どこへ

 

 ※長編★★★のさらに後日のもしも話です。

 

 窓ガラスの向こうはまぶしいほどの晴天。雲ひとつない青色それ自体が輝いているかのように目を焼こうとするからカーテンを閉め、室内を振り返る。光の名残が残って、白い壁に囲まれたここが本来より暗く感じた。今日のタスクをすべて終えて、今は午後三時。

 ほかの三人はそれぞれ病室に戻っているころだろうか。

 個室をもらえたのは、四人でこの国に来て――というより逃げ込んですぐのことだった。

 海辺の町の外れにあるこの施設に滞在することになってから。

 ***

 クロトがハンドルを握る高級車が高速道路のゲートに突っ込みかけるところから始まり、集まっていた軍隊による包囲からの収容施設連行からの身体検査。これはわたしたちが武装していないかのチェックで(例のイルカナイフは審議入りのため没収された)、残りはあの記者の女性から紹介を受けた企業に一任された。比較的新興側に位置する製薬会社だ。以前から、各勢力の非人道的な技術革新に異議を唱えていたという。

 三人のレントゲン撮影後、ある年配の女性担当者は悲鳴を上げて腰を抜かしたという。その次の血液採取後は若い男性研究員が三日三晩うなされたという。彼らの検査結果がどんなものだったか、そんな話を伝え聞くだけでわかる。

 ちなみにわたしはやっぱり風邪だったのでお薬を処方してもらえることになった。錠剤三種類、一回にそれぞれ一錠ずつを毎食後。

「頭でも胸でもかっさばかれるかと思った」
「普通の企業運営には人体をかっさばく必要はない」

 ある日、検査室のベッドに寝かされて全身に電極を貼られるシャニが不思議そうにつぶやくのを、わたしたちを迎えてくれた研究チームのリーダーが呆れ顔で拾った。白髪交じりの前髪を厚い手のひらでぐっとかき上げる仕草には少しの疲れと、いら立ちが見え隠れしている。わたしたちがもといた場所に対しての。

「あれを基準に考えるのをやめることだ」
「そういうもんか」

 オルガがどこかしみじみと口にしたのはシャニの隣のベッドの上。彼らはそろって、ほとんど毎日どこかの部屋に呼ばれて何かしらを検査している。具体的に何をしているのかチームのメンバー数人に聞いてみても、困ったように数秒沈黙して「検査」としか答えてもらえないのでそうなのだと納得することにした。

 そうできるようになったのは――彼らがこの企業に害されることは決してないと、ようやく肩の力を抜けたのはこの生活に入って五日くらいしてからだった。そのころにはわたしの体調もすっかり元どおりになり。

「お嬢さんも薬物の影響を受けているね。彼らとは違ってごく初期段階だが」

 そんな告知に卒倒しかけたりもした。そばで聞いていたクロトの顔には驚きと同時に得心があって。

「アリーシア、あいつらに薬持たされてたし」
「あれはただの安定剤だって言われてたのに……」

 とどのつまり、わたしも研究対象に含まれることが決まったという結論になる。リーダーはそれだけ告げて早足にわたしの部屋を出ていった。飲んでいたパックのぶどうジュースを勢いよく飲み干して、クロトはストローを噛みながら半ば感心する。

「いつも忙しそうだよねーあのオジサンたち」
「もうすぐ新規のプロジェクトに参画するんだって、食堂で言ってたよ。外科がどうとか、同意がなんとか……」
「ほとんど何もわかってないじゃん」
「話してるのを聞いただけだもの」

 自分たちを取り巻いている環境のすべてに説明があるはずもなく、求めても得られないことは企業機密も絡んで多々ある。それが当然だ。ここではまだ、わたしたちは新参者で部外者。温かな歓迎も、そしてその対極である冷遇もない。

 あまりにも短い期間ですべてが一変した身には、それがいちばん遠慮なく受け取れる形に思えてならなかった。

 ***

「俺たちの仕事は情報提供と、そのための体調管理、なんだとよ」

 息も絶え絶えの皮肉はまったく威力がない。

 トレーニングルーム奥でシャワーを終えて出てくるオルガはいつも足をふらつかせていた。次はわたしがこうなる番で、その後はシャニとクロト。ふたりともリフレッシュルームのソファーに散らばりながらオルガの疲労ぶりに顔を引きつらせている。

「わたしまだ筋肉痛が収まってないよ……」
「だよね! 健康維持っていうより肉体改造じゃない? 僕たちがやってるのって」
「だから改造なんだろ、ほんとに。続けたらアスリートにでもなれるかも」

 シャニは腕時計から控えめに響くアラームをすぐに止めて、ジーンズのポケットから取り出したピルケースの中身をミネラルウォーターで流し込んだ。空になったペットボトルをぽいと放り投げる放物線は、見事にごみ箱へ飛び込んでいく。

 この施設でわたしたちにそれぞれ与えられたのは毎日のルーティーンだった。食事、運動もといトレーニング、睡眠、そしてカウンセリングと服薬。そして定期的な休養日。

 これは治療だった。

 度重なる調整(と、わたしのカウンセリングを担当する医師は形容した)を受けた彼ら。その調整に入るための服薬を一定期間続けていたわたし。全員でこの企業と取引をした。わたしたちを新薬開発のサンプルとして扱う代わりに、ごく一般的な日常生活を送れるように手助けしてもらうこと、と。

