頭からっぽ

 

 艦が海上へ出てはや数日。せっかく運び込んだ試験段階の支援兵器の評価は、予報の外からやってきた雨天や強風のために満足に進んでいなかった。そのせいでMAやMSとの連携の確認も同様に滞っているどころか問題点が増えていき。工数を増やしてもどうにもならない問題は艦内のほぼすべての人間をとても、かなり、深刻に疲れさせていた。もちろんわたしもそのなかに含まれている。本来の職務に追われなくてもいいと喜んだのは最初だけ。いまや専門内外のあれこれへの応援に駆り出されてくたくただ。

 反対に疲れていない、もとい自分たちには関係ないからどうでもいいと考えている側の三人は相も変わらずおのおのの方法で黙って暇つぶしを続けていた。けれどそれはいつもの待機室ではなくて、監視窓が取りつけられた一室で。そんなところへたったひとりで呼び出されておそるおそる入ってみれば、彼らはベッドの上で寝転がったり座り込んだりリラックスしているようす。それを、窓の向こうから白衣の研究員たちがちらちらと確認しながら計器と画面を見比べて忙しい。

「今日はどんな検査なの?」
「へい……なんだっけ」
「平静時の組織と……なんとかの生成の状態をどうこう言ってたよ。これつけて大人しくしてろってさ」

 ヘッドホンを外すシャニといっしょになってクロトの説明に聞き入る。つまりは身体検査みたいなものだろう。三人の頭と腕、胸には電極が貼りつけられているだけ。奥のベッドでオルガが仰向けでうとうとしているのも見て、なんとなく肩の力が抜ける。

「そっか」
「なに安心してんだよ。こっちは動きづらいんだけど」

 怖くて、痛い処置の最中ではないかと内心気が気ではなかったから――なんてことを当人たちの前で第三者が口にするのははばかられて。シャニにじとりとにらまれるのを「肉体労働の応援じゃなくてほっとした」とごまかしつつ、ゲーム機を放り出してあくびをするクロトの近くに椅子を据えた。ここなら部屋全体のようすを見渡せる。

「お前みたいなのに肉体労働はないでしょ。そういやアリーシアはなにしに来たの?」
「兵装管理のシステム改修の件って聞いたんだけど……しばらくここで待機って」
「ここに来るのはおかしいだろ。俺たちなんにも関係ないし」
「だよねぇ」

 そうとは思っても、わたしへ応援の要請をしたおおもとの研究員はガラスのすぐあちら側にいる。なんならここに入ったそのタイミングで彼と目が合って軽く会釈を交わしたほどだ。そんな奇妙な状況をクロトは笑って流す。

「ま、いっか。暇してたし……なぁアリーシア、なんかないの」
「なにもない……あ、救急セット持ってる」
「いらねー」
「僕たちがケガしてると思ったんだ?」

 それについてはもはやなんの追及もなく、わたしのポーチを取ってしまう。中身は面白みもなく消毒やガーゼ、小さなハサミにテープといった基本的な品ばかり。それでもものめずらしいのか、シャニは消毒のボトルをつまみ上げてはまじまじとながめて。

 真っ白な流線形の向こうで瞬く目は、すぐにわたしへ注意を向けた。

「……医療班じゃないのに、シアもこういうのできんの」
「応急手当くらいはね。必修科目だもの」
「ふーん。僕そんなのやったことないよ」
「やったとしても忘れるだろ。俺たちはケガさせるほうの専門」
「そうそう」

 なんてことないといったやりとりはグレーに乾いて。

 それはたとえば、遠距離からの狙撃だったり、銃の解体掃除からの組み立てだったりするのだろう。パイロットの範疇を外れても彼らの知識はある一方向に偏っている。ヘリオポリスでのMS奪取はその一例だ。敵地への潜入、避けられないならばやむをえず戦闘、機体や施設のセキュリティの書き換え、離脱。どの段階にも相手方の警備がある。彼らはいま現在そういった任務には運用されていないだけで、もし方針が変われば駆り出されてもおかしくはない。ここは、機体を介さずその額に直接銃口が向けられて当たり前の場所なのだから。

「心配」

 思いつくのはたったのひとことだった。

「はぁ?」
「なにが」
「みんなが。ね、簡単なところだけでいいから覚えてみようよ」

 視線を下ろした先には軍服の上を脱いでいるクロトの手首がある。そこに走るすり傷はMSの模擬戦闘でできてしまったけれど、艦内での適切な治療ですっかり薄くなっていた。これが敵地の真ん中ならこうはいかない。

