2

 

 甲板から見下ろしたその姿は、目を焼くほどまぶしかった。それはタイミングの悪さのせいで、実際には車体が返した真昼の日差しただそれだけ。

 仕立てたばかりのドレスのように真っ白な体、そのあちこちに散りばめられる金の星。

 天使の羽を紡いだなら、きっとこうなる。そう思わせるほど美しくて、大きなラグジュアリーカーだった。

「そんなにありがたいか? あんなもん」

 キリのいいところまで読み終わったのか、ペーパーバックを持った手で伸びをしながらオルガが後ろを歩いていく。彼も、あれが本当は悪趣味の塊だと伝え聞いてはいるようだった。

 ***

 6月20日、よく晴れた空に真っ白な雲がぽつぽつ浮かぶ日。

 昨日はかの有名な軍需企業の記念日を祝うパレードがあったらしい。そのせいか今日もこの港町は賑やかだ。抗議デモで。

 プラカードを掲げ、拳を振る住民たちは警備の兵たちの列に詰め寄り押し倒す勢い。

「支社増築反対!」
「私たちの仕事を返して!」
「なーにが納車記念日だよ!」

 ごもっとも。

 このあたりを統括する幹部が造らせた、きらびやかな三つ星エンブレムを戴いた社用車とは名ばかりの私物。それはいわばシンボルだとか。比較的バランスの取れていた地域の経済に突然割り込み、下請け企業の稼働を半ば乗っ取り荒稼ぎした末の例のパレード。住民の神経を逆撫でしたあげく引っかき回すような暴挙への反動は収まる気配もない。そろそろ武装した鎮圧部隊がやってくるだろう。

 例の車は、連合軍の宿舎にほど近い社屋に到着した頃合い。デモ隊がそこまでの道行きをたどるように大通りを進んでいった後は、あたりは一気に静まり返った。それを見計らって小型船から降りたわたしたちの先頭はクロト。ぴょんと港のコンクリートに飛び移ると呆れて通りをながめる。

「うるさかったー。よくあんなに騒げるよ」
「生活かかってんだろ」

 何の気なしにつぶやくとオルガはすたすたと宿舎へ向かい、シャニはあくびをしながらそれについていく。それを少し離れた本艦の上からひとりのクルーが目で追っているのをふたりはとっくに気づいているだろう。ここから宿舎までは寄り道する気も起きないほど近いにも関わらずの、視線。

「あんなの意味ないのにさ」

 わたしの隣で同じように彼を見上げるクロトは、ため息なのか笑みなのかあいまいなそれをこぼす。

 同意を求められたのだとわかっても、飲み込んで頷くには理由が苦い。結局それを隠せもしないまま見つめるばかりになるのを受け取ったのは横目だった。

 伸べられるのは指。

 それに気を取られてクロトが浮かべる感情が幾分か隠れる。きっと本当には見せてくれないだろうけれど。とくに、こんなに開けて明るいところでは。

「変な顔」
「……そうかも」
「アリーシアにとってはいいことなんじゃないの? 僕たちここに戻ってくるしかないんだか、ら」
「ひゃ」

 軽く右頬をつままれたうえ「もっと変な顔」とからかわれるのを黙殺してやるつもりはなかった。表情と裏腹に、本人もわからないほどわずかにだけれどクロトはいら立っている。その訳に対してこちらが勝手に罪悪感を覚えるのが無意味を通り越して同情になることはわかりきっていた。誰のプラスにもならないもの。

 それはそれとして。

「ふはふふ」
「なんて?」

 いら立ちの行く先がわたしの変顔なのは納得がいかない。シンプルにムカつく。倍返しにと両手を構えたところで「取材にご協力くださーい」とやけに遠くからの横槍が飛んできたから矛を収めざるを得なかったけれど。

「いつかクロトのほっぺたも二倍に伸ばすんだから……」
「できるもんならね」

 とりあえずは休戦。列をなす住民たちを追いかけるように向こうから小走りでやってきたのは若い男女のふたり組。手にしているカメラやマイクなどの機材からするにジャーナリストらしい。ちらほらといる通行人に何やら紙を配って回るその動線にはわたしたちも含まれていた。ショートカットの女の子の方から手渡されたのはシンプルな名刺。すぐさま次の相手へと駆けていく背を見送りつつ裏返してみると「今回のパレードについてぜひご意見を!」とかわいらしい手書きの一文が躍っている。

「返事しなきゃダメ? そういうの」
「できないよ、わたしたちからは……」

 わたしと彼女の間に割り込みかけていたクロトは、ふっと肩の力を抜いた。

 そうしてめぐらせた視線の先へ目を細めて。

「広いよね、ほんと」

 返す者のいない遠くへ投げかけて、数秒のあと。

「突っ込んでくるからやべーやつかと思った。アリーシアさぁ、僕よりああいう手合いにすぐ反撃できないとじゃない?」
「ああいうって……」

 振り向きざまの指摘への反論は、ここでは間違いだとわかる。クロトが言う有害な属性なんてひとつもなさそうな普通の見た目。学生さんだと紹介されたら鵜呑みにしてしまえるほどに一般的。そんな人物が実は誰かを傷つけたいと望んでいることなど、残念ながら珍しくもない話だった。ニュース番組では嫌と言うほど目にしている。

 それは彼にも当てはまった。こうして立っているだけならどこにでもいる男の子。

「……そうだね」

 こうしてすぐそばにいて、わたしを見てくれる。それでも、ここにいるのはどこかの誰かを撃つため。望んではいなくても。

 だからこそ。

 黙り込んださっきのクロトが、本当はとてもまぶしそうに海を見ていたことを忘れられない。痛くて苦いその一点は無理やり飲み込んだ。雲に隠れた太陽が照らす薄ぼんやりとした光景を。

「ありがとう、クロト。守ってくれて」
「どーいたしまして。お礼は停泊中のおやつでいいよ」

 イタズラっぽい笑みは、ことさらにつまみやすそう。そうしようとした利き手が名刺でふさがっているのだからクロトはあのジャーナリストたちに感謝すべきだ。二度も助けられたのだから。

「わかりましたー。どこがいいか考えといてね」
「どこって、まさか店に行くの?」
「せっかくだもの。おいしいものたくさんあるよ、ランチもスイーツも」
「そんなの知らないよ、この町初めて来たし。アリーシアのオススメどれ?」

 文句を言いつつもにわかにあたりを見回し始める早足を急いで追いかける。これは後でシュレッダーなりにかけようとショルダーバッグのポケットに名刺を片づけて、ふとわたしたち――先を行ったふたりも合わせて四人みんなが私服姿だと改めて思い起こす。だからあの子も声をかけてきたのだろう。番組に寄せるインタビューの撮影なり、匿名の意見を受けつけるといったところか。

 たとえそうしたくてもできないのはスケジュールのせいでもある。

 わずか一週間後、三人を含む研究チームと、わたしたち戦艦の乗組員は宇宙に上がる。だから、この機会を逃せば地上に戻れるのはずっと後になるはずだ。こういった気楽な格好をしていられるのも。

 

 町を薄く覆う潮騒が、暑くも寒くもない昼下がりを行く足音に混ざってノイズになる。