいでいたところからほんの少し、ちょっと目を閉じるだけとだんだん誘惑に負け。背もたれ…

  • こたつ

     冷たい部屋の中でおかえり、と振り返る彼女は制服のまま両手を擦り合わせている。こたつに入っているのに寒そうな様子は彼女も帰ってきたばかりだとうかがわせた。 あと数時間で訪れる新年を祝う番組が、テレビの中で控えめな音量のまま続く。庭に面した障…

  • 手紙

     随分と情けない文面を用意できたものだと自嘲するには遅く、預けた封筒は昨晩投函された。 長い期間の入院になること、面会謝絶となること、電子機器は持ち込めないこと。手術については――一切を省いた。彼女が知るべきことではない。 真っ白なベッドに…

  • 指先

     あった、とひとこと落ちてくる。見上げると棚に向かってキョーヤの指が伸べられていた。図書室の隅をくまなく探していた足がようやく止まり。「少し前から探してたんだ」「どんなお話なの?」「猫が主人のために頑張るらしい」「へぇ、可愛い」 覗き込んだ…

  • 素直じゃない

     可愛いね、と撫でていたヒバードを横からかっ攫われた。「時間切れだよ」 かっこいいよね、と拝借していた学ランを剥がれた。「僕の方が似合う」 おいしそう、と食べようとしたおにぎりを先にかじられた。「悪くないね」 ひと口がでかい。 これら全て三…

ディーノ

  • バレンタイン

      日本では、女性が男性にチョコレートを渡して愛情を伝える日だという。当初チョコレートをプレゼントする予定だったのを急きょ変更したのはそういうことだ。今日いちばん、誰のものよりも心に刻まれるものを贈りたかったから。「きれい」 目を…

  • おめかし

      お母さんの紺のハイヒールは少しだけ大きくて、靴下を履いてもかかとが余る。それを承知でいざ歩き出そうとすると右がすっぽ抜けてしまった。こんな無謀なことができるのは、支えてくれると言ってくれたディーノが正面にいるから。「おっと。ち…

  • メール

      ディーノがホテルに持ち込むパソコンは、小さいけれど少しだけ重くて、ときどき彼の膝に収まっている。一度仕事中の部屋にいたことがあるけれど、偶然サウンドをオンにしていたらしいその日はすごかった。 着信音らしきものが数分おきに鳴り、…

  •   自信ありげにヘアピンを構えていた手が降ろされる。困って首を傾げ、彼女は体を離すと元の椅子に収まった。それまで眠気を誘うように穏やかな手つきで髪をすいてくれていた指も、そちらへ。 ことの発端はその背にあるテーブルの、そのまた上に…

  • ホワイトデー

      ラスクマカロンマドレーヌバームクーヘンキャラメル。ここからうかがえるだけでもたくさんの種類があった。個包装越しの小粒のきらきらがまぶしくて、嬉しくて、テーブルの向こうの笑顔を見上げると細められた目が溶けそうになる。「宝石箱みた…

  • 誤魔化す

    「先生、脱いで」 校舎の中で聞いてはいけないことばだった。それも彼女の声では。「待て、落ち着け、考え直してくれ」 思わず後ずさると、ぞんざいに放ってあったパイプ椅子にぶつかってけたたましい音を立てた。勢いあまって眼鏡がずれる。 マーカー片手…

  • 眩しい

    並んで歩く足が止まり、彼女の視線は信号から足元へと落とされた。白い肌に靴のストラップがよく映える。「ディーノの靴ってすごく大きいね。なんで?」「よく食べてよく遊んでよく寝たからだ」「ほんと?」右足のかかとを寄せて見比べやすくしてみると、もと…

  • うたた寝

     干したてのタオルケットをすぐそこに広げておいたのは、畳んでベッドに持っていくのが面倒だったから。あと、寝転がるとふわふわの感覚が触れて気持ちいいから……タイルカーペットがすぐ下にあるから少し硬いけど。 その硬さをものともしない先客は気持ち…

  • 風邪

    「オレだってナイフのひとつやふたつ握ったことくらいあるんだ」 そう言っていたのは過去の話。今のディーノは鬼気迫る緊張感を背負って両手を構えていた。 片手に果物ナイフ。 片手にりんご。「お前の言ってた……えーっと」「うさぎさん……」「そうそう…

