ひと足先に宿舎について、もうベッドに寝そべっていたオルガのぼやきを聞けた理由。
「当然のように四人部屋なんだよなぁ」
この通り。ここに召集された兵士のほとんどが各大部屋の定員ぴったりまで押し込まれるらしい。通過してきたロビーのざわめきはその不満だったのかも、と合点がいく。
そこだけで見ればこの部屋はゆとりがあってだいぶ恵まれている――とは言いがたい。数分前にはクロトとシャニがどのベッドを使うかで揉めていたし、その騒ぎにオルガが怒り出して。それだって度が過ぎれば兵士か、本艦に帯同している研究員が怒鳴り込んでくる。つまりはまったくのいつも通り。彼らの不満の種は変わらずあちこちに転がっていた。
「大規模作戦だからたくさん人が集まるんだよ」
多分にわたしの推測。それを補強する第三者は窓の向こうのさらに下、ぽつぽつと木が植えられた外庭にいた。再度見下ろしてみると作業着姿の技術官がうんざり顔で、ボロボロの焼却炉に大量の紙くずを投げ入れている。宿舎やその内層はともかく、設備は前時代的を通り越してアンティークといったところ。
ここのロビーに踏み入れたわたしとクロトを見るなり、申し訳なさそうな顔で両手を合わせて案内してくれた年配の職員が彼だった。
「ここにも予算割いてくれたらいいんだけどねぇ。今どき紙って、ねぇ」
第一印象どおりの穏やかな口調で語られたのはあまりにもあんまりな現状。増築もされなければ設備更新も進まない、つまりは投資がされていないのないないづくし。
連合に貸し出されたこの宿舎は、とある軍需企業が買い取ったものだという。
「もしかしてここって割と僻地か? ジーサンが元気なだけの」
「この数時間で四回は見たもんね、このひと……」
ふたりで、壁に据えられたテレビを振り返る。わたしが適当に電源を入れただけでもはやBGMと化した番組の中では、先進技術開発のドキュメンタリーが進行中。そこで取り上げられているのが例の企業の幹部、とても大きくてきれいで燃費もいいらしいとにかくすごい車を手に入れた、オルガ曰く「タヌキジーサン」だった。
「丸顔なところがとくにタヌキだ」
それは置いておくとして。
「暇すぎ、オルガうるさすぎ」
と、ついさっきクロトが部屋を出ていった先、廊下に貼られた購買広報の片隅にもその幹部の名前が印字されていた。出資者だというなら企業の名前があるべきなのに。
「金持ちってみんな偉そうだよな。目立ちたがるし厭味ったらしく笑ってやがるし変なスーツ着てるし」
嫌でも感じ取れる自己顕示欲を、起き上がりながらオルガはそう唾棄する。この町に来て初日の彼がそうなのだから、ずっと暮らしてきた住民たちはもっと不満をため込んでいるだろう。だから、あのジャーナリストたちもやって来たのかもしれなかった。そんなにお金儲けをして、現地に還元しないのならどうするのかと。
「自信の表れなのかも。大成功したんだぞって」
「俺たちもフルに使って、だ」
オルガの持つ「お金持ち」イメージの最たるものは特定の誰かだ。わたしは見かけるばかりでまともに会話したこともない、彼らを育て上げて戦場に連れてきた存在たちのトップ。
彼にとっては、例えここがひとりきりで好きに使える豪華なホテルの一室でもきっと変わらないのだろう。町に上陸したときから、そもそも研究所を出て乗艦するよりもっと、もっと前からオルガの立っている場所は同じ。
誰かの手のひらの上だと、彼は言う。出て行ったところで歩く先すら思い浮かべられないと。
「ここでめちゃくちゃに暴れてやれば少しは鼻を明かせるかもな?」
ぎし、と軋むのはスプリング。振り向けば、オルガはもう自分のベッドを降りてわたしの真後ろにいた。靴を脱いで三角座りをしたわたしめがけて急降下した鷹のように、大きな左手が肩を掴んでくる。
「あいつらごときの技術じゃ完全にコントロールできねぇバケモノを造っちまったって」
揶揄することばとは裏腹の沈鬱な面持ち。それに比例するように浅い呼吸は小刻みに、手は微かに震えていた。視線だけそらして壁掛け時計を確かめたわたしを咎めるように、ほとんど力の入らない指先が私服に食い込んでいく。
