背中合わせ

「傷心中」

 そんな貼り紙ひとつ分の結界に骸は引っかかってくれた。軽いノックの後、扉の向こう側で座り込む気配がする。

「今度は何です」
「顔も見せたくないくらい落ち込んでる」
「そんなに酷い泣き顔とは思いませんがね」
「客観じゃなくて主観の問題なの。あと、泣いてない……まだ」
「そうですか」

 くぐもった声は聞き取りづらくて三角座りのまま扉にもたれかかる。当然体温なんて感じられないそれが今はありがたかった。きっと他のひとには何でもないことでこんなにへこんで、ここまでかっこ悪いことは見せたくないし勘づかれたくない。とくに骸には。

「僕に無様な姿を晒すのが嫌だと?」
「骸だから嫌」
「何を今さら」

 ため息混じりのことば。聞きたくないだなんて思わなかった。むしろこちらに心を向けてくれるのが嬉しくて、ひとつ残らず受け取りたくなる。

「君が信じられないほど弱々しいことはすでに知っていますよ」
「そこまで言わなくても」
「勘違いしないでください。傷口に塩を塗り込みに来たわけではないので」

 こつん、と硬い音。骸も扉に体を預けたのかもしれない。さっきまで無人だったこの家にこうして誰かの息づかいを感じるだけで、底の底まで沈んで凍えるようだった気持ちが温まる気がする。

「君がそうまで跡形もなく粉々になれる理由を考えていました」
「自分でもわかんないよ。何でこんなに情けないんだろ」
「そうでしょうね。それなら、都度拾い集めた方が手っ取り早い」

 おそらくは背中合わせのまま、骸はこつこつと再びノックを鳴らした。体を押しつけているせいで背骨に響いて奇妙にくすぐったい。

「だから、中に入れてください。顔を見せろとは言いませんから」
「やだ」
「これ内開きでしょう。強引に開けたら君が潰れる」
「じゃあ開けないで」
「ではこうしましょう」

 一瞬の間の後、うつむいた視界に他人の爪先がある。そうだ骸に扉なんて本当は無意味なんだっけ。幻覚なんて、平然と手品みたいなことができるんだから。疲れた心では驚くこともできずにぼんやりとそれを眺めていると、伸べられる指がある。

「嘘つき、思いっきり見てる」
「それは失礼。君の泣きそうな顔は嫌いじゃない」

 手袋を外した両手がほんの軽く頬を包んだ。上向かせられた視線の先は、呆れ返ったことばに相応しい呆れ返った笑顔で。

「けれど、そんな顔ばかりが好きなのではありませんよ」
「……わかりづらい」
「何の話ですか?」
「元気づけてくれてるんでしょ」
「馬鹿なことを」

 摘まれた頬が引っ張られるのがおかしくて思わず笑ってしまう。こんなの、子どものいたずらだ。これしか知らない訳じゃないだろうに――いや、例えこれしか知らなくてもあんまり似つかわしくなくて。

「愉快なほど柔らかいですね。あぁよく伸びた」
「わたしもやる」
「させませんよ」

 膝をついて意地の悪い笑みを浮かべておきながら、骸の手は離れない。

「猶予をあげたのに寂しいとすら素直に言えない君にはね」

 足元に貼り紙が落ちてくる。なるほど侵入できたのは結界が解けたからかもと妙な納得が生まれた。骸の頬の代わりにそれを引き寄せて、残ったセロハンテープを折り込む。

「骸は紙飛行機の作り方って知ってる?」
「……見くびられては困ります」
「遊んでよ」
「現金な方だ」

 差し出した紙を受け取ると、骸は隣に腰を下ろした。ボールペンで書いた雑な傷心は幾重にも折られて見えなくなる。意外にも器用な手つきを見るのは楽しくて、思わず身を乗り出していた。

「結構複雑なの作るね……って、これ飛行機じゃないよ」
「そうですね」

 あっさり完成したそれがぞんざいに放られる。とっさに両手で作った器に入ってきたのは、大輪の薔薇だった。横目で覗き込んでくる製作者の表情はどこか得意げ。

「君は感情を弄ぶことを少しは覚えるべきですね。自分のものも、他人のものも」
「骸はその点セーブした方がいいよ」
「生意気な口がきけるなら安心だ」

 ため息とともに、大きな手がわたしの頭を鷲掴んだ。引き寄せられるままにもたれかかると、骸がどんな顔をしているかわからなくなった。それでも、今度ははっきりと声を聞ける。

「元通りになってよかった」