人を、看取ったことがあるという。今となっては幸福なことだろうに、それを話すのはぽつぽつと力なく。
「一度血圧が下がり始めたらだめなんだって。指先からどんどん冷たくなって……わたしが握ってたらそのときだけは温かくなったけど」
アリーシアの両手に包まれた片手は未だ解放されない。だから、目の前でうつむくさまを嫌でもながめるはめになる。
振りほどけばいいのだろう。事実そうするのは簡単だ、力の差は歴然なのだから。そうしてここに残るのは部屋の主ひとりになる。
「眠ってるみたいだった。そのうちなんともなく目を覚ましそうで、そんなふうに見えたのに」
あの部隊が壊滅してからレタスのひとかけらも口にしない、放っておけばいつか死ぬだろう兵士が。
それはしばしの沈黙の後に顔を上げた。あるのはいつもの――よくよく観察するといつもよりほんの少し疲れた笑顔。
「だから、誰かの手が温かいとほっとするの。それだけ……」
「そうかよ」
「オルガは、あったかくていいね」
「……逆だろ」
振りほどくのが容易なら引き寄せるのも容易かった。唐突に椅子から引き剥がされて見張る目は、眠りなどしばらくは訪れなさそうに思える。
ずっと起きていればいい。
「お前が冷たいんだ」
手を引くままに歩かせ部屋をあとにした。なかば荷物を引きずる心地だったが、途中からアリーシアは足を速めて隣にやってくる。
「どこ行くの?」
「どこでもいいだろうが」
投げやりな返答にはなったが、行き先を決めていなかったのは本当だ。
雨ざらしにでもしていたかのように失せた体温に気を取られたから。
「……じゃあ、食堂に行きたい」
だから、その望みは錯覚を払うかのように響いた。
死人に願いを口にすることはできない。
「寝るにはまだ早いってか」
「うん。オルガになにか作ってもらうんだもの」
「何様だよ」
くすくすと笑う声だって、まだここにあるものだ。
「まぁ、アリーシアサマは自分のことも見えないくらいめちゃくちゃなありさまらしいしな」
やっとそちらを見ることができた。もしかしたらどこか虚ろをたどっているのかと勘ぐっていた目は、確かにこちらを見つめている。
「オルガ?」
「……ブルーマウンテンって飲んだことあるか?」
「……ないはず。グアテマラのものなら一回だけ……」
こんな、他愛のない会話には必要なものがあった。豆など挽いたことはないがメーカーのスイッチを押すことくらいはできる。ふたり分の、どこで生まれたのか誰も知らないコーヒーができるまでに何の邪魔も入らなければ。
ランダム単語ガチャ No.1875「ホットコーヒー」