普通

 
 うさぎの形の林檎を皿に整列させる指がふと止まる。見上げる視線は慣れているのでとくに返すこともせず残りの数頁を読んでしまおうと文字を追った。微かに色あせた紙面からは、これもまた微かに古い日焼けの香りがする。

 しゃく、と瑞々しい音は舌の上に甘みを連れてきた。不意に口を開いた彼女の声も、飲み下すまではそんな味をしている。

「キョーヤは林檎を握り潰せたりする?」
「試したこともない」

 そっか、と、それきり続けることもなくことばは途切れた。質問の意味も意図もわからないが故に聞かれたこちらの方が妙に気にする事態に、いつの間にか読書どころではなくなり。

「何だったの」
「林檎のこと? ごめん、もう食べ始めちゃった」
「それは構わないよ。僕も今からもらう」

 文庫本をテーブルの端に避け、彼女が用意してくれた間食をひと口かじった。一連の行動をどこか嬉しそうに眺めるのには一見何の変わりもない。

 違うのは沈黙だった。普段ならむしろ隣り合う静寂が心地いいとさえ感じるというのに、ここにあるのは砂でもぶちまけたかのようにざらついた空気。それもこれも、らしくなく黙っていようと努めてそうしている人間のせいで。

「わたし、林檎を潰したいわけじゃないんだけどね」

 無言で促せばまた物騒なことを言い始める。その小さな手がおもむろに結んで開いてを繰り返す仕草は、その通り力強さよりも手遊びの戯れに似た柔らかさを纏った。

 握られる感覚も体温も、よく知っている。

「キョーヤみたいに強い子になりたいなって」
「必要ない」
「そんなぁ」
「ことばを変えるよ。君が変わる必要はないと言ったんだ」

 穏やかな線の目立つ握り拳を片手で掴み、手首へ、腕へとたどった。不満げなふくれっ面が崩れてくすぐったいと笑うのにはさほど時間はかからない。

「細くて弱い。どうしてそう思ったの」
「キョーヤは強くて優しくて何でもできるんだもん。わたしは、全部普通だなって」
「僕は普通じゃないのかい」
「何でもかんでも規格外」
「君の言う普通が力なら、僕が思う普通とは違うね」

 よくわからないと開かれた唇にうさぎを挟んだ。大人しく咀嚼するのを優先させるのだって、僕から見た「彼女の普通」に他ならない。

「飾り切りを作ろうと思うのも、それを僕に食べさせるのも、僕に言わせれば規格外だ」
「難しいよ」
「君こそ普通じゃないってこと」

 反論しようとするところにもう一匹ねじ込む。素直に完食しようとする律儀さが可愛らしい。

 そんな存在がこうして目の前で、僕の手からりんごを与えられている事実そのものが異質なのだろう。とはいえそう感じるのは僕でも彼女でもない誰かだ。何の問題もない。

「どう」
「おいしい」
「そうだね」
「キョーヤ、もう一個」

 おかわりを要求する笑顔は、いつもの温もりのまま。この時間は僕たちにとってはありふれたものだ。よそ見などせずに僕だけ見ていれば、彼女は何の気がかりもなく彼女のままこの午後三時を過ごせるだろう。そして僕は僕のまま――というのは、誰にも揺るがせない規定事項。