  •  ベッドから見上げる、大きな手。 開かれたふたつの手のひらは迷うことなくわたしの頬を同時に包んだ。 そうして聞こえる、深い深いため息。「……生き返る……」「そんな大げさなー」「ほんとだぞ。お前のここには世界中の幸せの三割が詰まってるんだ」 …

  • 結ぶ

     右手、左手。ディーノの視線が忙しく行き来するのが楽しい、と思える段階はとうに過ぎてしまった。いっそ申し訳ない。「あれ? ぐるっとするのってどっちだっけ?」「右だな……ああいや、右手だけどその回し方じゃなくて」 わたしの胸元でネクタイが歪な…

  • 抱きしめる

     「狭い」 自分の寝床ではないから当たり前なのだが。ちなみにつま先は余裕を持ってはみ出している。「具体的には寝返りが打てない」 再三の救助要請は黙殺され。「はい、この子も」 腹の上に体長十五センチほどのシャチが追加された。控えめな…

  • にやりと笑う

     赤、黒、赤赤赤。ばらばらの色のとおりに並ぶのは一二三四六の数字。「また負けちゃった。これ何ていう役なの?」「ハイカードだ」「ハイカードって……えー? じゃあわたしのワンペアの方が強かったんだ!」「勝負を降りたお前の読み間違いってことだな」…

  • 勇気

    「昨日は本当に悪かった。オレにもう一回チャンスをくれ」 膝をついて、それでもディーノはまっすぐこちらを見つめた。コートを羽織って柔らかそうな両腕が大きく開かれる。「またお前に触れたい。怖いかもしれないけど、来てくれないか……?」 切実と、誠…

  • あたたかい

     明るい窓辺に何十分もいると、真冬とはいえ暑くなってくる。こうしてベストポジションを占領できるのはディーノがデスクから離れられないからだった。 振り返るとちょうど悲痛な声が転がってくる。それでもペンが走る音は止まらない。「微妙に寒い……書類…

  • 格好悪い

    「スイートルームは何がスイートなの?」「甘いんじゃなくて、部屋がひと続きになってるってことだ。ここもそうだろ? そっちの意味のスイート」 数時間前に楽しい英語教室が始まり終わった方を振り返れば、まず視線を吸い寄せるのはジャケットのジッパー。…

  • 憧れ

     グリム童話、日本昔話、イソップ童話も。全部、小さいころに贈られた大切なプレゼントだという。いつか彼女が誰かの膝の上で聞いた不思議な物語を、こうして彼女自身の声で聞くことこそ不思議なのかもしれない。頁を繰る音すら、耳に心地よく触れては消え。…

  • 待ち合わせ

     ちょっと心配になっても絶対動かないこと。ディーノとの約束はそのひとつだった。こういうとき、携帯電話を持っていると本当に便利だと思う。入れ違いになってもすぐ連絡できるから。 腕時計は、ちょうど待ち合わせの時間を差したところ。それなのに、もう…

  • 甘い

     こんなことしたくないんだオレだって。けど仕方ない、ファミリーが天秤にかかってるんだからな。ここの店長は頼めば監視カメラの映像くらいすぐ出してくれる。あ、逃げるなよまだ尋問は始まったばかりだぞ? などなど並べ立てられることばは、傍から聞いた…

  • 振り向く

     簡単な打ち合わせの補足は電話口で済ませてしまおうと、携帯電話片手にスイートルームの端まで歩いていって早十数分。ソファーで、ベッドでごろごろするのもだんだん限界が来て。 そうっとそちらを伺うと、窓辺に立つすらりとした長身が逆光ぎみになってい…

  • 出会った日

     携帯電話のカレンダーを何頁も巻き戻した。 かろうじて残されていた昔の手帳を何頁もめくった。 答えはどこにもない。「オレたちが初めて会ったのはいつだった?」 その問いに明確な答えを持つ者も、ここには。 それでも、目まぐるしい毎日を送る彼女が…