「何日かかってもいいから……」

 少しだけ黙ってしまったわたしがなにを考えていたのか悟るように、さっと背中に隠される手。見上げるとクロトが笑うのはほんの微かに引きつって、ほとんど無理やり用意した表情になっていた。

「覚えてって、なに? もしかして手当のこと? 本気?」
「くだらねー」

 シャニの断言は、半笑いのクロトが省略したことばそのもの。心底だるそうな口調とは裏腹に長い腕は天井へ向けて大きく伸びをした。それにつられて短い影がわたしの膝へかかる。高い天井に埋め込まれた照明が作る淡い黒はまるで釘をさすようだった。シャニはひとしきり笑い、そしていっときなんの感情も含まない目でこちらを見下ろす。

 わたしはそれを黙殺する。ふたりが、多分オルガもそう思っているのに反して、必要なことだと思うから。

 そんな無音のやりとりのあと、長いため息があって。シャニはゆっくりと目を閉じた。

 今までとは色の違う笑みを口元にたたえて。

「……けど今本当にやることがない」
「じゃあ決まりだね」
「はいはいわかったわかりましたー」

 おのおのの降参を機にポーチの中身を取り出す。これだけの道具で練習できることといったらすり傷の処置くらいだろう。

「じゃあ、クロトが手の甲にすり傷作っちゃったっていう設定で……」
「なんで俺がこいつらの手当するんだよ。練習台はシアな」
「さんせー」
「えぇ……」

 もう雲行きが怪しい。

「だってアリーシアいちばん弱そうだし、というか絶対そう、棚につま先ぶつけてすぐ泣くタイプ」
「なにも言い返せない……!」
「……んだよ、やり合ってんのか……?」

 お腹を抱えてけらけら笑うクロトの奥からぎこちなく起き上がる長身。熟睡には至らなかったらしいオルガが、掠れた声で「アリーシアか」と小さく呼びかける。寝起きのせいかどうか険のあった目はこちらを認めると緩く見開かれた。予想が当たったというように。

「やつらと雰囲気が違うと思ったぜ。なにしてんだ?」
「シアのケガの手当」
「……無傷だろ?」
「それはそう……重っ」

 迷惑がるクロトの肩を支えに身を乗り出して首を傾げるオルガと、わたし。その双方をシャニは交互に見比べた。なるほどとうなずくようすからして、なにかをひらめいたように。

「シア今からケガしろよ」

 とてつもなくとんでもないことだった。

「えっなにそれは……」

「だから経験値稼ぎでしょ。実際に止血から始めればためになるってこと」
「よし俺がやる。シャニ、アリーシア押さえとけ」
「ん」
「それって本末転倒というかどうしてそんなに真面目なの……?」
「大人しくしてるのほんっと退屈だったんだよーほらこっち!」

 椅子から逃げようとしたところに肩をやんわりと捕まえてくるのはシャニの両手。背後に忍び寄っていたクロトにいとも簡単にベッドに引き上げられた瞬間、もがいてばたつかせた手はオルガが握っていた。いっそどう猛ささえ滲ませる笑みを浮かべていた彼は、けれどすぐに怪訝な顔になり。

「……んだこれ、やっわい手だな」
「これ僕たちがほっといてもそのうち出血のひとつふたつするやつじゃん」
「ほんとだ」
「あ、わ、ちょ、ちょっとシャニそこは……っ」

 わたしの片手に、三人の指がそれぞれ確かめるように触れて離さない。手のひら、手首の薄いところ、袖の内側にまで至る自分ではない体温になぜだかぞくぞくとして力が抜けてしまった。そんなことがなくたってこの包囲網から脱出できる道なんてなさそうで。

「……本当に小さいんだな」

 ふざけ混じりだった目がいつしか真剣になっていくのを見てしまえば。

 それに加えてもうひとつ、オルガの「俺がやる」ってどういうことだろう。もしかしたら引っかいたり噛んだりされてしまうのかも。そんなのを研究員たちが見たら大問題だ。事情を説明する前に傷害事件に発展しそうで別の意味でどきどきする。

 彼らを止めてはほしいけれど深く咎めるまではしないでほしい。そんな祈りを込めてガラス張りのあたりを見上げると、なにやらようすがおかしかった。何人もの研究員が部屋の計器の間をばたばたと往復しては興奮ぎみに話し合って。

