暗い部屋の中、ただ瞬く目がある。
「君は神に祈らないのですか、こんなことをされて」
「近所の神社だと拍手を二回」
彼女が再現してみせる「かしわで」というのは神社参りの作法だろうか。ぱちぱちと合わされた手のひらから手首に続く曲線をぼんやりと眺め、今自分は何をしたかったのかを思い出しにかかった。人間、予想外すぎるものを目にすると思考が止まるようにできている。
「強がりではないんでしょうね、それは」
虚勢にしてはあまりにも落ち着いて、からかうにはあまりにも似つかわしくない。何せ、彼女は下校中のところを訳もわからず手を引かれてきた身だ。顔なじみの犯人はその目の前で床に直接座り込み、作り慣れた笑顔をどこかに置き忘れたまま。
「君が大切です。僕は君を大切にしたい」
そして誘拐犯が口にするには大層滑稽な真実を告げた。黙って見上げる彼女の両手首を、チョコの包装についてきた赤いリボンでまとめて結わえる。まともな人間の目には、金縁で飾られたそれは悪趣味な拘束に映るだろう。
「うん」
さっきから何をしても彼女は静かな表情で受け入れる。音もなく、緩い輪が華奢な腕へずり落ちていった。
「けれどその方法がわからない」
丁寧にリボン結びにしたところで、この気持ちが伝わったとは思えない。彼女は嫌悪に泣き出すことも冗談はよせと怒り出すこともしないから。
こころは、意のままに動かせるものだと思っていた。しかし牢獄から出てからこちら、思い通りにならないことばかりだ。今など、女の子の気持ちひとつ手に入れられない。
残されたのは自分自身の最大の悪手だった。能力も遠回りも揚げ足取りも捨てた、ただの正直。
「僕は大切にされたことがない。そんな覚えも。それに他人は壊すためのもので、利用するためのものでしたから」
「骸は大丈夫」
やっと返事といえる返事が返ってきた。にっこり笑って、彼女は大丈夫を繰り返す。仕上げとばかりに手首に咲かされた大振りのリボンを見せつけて。
「こんなことできるんだもん。これ、プレゼントを包む結び方なんだよ」
「だから、ですか? 君の理屈は飛躍しすぎている。僕は今君を捕まえただけなのに……あ」
自らの呆然とした声と、リボンの解ける、しゅるりと軽やかな音が重なる。彼女の唇がリボンの端を咥えて引っ張ると、あっけなく捕縛は解かれた。
所詮はこんなものだ。操れないものは何もかも、手元に残ったりしない。それなのに、彼女は逃げ出すこともせずむしろ身を乗り出した。目を覗き込もうとするかのように。
「強がってなんかない、骸がいつもより弱ってるんだよ。いつもならいろんなことばが降ってくるのに」
「……君が煙に巻くなと音を上げるように?」
「そうそう。よくそんなに頭が回るなーって思ってた」
くすり、と、また笑みがこぼれた。それは誘拐の被害者ではなく、僕の大切なひとの笑顔。好きだと言わせたいのではなく、好きだと言ってほしいひとの。
「君は……」
「うん?」
「理解不能ですね」
心の底からそう思って、けれどその奥にある真意を真っ直ぐ伝えるにはことばが足りなさすぎた。
だから、ぺたんと座り込む彼女の丸い頭をほんの軽く叩くように撫でた。上の者が下の者にする高慢なものに見えるように、なるべく尊大な笑みを作って。
「なんだ、骸。やっぱりできてるよ」
反発でも呆れでもない、嬉しそうな目は、それすらもあっさりと見抜いた。
彼女は思い通りにならないことの最たるものだ。それを前にしたときのこの気持ちの名前は、きっともう知っている。