  • マフラー

     淡い色をした空の下で、こうして大きな手が擦り合わされるのをずっと待っていた。最近寒いよね、と話を切り出すちょうどいいタイミング。「ね、ディーノ! これ、わたしから……」 後ろ手にそれとなく隠し持っていた包みを取り出して――衝撃のあまりその…

  • アクセサリー

     座布団の上でバイク誌を開くディーノの隣に降りて、頁の真ん中を指差した。ネックレスとブレスレットの間、聞いたことのない名前の華奢な金色の輪。「アンクレットか。足首につけるアクセサリーだよ」「そうなんだ! 綺麗だねー」「つけてみたいか? プレ…

  • 目を逸らす

      綺麗、きらきら、宝石みたい。  全部ディーノに向けられるべきことばだったはずなのに、本人が至って真面目に口にする。わたしを前にして。 「そんなことないよ、普通だよ」「自分のものだからそう思うだけだろ。本当に…

  • 見つめ合う

     「トリックオアトリートお菓子ちょうだいディーノ!」「んーどんな行事なのかどうでもよくなるくらい可愛い」 とんがり帽子の小さな魔女が張り切って差し出す手は、胸のあたりまでしか届かない。こんな、ふとしたことで互いの何もかも…

  • 安心

     顔がいかつい。図体がでかい。とにかく全部だめ。 諸々の理由でファミリーの面々が子どもに泣かれるのを何度も見てきた。その度に仕方ないと笑う側だった立場は、今日をもって終わりを告げた。 他ならぬ彼女の手で。「どうしたんだ……?」 玄関のドアを…

  • 香水

     その返答を飲み込むことは容易ではなかった。ブレて明後日の方向を狙うアトマイザーを後ろから支えて直してやりながら、今しがた示された部位に視線を落としてしまう。 白い肌に、ふわふわとしたシュシュで丁寧にまとめた髪の束がゆったりと下りる綺麗な項…

  • コーヒー

    八時間。それはたった今空になったボトルに、再びコーヒーができるまでの時間だという。「だからあんなに美味いのか。いつも長い時間をかけてたんだな」「でも、道具を揃えなくていい分楽だよ。フィルターとか、あのハンドルをがりがり回すやつ……」「多分、…

  • 檸檬

    ミルクだシロップだ、究極的にはオプションなしだという論争が鎮まったのは、にこやかなウェイトレスがこのテーブルを去ってからだった。残される、注文通りのアイスティーふたつ。そして唯一ついてきたのは、グラスに挟まる輪切りのレモン。「どうして……」…

  • リップクリーム

    薬局の棚にぶら下がっていないし、三つセットで売られたりしない。そんなものを初めて見たし、触った。「大人っぽい!」力の抜けた感想しか出ないわたしとは反対に、ディーノはにこにこと笑って頷いている。従姉たちが使うような、きらきらとした金属みたいな…

  • 嫌い

     綺麗な爪の先が示すのが、雑然とした棚の中というのが酷いミスマッチ。そんな感想とは対照的に、ディーノの問う声は楽しげに弾んだ。なじみのないものに心を躍らせて、わたしとガラス戸の先を交互に振り返りながら。「これは?」「シミュレーション。ロボッ…

  • 電話

     客室電話が立て続けに二度鳴らされた。ということはかけ間違いではないようで。わたししかいない時間に急ぎの用事だなんて運が悪い――と見知らぬ誰かの不幸を思う前に受話器を取った。当事者ではないけれど伝言くらいできるだろう、そんな心持ちで耳に寄せ…

  • 添い寝

    正確に測ったことはなくても、とんでもない身長差だというのははっきりと理解させられている。だから目の前で苦しげに唸るうつ伏せ、そのつま先が堂々とベッドからはみ出るのは想定内だった。わたしは毎晩快適に眠っているのに。「何でだ……? どうしてここ…

  • ひとくち

     たこ焼き器を見るやいなやソースを持ってきた期待は外れ、それでもディーノの目がきらきらとするのは変わらなかった。温かい鉄板の上で丸い塊がころりと転がるのを見る目も可愛らしく丸くなる。そうっとお箸で摘んで皿に並べる間に香るのは、海産物ではなく…