 それに真っ先に気づいたのはクロトだった。わたしと同じく視線を上げて声をひっくり返らせて、それがオルガとシャニにも伝染していく。

「うわなにあれ?」
「みんなの暴挙がばれちゃったんだよどうしよう……」
「いや、違うな」
「……うん、難しそうな話してる」
「え、あのひとたちがなんて言ってるかわかるの?」
「俺たちは読唇術も叩き込まれたからな」
「作戦の適性がーって、結局使ったことないけどね。詳しくは知らないけどさ」

 そうして彼らはしばらくの間、こちらまで音の届かない大騒ぎを見つめ結論を出した。

「……グルコサミンがどうとか言ってんぞ」
「えー、オキシトシンでしょ?」
「アドレナリンだろ」
「うそつけ絶対グルコサミンだ!」
「全員ばらばらなんだけど……」
「……数値が」

 オルガに掴みかかられたシャニは、まだ白衣が忙しくひるがえる方を注視している。それに気づきもしない研究員は、ガラスのすぐ近くでハイタッチを交わし始めていた。そろそろハグしあってもおかしくはない。

「めちゃくちゃ喜んでるじゃん」
「あいつらがあんなに笑顔なの見たことないぜ。気味悪いな」
「……投薬が少ないのに数値が安定してきてる、トラウムがいるからだ……って」
「わたし?」
「歳が近いのもいいって言ってる」
「あーだからオルガがなかなか起きなかったんだ」
「……アリーシアの声なら起きなくても問題ないだろうが」

 そっぽを向いてしまうオルガをクロトがにやにやと覗き込んで、これまた掴み合いのケンカに発展しそうだ。とりあえずこの部屋でこれから起こることによくも悪くも関心を向けられているわけではなさそうで、またしても肩の力を抜くことになる。

「じゃあシャニ、怒られるわけじゃないみたい?」
「ん、そんな感じ」
「よかったぁ」
「これから俺たち四人を同室にするらしいよ」
「えっ」

 飛び込んできたニュースが突拍子もなさすぎてにわかには受け入れられない。クロトもオルガも意味がわからないといった顔でシャニに向き直った。

「カウンセリングとか薬品のコストが減って万々歳だってさ」
「えっ」
「笑っていいとこだよねこれ?」
「どうしちまったんだあいつら……」

 気づけば窓の向こうではわたしを呼んだ研究員がこちらに向けて腕で大きく丸を作っている。(いい気分ではない話だけど)あのひとが言っていた「兵装」とはこの三人のことだったみたい。ご機嫌なところ申し訳ないけれどそんなことは艦長たちが決定することだ……と規定にそって言い切れなくなるのはアズラエル理事の権限がどこまでのものなのかわかっていないから。もしかしたら本当に四人部屋が実現してしまうのかもしれない。

 それなのに、シャニが唇をほころばせるところからはじめて表れたのはまったく予想外の反応だった。

「ちょっとは退屈せずに済みそう」
「笑い話だけど僕は別にいいと思うよ、そのアイデア」
「そう考えると確かにな。俺は賛成だ」
「それでいいんですか研究職!」

 多数決でも勝算が見えなくなってきた。大声であちらに問いただしても当然答えはない。忘れていたのは、この艦ではあらゆることがうまくいかなくて疲れをためるひとが大勢いたこと。そのストレスのせいで思考が短絡的になりすぎている。こんな検証も考察もかなぐり捨てた話が通るはずないそのはずだ、とほとんど自分に言い聞かせる心地のわたしの肩にシャニはやれやれと手を置いた。

「まぁ、悪いようにはしないから」
「……徹底的におちょくられそう」
「おいなんだよその偏見。シアになにかあったら手当くらいしてやるって話だよ」
「……ありがとう……」
「……ん。だから、続き」

 ベッドに転がされていた包帯を差し出され、ひとまずは流れに身を任せることにした。もちろん、わたしの流血沙汰はきっちり回避する方針で。

 その夜、艦の一室では祝勝会が開かれているとのうわさが流れた。クロトは息ができなくなるくらい笑ってベッドから転げ落ちた、とはオルガからの報告。

 ――なんていう研究員たちの暴走は、アズラエル理事の「は?」のひとことでお蔵入りになったらしい。残念でもないし当然だ。いつもどんなことを考えているのかわからない印象のひとだったけど、とてもまともそうでひと安心。

 そんなわたしとは逆に、三人が「期待外れだ」と少し荒れたのは少し後の話だ。

 

ランダム単語ガチャ No.3048「頭からっぽ」