「暴れる? 窓でも割って回るの……」
「それより手っ取り早いのがあるじゃねぇか」
唐突に喉に押し当てられた硬いもの。わたしがシーツに放り出していたテレビのリモコンだった。丸ばった角がじりじりと押し込まれる圧を逃がそうとしても、掴まれた肩は固定されている。
余力が偶然足りなかっただけで、オルガは本気だ。
「お前を」
「……オルガ」
――続くはずの決定的なことばが途切れるのと、あえて合わせなかった目をついオルガに向けたのはほとんど同時だった。
息が苦しい。これ以上気道を潰されたら、いよいよ。だから見たくなかった。オルガだって見られたくなかったはずだった。
思考が感情に絡まってまとまらず混線したまま、行動が理性の抑止に勝り、彼自身も何がなんだかわからなくなる錯乱を。
そろそろ、服薬の時間がやって来る。
「出られるよ、そうすればきっと。でも、オルガはそれでいいの」
瞬きは、ひとつだけ。
長い、長い沈黙のあとに落ちてきたのはため息まじりの「よくねぇよ」だった。
「いいわけあるか。兵士を殺したんならよくてこの場で銃殺刑だ」
うなだれながら両手をベッドへ投げ出して。
それはオルガが、望まずとも指図されるままこの部屋まで、ここまでやってきた理由。
「……出かける。アリーシアも来いよ」
やがて、ゆっくりとベッドから降りたオルガは懐を探った。カラカラと乾いた、ピルケースの揺れる微かな音はオルガが意識を向けておく格好の対象になる。
彼は多分、しばらくわたしを見ない。連れて行ってはくれるけれど。
「うん。どこに?」
「ドック。ボーっとしに行く」
「意外」
靴を履き直して、少し痺れた脚を伸ばす。その間にオルガは自分の荷物を無造作に広げて認証カードを探り当てていた。
「オルガ、ああいうとこに近づかないんだと思ってた」
「軍服どもは嫌いだが、ツナギのオッサンたちの仕事はまあまあ悪くねぇ。職人っていうんだろ」
思い出すのは、艦にいた日のこと。
戦闘で吹き飛んだ機体のパーツが直っていくのと、それをしげしげとながめる目を隣で見たことがある。自機への愛着からくる安心よりも遥かに、興味が含まれた無言の数分。さまざまな機械が曲がった板を切り取り、焼き切れたケーブルを抜き、新しい部材を溶接して。
壊れたものがみるみるうちに元の形を取り戻していく過程はまるで魔法のようだった。
オルガも、そんな光景が気に入ったのかもしれない。
「わたしも好き」
「俺は別に好きとは言ってな……いや待て、あそこはやかましそうだな……」
部屋の出入口を押し開けていたオルガはしばしうつむき。
「ヘッドホン貸せ! シャニ!」
わたし――の奥、今の今までずっと窓側のベッドでうつ伏せていたシャニへ投げかけた。クロトとのジャンケンに負けて、いちばん壁掛け時計に近いスペースにしぶしぶ陣取っている。ふたりとも、秒針の音を嫌ったというのがことの次第。
「起きろ!」
返るのは舌打ち。
「お前らの分なんてあるわけねーだろ」
それはそうとしか言えない反論も毛布に埋もれてくぐもった。叩き起こされて不機嫌なのをこれ以上つつくのも無駄だと判断したのか、オルガは軽い挑発に乗ることはせず廊下に出る。
「アリーシア」
すぐ後ろに追いついたわたしを振り向こうとしてやめたまま。
「何で逃げなかった」
その疑問は、わたしに逃げる気がなかったのを知っていたから出てきたものだ。オルガからしたら腹が立つ以外にない、今日このとき命を絶たれても構わないと頭の片隅で自暴自棄になる思考停止。
これまではそんなことはなかったのに。
きっと、この町でわたしたちが待つもののせいだ。遥か頭上、ここからは見えない戦場に行けば数秒先の生存すら不確定になる。そんな予感の。
だから「わからない」としか言えなかった。おかしくなっていく自分が隠せなくて。
ぱたりと、背後でドアが閉じる。
大きな手に背を抱き寄せられたわたしを、シャニは見ていただろうか。