  • 第一印象

      何十も署名をし続けていた、そのうちの一枚が窓からの風に攫われて部屋中を舞った。降りてきたところを摘むと、青インクの濃く苦い芳香が後からついてくる。 香り。連想するのはさっき家へ送っていったばかりの彼女のことだった。最後に目に留めたのはま…

  • プレゼント

     きらびやかなシャンデリアの下のフルコース。ケチャップで可愛い絵を描いたこんもりオムライス。どちらを前にしても、ディーノはあのきらきらした笑顔で喜んでくれる気がする。とはいえ、渡したいのはどちらかと聞かれたら当然前者で。 結論として、無理な…

  • ゆるさないで

     暗い舞台の上でスーツのおじいさんが倒れるのと、袖から現れたこちらもスーツの男のひとたちが彼をやや雑に運んでいくのはそこまで間を空けなかった。たったひとりだけでここに座っていたわたしは、これが演出なのかハプニングなのかわからないまま開かれた…

  • 守りたい

     窓の向こうで響くサイレンを溶かすように、大気の透き通るさまそのものの音が手のひらに落ちてきた。編んだ紐が括られた鈴はそれを追いかけ、彼女がひっくり返した和紙の袋から丸い体をころりと一回転させながら滑り降り軽く跳ねる。「この前行った神社で見…

  • 手の甲へのキス

     王子様みたい、そんな比喩を向けられたことは初めてではない。けれど彼女からそう告げられるのはどこか腹をくすぐられるように落ち着かなくなる。決してからかいではない正直な視線も合わさればなおのこと。「オレのどの辺でそう思ってくれたんだ?」「乗馬…

  • 爪先へのキス

     メトロノームのような等間隔。何分もシンクを叩くのが蛇口から垂れる滴だと気づいてからここまで来るのに四十二秒を要した。とにかく体が重い。数歩進めばこの部屋に相応しい簡素なベッドが待っていたというのに昨日はそんなことすらできずにソファーへ沈み…

  • お揃い

    「あんまり外が眩しいから、最近いろんなものがよく見えなくなるの」 窓の外を見下ろすと、午後の強い日差しを鋭く跳ね返すものはいくつもあった。綺麗に磨かれた車体、朝から残る水たまり、極めつけはとなりの棟の白い壁。今からあの中を歩くのだと考えるだ…

  • 寂しい

     周りからのお祝いの品に囲まれた彼女は通話のはじめこそ笑顔だったが次第に沈みがちになっていく。その後ろに陣取る、きらびやかな衣装の人形たちも十年来の友人の憂鬱を感じ取ったのか顔色が悪く映った。ちらし寿司も甘酒も雛あられも彼女を元気づけるには…

  • おやすみ

     ふわふわのタオルケットともこもこのぬいぐるみが次々に詰め込まれていく。当然テレビのリモコンは没収され。「あ、今日はまだゲームしてない」「だめだだめだ、子どもはすぐ横になる!」 ベッドに放り込まれたところで眠くないものは眠くない。ディーノが…

  • 指切り

     絶対にここに戻ってくる。そのことばを信じることに何のためらいもないとはいえ、それはいつごろ? とまでは聞けないのがもどかしい。この綺麗な金髪を指で撫でられるのは、あの大きな手が髪を撫でてくれるのは何日後になるのだろう。 あんなに楽しかった…

  • 情けない

     重みのあるものが倒れる結構な物音で自室に駆けつけてみれば、ディーノが勉強机のすぐ前で尻餅をついていた。その足元には、落ちて散らばってしまったらしいチラシが何枚か皺になって重なっていて。「ごめんね、片づけてなかった」「いや、オレの不注意だよ…

  • そばにいて

      彼女は小さい。そうからかうと「ディーノが育ちすぎなの」といった反論が飛んでくるのはお決まりのやりとりだった。「わたし、これからどんどん大きくなるよ。ディーノ腰抜かしちゃうかも」「期待せずに待ってるよ」 こうして真正面から抱き締めると彼女…

  • だいすき

    「ディーノ、だいすき」 そう言ってくれる笑顔が好きだ。「キスして」 だから、時折彼女にそう言わせてしまうのが悲しい。横になっていたところに控えめに覆いかぶさってくる全身は、どうひいき目に見ても緊張していた。「ごめんな、背伸びさせて。辛いだろ…

