自分が寝ついたタイミングはわからなくても、寝て夢を見ているんだと自覚できることはある。今がそうだった。
あお向けに横たわって目を閉じているのに、眼前には部屋に並ぶベッドが変わりなくある。夜の黒をカーテン越しに注ぎ込んで、記憶より暗くなってはいるものの。瞼の裏に天地のおかしな風景が映し出されているかのよう。
囲んでわたしを見下ろす彼らに至っては、本当は部屋にすらいないのかもしれない。見た目どおりこのベッドに座り込んでいるのではなく。
「何を毎晩熟睡してんだこの小娘は」
なんだかこれは本当に言われている気がする。わたしが小娘ならオルガは小僧だ。そう言い返したいのが伝わったのか、ひとつだけ灯ったベッドライトに照らされる表情は呆れのひとこと。その明かりのいちばん近くにいるシャニは、大きなあくびに「別に……」を混ぜる。
「……寝られないよりいいんじゃねーの」
「その流れだと僕たちダメな方じゃん」
「じゃあダメなんだろ。シアはまだダメじゃない」
「なのにいっしょにいたがるんだよね?」
すぐそばに座っていたクロトが姿勢を変えて、スプリングが軋む。心底不思議で不機嫌だと言いたげな表情とともに。
「変なの」
「基本ガキだからな、アリーシア。ついて回りたいんだろ」
唐突にわたしの頬をつつくのは硬い指、のはず。触れられた感覚がないから確証も、また。
「どうしようもねぇガキ」
クロトへの答えをそう定義したいらしいオルガの、低く落とした声を聞くより先に寝返りを打った。あんまりな意地悪を振り払いたくて。うまい具合に反撃できないかと期待して。
そんなに理由が必要なの、と、目を覚ましてから問いただしたくて。
***
「ところで俺に何か言うことねぇか寝ぼすけ?」
「小僧」
「あぁ!?」
何度も繰り返した反射行動のようによどみなく構えられた拳を、肩にぶら下げた鞄でガードする真似。そんなふうにのろのろと宿舎の中をオルガとふたりで移動する間、わたしたちと同じ軍服の数人とすれ違った。今日は食堂近くの自販機が不調だから、三階のものを使いに行っていたのだろう。これもわたしたちと同じ。
「膝が入りかけたんだよなぁ膝が。お前のが。俺のみぞおちに」
「なんでそんな近くにいたの?」
「そりゃ」
こつこつと鳴る靴音とともにリノリウムの階段を上る間、わたしから目をそらして規定を完全に無視した襟をいじる指先がある。この先、三階の廊下には宿舎の防災センターを間借りした仮置きの本部室が入っている。そこを通過するのを忘れているとしか思えない堂々っぷり、または開き直り。自販機コーナーは廊下突き当たり左へ曲がったスペースだ。この建物は上空から見たらきっとバランスの悪いL字をしている。
「……ん? もしかして起きてたのか?」
「なんの話かわかんない」
「いけしゃあしゃあと」
先に答えをはぐらかしたのはオルガなのに。大きな手が今回は手刀を形づくったのを、ちょうど通り過ぎた部屋ーー開け放たれた本部室の入口近くにいた職員が何ごとかと目を丸くして注視した。そのおかげで、軽い舌打ちとともに得物が引っ込められたのでひと安心。心置きなくジュースを飲めそうだ。
そうしてたどり着いたリフレッシュルームは、ちょうど無人のタイミング。軽く見回すだけで窓の外――部屋から廊下に出ながらうんと伸びをしている二階のクロトの姿が誰にも遮られず観測できた。ついでに、何かを片腕に抱えてグラウンドの隅から外庭の方に歩いていくシャニも。フェンスの電子ロックの前を横切っている。
「あ、シャニ」
「外にいるのか? 何しに」
「なんだろ……大きくて四角いもの持ってたけど」
手早く炭酸ジュースを買って窓辺に寄って来たオルガに数秒遅れて、今度は手ぶらになったシャニがグラウンドに戻ってくる。さながら、持っていたものを外庭に置いてきたかのように。そんな観察に気づいたのか、彼はふっと顔を上げてわたしたちを見つけた。昼の明るさに目を細めつつ首を傾げ。
「……いた?」
あまりに遠くて判然としないけれど、唇の動きを読んだところだと何かをこちらに呼びかけているようだった。手近な窓を背伸びして開け、耳に手を当てるジェスチャーで繰り返しを促すと、シャニはグラウンドの中を数歩進みながらもう一度口を開く。
