騒ぎの中心にいるふたりはガタイのいいツナギの男たちだった。雑な仕事しやがってだのタダ同然の金払いで偉そうにだの、職人同士らしい言い争いは次第に掴み合いに発展していく。タイミングがいいやら悪いやら、このドックには乱闘を止めようとするお人よしは居合わせていないようだ。理由は恐れなのか観戦なのか。
こんなにもエキサイトしている場面にはそうそう立ち会えないが、ありがたみなどかけらもなくただ耳障りなだけ。さっさと戻ってゲームの続きをしようと、来た通路を引き返しかけた足はその姿に気づいた途端止まった。
いる。修羅場にもうひとり。
「なんであんなとこに」
アリーシアが。
彼女は怒鳴り合いのただなかに――というより彼らのすぐそば、作業台の下に潜り込んだまま出られずにいた。これは正真正銘タイミングが悪いこと。何を押しつけられていたのやら。
大男どもの隙をうかがう引きつった表情は、唐突に蹴り飛ばされた一斗缶の轟音にいっとき色を失った。
アリーシアが小さくなって座りこんでいるスペースめがけて金属の塊が回転しながら突っ込んでいき、その後は。
***
その後は単純な話だった。サッカーよろしくその場に走り込んで一斗缶を彼らに蹴り返し、あ然とする周囲を放って彼女の手を引きドックを出ていっただけ。大男Aの脛のあたりにきれいに命中したのはもちろん狙ったからだ。Aが、微かに悲鳴を上げたアリーシアに気づいていたのかは考慮の外。
「さっさと離れたらよかったのに、鈍いよね」
「あんなにヒートアップするとは思わなくて……ありがと、クロト」
「ほんと、もっともっと感謝してよ。僕が通りがからなかったら」
――どうなっていたかはうっすらと想像がつき、それ以上を飲み込んだ。続くことばがないのを不思議がるアリーシアを、通路を行く今の今まで引っ張っていたことに気づくのとほとんど同じ拍子に。
「アリーシアはさ、ああいうのが怖いの?」
意図せず握り込んでいたのは制服をまとった腕。彼らのようなごつい肉がついていない、すんなりと伸びる白いそれを見たことがある。
「うん。止めるのもなんだか……ケガしちゃいそうで」
「そりゃそうだろうね」
整備班が集まっていたドックの中では誰より弱々しく浮いていた。割って入ったところで結果は見えている。こんな体つきでは。
女では。
「男が怖いの?」
――そんな、思いつきの問いかけへ返ってきたのはことばの代わりに無音だった。やや重くなった足取りに気づいて立ち止まり振り返れば、目を丸くして驚いているアリーシアがいる。
どれに対しての驚きなのかはわからないが、少なくともいきなり視線が合ったことではない気がした。
「……そうかも」
数秒後に頷く彼女はわずかに気まずそうにして、それなのについにここまで腕を振り払うことはなく。その理由もわからなかった。
現在進行形で触れているのは、荒事ばかり得意な男なのに。
とはいえ、結論を後回しにすることも同じく大得意だったから。
「ま、あんな野蛮人どもといっしょにされちゃ困るけどさ」
反応を待つことなく「早く行こ」と促した。
アリーシアは大人しく着いてきたのだし、その目はいつもまっすぐこちらを見つめることを知っている。それだけあれば十分だ。今のところ。
ランダム単語ガチャ No.4858「グレーゾーン」