  • デート

     部下のひとたち、ツナたちからのお菓子がテーブルへ丁寧にまとめてある。その向こうからきらきらとした視線を向けるディーノはしばし黙って――そして早足で迫ってきた。その勢いのまま両腕で抱き上げられて、まるで小さな子扱い。「うわ、うわー、どうした…

  • 化粧

     そのままで何がだめなのかと正直にもの申したところ、かえって燃えてきたとの返事だけが背中越しに飛んでくる。文字通り火に油を注いだことをそこで自覚するが止められなかった。断末魔かと勘繰りそうな彼女の呻き声を聞かされたら誰だってそうするだろうが…

  • 聞いて

     口に含んだそれは甘くて苦くて少しだけとろりとしている。不味いからではなく祈るような視線が気になってまごついたけど、意を決して飲み下すとディーノはやっと肩の力を抜いた。「偉いぞ、ちゃんと全部飲めたな」「もう子どもじゃないんだからってあんなに…

  • 強引

     これにしようか、とディーノが写真を見せてくれたピアスは綺麗なピンクゴールド。お揃いをつけようと誘ってくれのは彼の方だった。「お前は簡単に穴開けられそうだなー」「どうやって開けるの」 耳たぶを摘まれてぞわぞわする。大きな手から逃げながら聞く…

  • 手を繋ぐ

     大きすぎるモッズコートを着せられて、元々暗い室内はさらに把握できなくなる。「いいか、フードは絶対外すなよ。目も閉じて、何も見ないように」「あと、なるべく息を止めてること」「そうだ。いい子だな」 フード越しに頭を撫でてくれるのも、笑みの混じ…

  • 花束

     合格おめでとう、と三人の従姉たちはピンクの可愛いソープフラワーをくれた。三人の従兄たちはオレンジの元気なブリザーブドフラワーを。大きな柱時計の秒針が聞こえないほどの笑い声が食堂を包む。 たくさんのバラに囲まれたわたしをみんなが祝ってくれた…

アラウディ

  •  波の音や楽隊の演奏に混じって、そう遠くない港から水夫の大声が微かに飛んでくる。招待客はそれを気にも留めず、グラスを片手に社交パーティーの側面を存分に満喫していた。この席のそばを行き交う婦人たちのドレスを楽しそうに眺める彼女はワインをひと口…

  • 「君は僕に嘘も隠しごともしない」 そのことばが信頼のみで構成されているかと問えば、答えは是だとわかる。日の光の下では綺麗に透き通る目が夜の密室では氷のように冴えて涼しげな色を帯びた。心を洗う冬の朝そのものの瞳が、それなのに確かな熱をもってわ…

  • きみだけ

    「確実に組織の情報を守る方法を知っているかい」 机を指先でひとつ叩いてやると、向かいの椅子に拘束された男はますます顔を青くした。「文書は論外。信号や暗号は規則性を見破られたら終わり」 こつ、こつ、と、硬い音が部屋に響く。それらひとつひとつが…

  • ひそひそ話

     某地域での偵察、作戦行動、何もかもが読まれている。その事実は内通者の存在を明らかにしていた。けれど機関が動じることはない。淡々とその人物を拘束することを各員に命じた。まずは相手方の連絡員との密会現場を押さえること。 それなのに。「何であな…

  • 「僕のもの」

     二つ隣の席で、身なりの整った男性が静かに葉巻を取り出す。目が合った僕たちへ微笑み、軽く手を上げて挨拶する様は紳士と形容すべきだろう。残り少ない客たちも一様に話し声を抑え、店内は落ち着いた空気に満ちている。「まずは目をつけた令嬢へ穏やかに語…

  • はんぶんこ

     心のどこかで、何があっても彼女は味方だと確信していたのかもしれない。それが間違いだと思い知らされたのは、彼女に手渡されたカップの中身を半分飲んだ数分後だった。 青ざめた彼女が慌てて駆け寄ってくる。メモ書きと格闘して作られたホットレモネード…

