額を拭っていくタオルはほどほどに温まっていた。先ほど頭の下にねじ込まれた枕が冷えているのとは正反対。
脳裏に滞っているようだった不快感が薄れていくのを感じながら重い瞼を開くと、ベッドのすぐそばにアリーシアが膝をついている。その手に握っているスポーツドリンクのペットボトルが、わずかに開いたカーテンの隙間から差す光を鈍く纏い。
「まだ、痛い?」
いつの間にか落とされていた照明と同じくらいの微かな声。それが示すまでもなく眉は気遣わしげに下がっていた。昼に見たのと変わらない表情は、いつもなら「お人好し」のひとことで煙に巻いてしまえるもの。
しかし今は「いつも」ではなく。
「……痛えよ」
隠しておきたいことはひとりでに口をついた。彼女の表情を安堵から遠ざける、本当のこと。
「お薬は?」
「さっき飲んだ……それ、くれ」
受け取ったドリンクを、やや急いで上体を起こして飲み下したのは渇きと熱をやり過ごすため。けれどどこから拾ってきたのかとにかく厄介な風邪は、それでは押し流せない痛みを伴っていた。頭も喉も、筋肉はおろか節々までも叩き潰していきそうに暴力的な。
「アリーシアだったら」
ひとたまりもないだろうな、なんてことばはせき込むのを無理矢理押さえ込んだせいで無様にねじれて台無しになる。憎まれ口をそうとは知らずに彼女は受け取る機会を失い、その代わりに返るのはやはり手だった。
目元にかかりそうになる前髪を優しく払っていく指は、次いで再び額に触れた。熱を確かめる、というにはあまりにも遠慮がちに。
「出てけよ。うつるぞ」
「うん。でも、もうちょっと」
そんなはずはないだろうに、こちらの体温のせいで相対的に冷えている温もり。体の芯がそちらへ溶け出る感覚に身を任せてまた横たわると、自然と見下ろされるポジションに戻ってくる。
アリーシアを見上げるなんてことはそうそうない。普段そうするのは彼女の方だ。そうして狂った位置感覚の中、アリーシアだけが変わらない。
「オルガが苦しいとわたしも苦しいもの」
ぽつりと落ちたことばと同じく、その手はいつしか穏やかに頭を撫でていくようになって。
「ご飯が無理なときはアイスがいいんだって。食べられそう?」
「……頼む」
「うん。すぐ取ってくるね」
痛みを内包した、とはぎりぎり言いがたいうまくごまかした笑顔で、アリーシアはようやくベッドのそばから離れていった。部屋から出ていく足音は規則的で、そんなささいなことに気づいた途端に眠気はまとわりつく。
確かに今、安心した。アリーシアがあんな顔を向けたことに。
アイスのひとつやふたつ我慢すれば、もっと長く見上げていられたのか。意識がぼんやりとしてあまり鮮明ではないだろうけど。
***
なんてことを思った次の日の朝、アリーシアが大喜びするほどに症状は完治した。
同時に、アリーシアがまたしても意気消沈するほどに酷い風邪でシャニが寝込んだ。
「てめーのせいだ。スポドリとアイスとマンガ持ってこいよ」
「お前ほんとはめちゃくちゃ元気だろ」
「なわけあるか」
ベッドに埋もれたままがさがさに掠れた声で何を言われても気にもならない。今朝からとても気分がいい。
よかった、と笑うアリーシアがいつもの位置にいたから。
「見下ろすって最高だな」
「は? ケンカ売ってんのか? うつすぞ」
「いいぞ」
「……自力で治す」
今とてつもなく引かれた予感がするが、流してしまえる。たまには調子を崩すのも悪くないのかもしれない。
ランダム単語ガチャ No.9629「デバフ」