救援

 

 三人が殴り合いの大ゲンカをしたなどという話も記録もない。そんなきっかけになるほどのかかわり合いすら少ないくらいだ。それなのに、この光景はどういうことなのだろう。

 部屋の床に転がるふたり。

 こんなことを目の当たりにして平静でいられるはずもなく、ただ呼びかけるしかなかった。

「こ、これは……」
「……アリーシアか」

 クロトとシャニを前に立ち尽くしていたオルガがゆっくりと振り返った。呆然とした乾いた表情は、けれど唇だけが笑みを浮かべている。

「俺、才能あるかもしれねぇ」

 *** 

 わたしが彼らをベッドに上げるのはひと苦労だったので、渋るオルガに頼んだ。見ればふたりともただ寝ているだけのようで、呼吸や顔色も良好。しばらく様子見ということで上段のベッドに身を寄せると、暇だとぼやくオルガもついてきた。ふたりで向かいの下段に伸びるクロトを見下ろしながら、わたしは胸をなで下ろす心地。

「よかった、オルガが殴り飛ばしたわけじゃなかったんだね」
「俺がそんなアグレッシブなタイプに見えるかよ」
「やるときはやりそう」
「んだとこいつ」

 突っかかる勢いで頭に乗せられた重みは硬くて、すぐにオルガの本だとわかった。受け取って表紙をながめてみると、それはやたら大きなコピーが一面におどる月刊の小説雑誌。今月はSF特集らしい。

「最後の話に催眠術……っぽいのが出てきたんだよ。こいつらで試したら効いた効いた」
「どういう効果があるの?」
「自分でも忘れてる過去の記憶を引き出すんだとよ。殺人事件の捜査に使うために」

 眉唾だと思ったがと笑いつつ、オルガはクロトを指差し。

「けどあいつはすぐにわけのわからねぇことを喚き始めたと思ったらぶっ倒れた」
「それは効いたというか大失敗なんじゃ……じゃあ、シャニは?」
「黙って白目むいてぶっ倒れた」
「なにそれこわい、魔術書……?」
「ちげーよ……って言いたいとこだが怪しくなってきたな」

 クロトもシャニも催眠がよく効くタイプだったのか、オルガに本当に才能があったのかは迷うところ。

「どうせならアリーシアもやってみようぜ」
「やだよ、わたしまで倒れちゃったら」
「ここベッドなんだからダメージはないだろ、ほら横になれ早く」

 新しいおもちゃを見つけたとばかりにやたら試したがる。まぁ交代中だし問題ないかと、結局はオルガが空けたスペースに横たわることにした。それに、今まで催眠を受ける機会がなかったから少しだけ楽しみでもあったり。とりあえずは「じゃあまず脱力してだな」とさっさと進めてしまうオルガの指示を聞いてみる。楽しげな語り口は弾んでいるかのよう。

「目を閉じて俺の声にだけ集中しろ」

 瞼の向こうからでも照明が目に突き刺さるから、ポケットからハンカチを出して目隠しにしてみる。すると、それなりの暗闇がすうっと心に溶けるかのように全身をリラックス状態にしていった。廊下の音は、わたしを見下ろすオルガが遠隔でドアを閉め切ったせいで完全に遮断され。

「今お前はとある部屋の床に横たわってる。……これから何も答えなくていいから想像しろ。どんな部屋だ?」

 ことさらゆっくりとした低い声に導かれて、とりあえず地球にある自分の家を思い描いた。この季節、ふかふかのマットに寝転がるととても気持ちよかったなと冬の思い出は自然とわき起こる。

 ふたりは何を想像したんだろう?