  • おはよう

     消灯時間を過ぎた今、基本的に廊下を歩くのは巡回の兵士のみに許されている。もちろん相応の地位も権限も持たない彼女がその例外に当てはまるはずもなく、こうして部屋の前に立ち尽くしているのは単なる規律違反に過ぎなかった。 そして何より、完全な命令…

  • 一目惚れ

    「見慣れない色だ」 声に出したのが間違いだった。部屋の姿見から振り返った彼女の表情が立ちどころに華やぐ。「よくぞ聞いてくれました」「聞いてない」「これは試着です、久しぶりの休暇の装いですよ」「聞いてない」 切り捨てつつも視線は追った。軍靴は…

  •  ポーチから口紅を取り出した手を捕まえたことがある。簡単にねじ伏せられる華奢なそれは、しかし危惧した動きをなぞることはなかった。呆気にとられた彼女は、すぐに意味を察すると頷いて笑うのみで。「キスオブデス?」「少しだけ疑ったよ」 解放されると…

  • 誓い

     その日のブリーフィングも滞りなく終わるはずだった。わたしの時計をアラウディのものに照らす恒例行事がなければ。「少し遅れてるようだ。合わせたのはいつ」「ついさっきです。天文台の報時球を見たんですけど……」 手袋に包まれた指が伸べられ、わたし…

  • もっと

    要求は止まらなかった。そんなものもうない、といくら否定しても頑なに認めようとしない。「もっと言ってください」「もう諦めたら」「無欲な人間なんてこの世にいないんですよ」「その意見には賛成するけれど、それはそれ」めちゃくちゃを言い始める始末だ。…

other

  •  「この花」 指されたのは校庭でうっすらと雪をかぶった椿だった。真っ赤な花びらが白と対極で。 目に焼きつくようなコントラスト。それはベルの服装といっしょだった。いつものラフなファッションとは少し違って、まるでこれから訪れる夜に溶け…

  • 戸惑う

     たった数行の文章を、彼女は導入から読めずにいたのだろう。難しく寄せられる眉が愉快だ。「どこのことば?」「あー、アトランティス」「ベルー……」「あるかもしんねーじゃん。夢持てよ」 一応、これからの任務で滞在する予定の国の言語で書いた。つまり…

  • 頭ぽんぽん

     暗い部屋の中、ただ瞬く目がある。「君は神に祈らないのですか、こんなことをされて」「近所の神社だと拍手を二回」 彼女が再現してみせる「かしわで」というのは神社参りの作法だろうか。ぱちぱちと合わされた手のひらから手首に続く曲線をぼんやりと眺め…

  • 背中合わせ

    「傷心中」 そんな貼り紙ひとつ分の結界に骸は引っかかってくれた。軽いノックの後、扉の向こう側で座り込む気配がする。「今度は何です」「顔も見せたくないくらい落ち込んでる」「そんなに酷い泣き顔とは思いませんがね」「客観じゃなくて主観の問題なの。…

  • 君だから

     珍しくポニーテールにしてきたと思えばこれだ。教室に来るまで誰にも指摘されなかったのなら大した幸運だと思う。「後ろ向け」「何で?」「髪。まとめ方がなってねぇ。跳ねてんぞ」「えぇ? ちゃんとできてたはずなのに」 驚きながらも素直に従う背中に回…

  • ひみつ

    「お、赤ずきん。可愛いな」 大切な仕事に出かけるわたしに対して開口一番これなのはどんな偶然だろう。緊張のあまり眠れなくて夜通し絵本を読み耽っていたのがバレたのかとヒヤヒヤした。知られたら絶対いい笑顔でからかわれる。嫌じゃない。悔しいだけ。「…

  • 赤面

    「やっぱりツナくんのママのおやつはおいしいねー」 甘いホットケーキにバターがよく合う。ほとんど夢心地で頬張るのを、さっきからツナはじっと眺めている。まるでおいしいものを食べたような幸せそうな笑顔で。「あんまり見ないでよー、何かついてる?」「…

  • お花見

     花が降っていた。 目を覚ました瞬間、飛び込んできたのは見慣れた部屋の天井ではなく淡いピンクの胡蝶蘭。横になっているのはベッドではなくぶ厚い硝子ケースの中で、花が続々と積もっていく。「どうしてこんなことするの」「君が泣き疲れていたからですよ…