ひらりと片手を広げて見せてから、ふいと放り投げる身振り手振りと総合すると。
「……捨てといた?」
そう言っているのだろうか。
「ああ、あっちに焼却炉があったな。雑誌でもぶち込んできたのか?」
オルガがそちらの方角の窓を振り返ったのだろうか。
「は?」
息を呑むのを微かに、確かに聞いた。
それは、がこん、と何か硬いものが激しく叩かれる異音が外から飛び込んできた直後。
「オルガ?」
明らかな動揺が伝わり、わたしがそちらを向こうと目をそらしかけた、その視界を。
光が細く昇っていき。
短く決定的な破裂音と共にグラウンドの真上で四方八方に弾けた。
オルガもわたしも、呆然と見上げるばかりだった。薄ぼんやりした昼の雲の下でも滲まず広がっていくのは赤い光。多分、この時間の空ではいちばん鮮やかに目立つ色の。
噴水が落ちていくように消え行く火花が降っていくのを追うと、まったく同じことをしていたクロトと廊下の窓越しに目が合った。そして、さっきまでやりとりしていたシャニとも。
――このとき、四人の視線は互い違いに交錯していたのかもしれない。
雲の白も空の青も、あの赤い軌跡をかき消せなかった。全部燃やしてしまう炎、夜空で輝く星、そのどちらにも近くて遠い人工の光の色。わたしたちの意識を引きつけ奪ったもの。
このたった一瞬で同じ輝きを目に刻まれて、四人全員が何を思ったのか。きっと永遠にことばにはできない。
引火したのは言語ではなく衝動だったから。
そして、止まったかのようだった時間が急に流れを取り戻したのは甲高い電子音が耳をつんざいたとき。見れば、シャニの背後で淡く点灯していたランプが激しく明滅している。
電子ロックのものだ。
「クロト!」
気づけば――熱いマグカップにうっかり触れた手を引っ込める脊髄反射のように気づけば、真っ先に窓から身を乗り出してそう叫んでいた。クロトははっと目を見開き、部屋に引き返すとすぐに飛び出して廊下を駆け抜けていった。いっそ清々しささえ感じる速さで。
その外、グラウンドではシャニがランプに思い切り蹴りを入れていた。フェンスごと倒そうとでもするほどに何度も、力いっぱい。ロックが完全にダメになるのも時間の問題だろう。
わたしたちの背後では本部室から軍服の数人がばたばたと飛び出し、そして続けざまに鳴り響く発砲音じみた破裂音の連続に忙しく辺りを見回す。地面を揺らしそうなほどの大きな音は、どこかのどかさすら漂っていた宿舎を萎縮させるには十分だった。
「あのバカ、打ち上げ花火全部投げ込んだのか!」
オルガの悪態はまるでお腹の底から響くような、それでいて心の底から笑い出すかのように大きく。だから、振り返ったその表情が荒々しさを隠そうともしない悪い顔なのは想定の範囲内ともいえた。
「アリーシア!」
「うん!」
そして、頷いたわたしも多分。
焼却炉のフィルターの類が吹き飛んだのか、明らかに嫌な粉っぽさがある煙が濃く、勢いよく窓から流れ込んでくる。そんな中をふたりで階段に向かって走る途中、オルガは何を思ったのか緊急事態にばたつく本部室に飛び込むと何かを大きな手にひとつ掴んですぐに出てきた。きらきら、を通り越してギラギラした光沢のある小箱だ。一階まで駆け下りつつ彼の後ろから観察すればするほど、何なのかわからない。オブジェにしては宿舎の内装の中で悪目立ちしそうで。
「鈍器?」
そう結論が出たのは、この先目的まで――クロトとシャニと合流するまでスムーズに行くとは考えにくかったせいもある。あと、オルガが武器を手にするのがなにやら似合う気がして。
「に、なるかもな……そら」
階段を降り切った直後、オルガが腕を真横に伸ばしてわたしを止める。目の前には、騒ぎに困惑しながらもこちらに気づいた恰幅のいい兵士がいた。その視線はにわかに鋭くなる。
「お前たち、アズラエル理事の? こんなときにどこへ」
ショルダーホルダーに手をかけながらの、威圧感さえあるゆっくりとした歩み。果たして出てくるのは通信機か警棒か。
オルガが半身になったとき、しかし兵士は「ひっ」と短く悲鳴を上げてびくりと凍りついた。
おそらくは、彼の背後からその首筋に突きつけられた銀色の刃物のために。