「そこに何者かが侵入してきてお前を捕縛する。どうなった……」

 それは、とんでもないことだ。大の字でくつろいでいるところに突然そんなことができる人間が現れたらとっさには動けない。運よく逃げられたとしてもすぐに追いつかれるに違いない。頭の中のわたしは、オルガの言う通り捕まってしまった。

「だめだったらしいな」

 これは、半笑いで確認するオルガの声。どうやら表情に出てしまったみたい。小説のなかでも、こうやって相手の様子を見ながら催眠の深度を調節していたのかも。

「さて、相手はアリーシアの名前とか簡単なプロフィールをわかってる。知り合いらしいな、少なくともそいつにとっては」

 捕縛、ということは手錠や鎖でぐるぐる巻きにされている。元のマットの上から動けずに、せめてその誰かの顔をできるだけ詳細に覚えようと見上げるだろう。この後こと細かに通報するための材料が必要だ。

 ――そんなことができるだろうか。犯人はわたしが軍人だという情報だって知っているはず。だとするとこちらの思惑を読んで、拘束の後は姿を掴ませないために目隠しをしてくるかもしれない。

 今のわたしと同じ状態。

「そいつはお前をどうするつもりだ?」

 身代金の要求、は選択肢から消す。そのために軍の末端の末端ひとりを狙うよりもっと偉いひとをターゲットにするだろう。だとしたら、この家から金目のものを盗むつもりなのかもしれない。その間わたしを放置して。

 でもオルガが言ったことの通りなら、犯人はこの後わたしに直接なにかをするのだ。もし凶器を隠し持っていたらその時点で詰んでいる。だって、もうそれを確かめることもできないのだから。

 この先の展開はない。もうこの話は終わりなんだ。ということは、わたしもこの部屋で殺されてしまうのかもしれない。

 ほかに誰もいない、ここで起こることも誰も知らないまま。

「……助けて……」

 思わずそうつぶやいた瞬間、視界が真っ白になった。びっくりして目を開けるとまぶしい光が飛び込んできてますます大変になる。そこでようやく、オルガがいきなりハンカチを取ってしまったのだとわかった。

 その当人は、少しだけ驚いたように目を見張っている。

「……犯人、誰だった?」
「わからなかった……」
「じゃあ、お前が助けを呼ぼうとした相手は誰だ?」

 問われて、改めて考えてみる。

 ここにいて、わたしを見てくれていたひと。わたしに何かあったら来てくれるひと。

「……オルガだよ」

 そうか、と、ひとつだけ頷いてオルガはハンカチを返してくれた。それを寝転がりながら受け取るわたしはなんだか夢から覚めた気分だ。ということは催眠状態になりかけてはいたのかもしれない。オルガは、犯人が目隠しをしてきたとも凶器を持っているとも言っていない。わたしが勝手にその様子を想像しただけ。それほど深く没入していたようだ。きっとふたりも、自分なりの危機を身に迫る現実のように思いこんだに違いない。

「なんで俺なんだ」
「だって強いし、いつも近くにいるし」
「……そうかよ。ま、この艦にいるのは仕方なしにだがな」

 今度は、少し嬉しそうに。差し出してくれる手につかまって起き上がると、真下からうめく声がある。シャニがもうすぐ目を覚ますのかもしれない。

「オルガ、やっぱり才能あるかも」
「だとしても、もうこれきりにする」
「どうして?」

 シャニの様子を見ようとベッドを降りかけていたわたしの目元に、オルガは指を添わせる。そこでやっと、自分の表情が少しこわばっていることに気づいた。

 けれどもうその必要はないと、触れるもののおかげでわかる。

「お前がそういう顔するからだ」
「でも、ここは艦だもの。あんなのが来たってオルガが助けてくれるでしょ?」

 わたしの中だけにいるあんなのがどんな相手なのかオルガは知らない。それでも、不敵に笑ってみせる頼もしさだけでそのことばが本当なのだと確信できた。きっとどんな凶悪犯も逆にぐるぐる巻きにしてしまえる。

「アリーシアなら、チラ見くらいはしてやるよ。だからそのときは腹から声出せ。今みたいのじゃ気づけないかもしれねぇからな」

 

ランダム単語ガチャ No.2198「救援」