前々回のくすぐり。
前回の猫だまし。
そして今回、ペンライトでの目くらまし。
目の前にはナイフがある。
その向こうには喜びを隠しきれない唇が。
「レギュレーション違反でしょ!」
「実戦にレギュレーションも何もないだろ!」
続く正論がとどめになり、またしても模擬戦はわたしの黒星に終わる。
ガラスの向こうで淡々と記録を取る医務官たちはクロトの戦法にレッドカードを出すことはない。この場の目的は戦闘訓練ではなくてクロトとわたしの動作確認だから。
「今日も黒い三連星だな!」
「うるさいうるさい上手くない!」
「ったく、毎度毎度どーしてパターンなんだよ? アリーシアって実は頭固い? いや実際頭固いのか」
突きつけたナイフを腰のポーチにしまい、クロトは手を差し伸べてくれる。何度やられてもこの光景が変わることはなかった。それは彼がいつも余力を残しているということで。
「だって投げるわけにもいかないでしょ。両手で持つと動きが固まるし」
「スイッチできるようにしたらいいのに。両利きになれよ」
「えぇ……」
無茶を言う。床に尻もちをついた姿勢から引っ張り上げられたときにはすでに撤収が始まっていた。徐々に消灯されるホールから離れて待機室へ向かいながら、数歩先でうんと伸びをする両腕をそれとはなしに眺めてみる。
年下とは思えない筋肉の隆起に覆われた腕。本当ならわたしがクロトの相手を務めることは悪手だ。彼が正規の兵士ではないから、こんなことが続けられる。
「あーあ、もう終わりかー。ねぇ、一戦が十秒続いたことないんじゃない?」
「……ない。この前聞いたもの。だから一日に三回はやらないと十分データが取れないって医務官が文句言ってたよ」
「ほらねー」
「もう、退屈ならちょっとは遅延行為してもいいんじゃない?」
「アリーシアが死ぬだろ、それは」
言われて、自分を見下ろしてみる。
傷ひとつない。
残る痛みも。
クロトはこちらを振り向かない。
「そっか」
今から戻るのは楽しくもない待機室。
「そうだね」
「そうだよ。僕の気配りに感謝してくれなきゃ」
「おやつあげる」
「はぁ? 子どもじゃないんだからもっとあるでしょ、っと」
急に立ち止まったと思ったらわたしの肩に腕を回してホールドするクロトは、ゲームをしているときとは全く違う表情をしていた。
「わ、わ、離してったら」
「やーだ。まだ暴れたりないからつき合って、よ!」
半ば無理矢理に俵担ぎにされた次の瞬間にはありえないスピードで廊下を駆け出している。慌ててしがみついてもクロトの走りがブレることはなかった。何という体幹。鍛え方が違いすぎた。
「なに、なに、どこ行くの……っ?」
「アリーシアの部屋。おやつくれるんでしょ」
「結局食べるんじゃん!」
「いらないなんて言ってない。あいつらに勘づかれる前にさ、行くよ!」
「あぁせめて人通りの少ないルートで……!」
ここで止めても止まる男ではない。ということは基地の中をこのまま走り抜けるつもりだ。どうか、どうか誰にも出会いませんようにと実在もわからない神さまに祈った。ついでにルームメイトもいませんように。
この笑い声が途切れるようなことには。
ランダム単語ガチャ No.4347「先制攻撃」