 今は、彼らに埋め込まれているインプラントをどうするかでチームで議論が紛糾しているという。けれどそれもあさってには中断する。職員全員が交代で一週間の休暇を取る時期だからだ。取締役の故郷ではこの季節に里帰りをする風習があるとか。廊下ですれ違った制服の女性ふたりは、楽しそうに旅行の計画を話し合っていた。

 ***

 示し合わせるでもなく、わたしたちが集まるのはオルガの部屋になっていた。当のオルガは「騒いだら叩き出す」のスタンスで黙認してくれている。けれど棚はおろか床に侵食しはじめたクロトやシャニの荷物に頭を抱えてもいた。ベッドの枕元に接続されたアダプターでは、オルガの端末を追いやってクロトの携帯ゲームが充電されていたりする。その中にはわたしがダウンロードしたアプリも入っていた。錬金術士の女の子が卒業試験を頑張るシミュレーションゲーム。

 見た目にも賑やかになっていく室内での最近の話題は、驚いたことにわたしたちにも与えられた休暇のことへ傾いていく。

「リフレッシュに旅行にでも行ったらどうだ」

 と職員たちにすすめられはしたものの、二日話し合っても方針すら定まっていなかった。だったらひとりひとり好き好きに出かけたらいいのでは、という提案はなぜか誰の口からも出てこずにこちらも紛糾している。今日は改めて各自の希望を出すことになっていた。

「海!」

 クロトは言い張る。ダイビングや釣りを夕方のニュースで詳しく知ってからずっと興味をひかれているのだとか。ヌシを撮影してブログに上げるらしい――いつの間にアカウントを作ったのだろう。今度フォローさせてもらうことにする。

「山だろ!」

 登山だとオルガは張り切る。けれど彼が言っているのは正確にはクライミングだとわたしたちは知っていた。ここ最近で自覚できるほど筋力がついたのを試したいと闘志をみなぎらせている。ついでに体力比べ。

「お芝居見に行きたいな」

 わたしの提案は「近場過ぎる」と全員に難色を示されてしまった。それもそのはず、劇場はこの施設の最上階からその屋根が見えるほどの近所だ。確かに旅行感は薄め。

「シアの家」

 シャニはピンポイント。単純明快だった。難易度を除けば。

 結局、このうち過半数の票が投じられたのはわたしの実家だった。観光施設では当然なく、普通の民家。それこそ旅行感がないのに。と思っているのはわたしだけで、彼らにとってはそんなことはないらしい。クロトはベッド(もちろんオルガのものだ)に腰を据えたまま旅程の検索に入っている。判断が早い。

「俺も気になってた、それは」
「もう誰もいないよ……」
「アリーシアがいたところが見たいんだってば」
「どんなとこなんだ? ド田舎か大都会か?」

 荷物整理用の折りたたみボックスに座って身を乗り出すオルガの視線に込められた期待を、なんとなく受け止めきれなくてパイプ椅子の上で身じろぎした。床に直接腰を下ろして数日分の新聞を積み上げていたシャニがわたしを見上げる。

「だめなの」
「そうじゃないよ。でも、すごく遠くにあるの」

 それでも。

 玄関の扉の木目すらはっきりと思い出せる。学校からの帰り道を小走りに、急いで家に入ると紅茶のいい香りの向こうから「おかえり」が聞こえて、それに応える当たり前の日常の風景。温かな夕食や油彩、洗剤の香り、家族やわたしの笑い声。今はそのすべてが失われた場所だった。鍵はわたしだけが持っている。

 軍に入ってからは、たまの休暇にたった一日だけでも帰っていた。それも今は。

「ずっとずっと遠いところになっちゃったなって。そう思っただけ」

 自分の家なのに、帰るのは難しくなってしまった。

 あの車は軍が持って行った。外出は申告制。どこにでも行けるわたしたちは、しばらくは健康状態の急変に備えてこの町を長く離れることは禁止されている。

 それでも、目の前に広がる景色になんの制限もなくなった心地だった。ここは宇宙より、海より狭いのに。

 だから、なのか。

「じゃあ、行くのは次だな。何十日でもここを空けられるようになったらすぐに」

 これまでの話をまるで困難だと感じなかったかのようにオルガは結論づけた。ベッドを振り返って、クロトに「ルートは保存しとけよ」とまで念押しするほどに。その直後に部屋に鳴り響く複数の通知音はメッセージの着信だ。

「当たり前でしょ、絶対忘れたくないし……ほら、ルームで共有しといたよ。この前作ったやつ」
「わたしの家、来てくれるの?」
「いちばん行きたい場所だ。お前みたいなのが育ったんだろ」

 オルガのことばに黙って頷きながら、シャニは端末をまじまじとながめている。横から見せてもらうと、クロトに送られたルート情報をさっそく確認する画面だった。推奨は空路。長旅になる。

「うまい飯もすごい景色もいいけどさ。単純にいちばん行ってみたいっていうならアリーシアがいたとこだよ。僕は」

 続けざまに何個も送られてくるのは観光情報のページ。スイーツや美術館、動物園……すべてわたしがいた町から鉄道で行ける名所だった。あまりにも多いから「通知がうるせえ」とオルガは手元で音量ボタンを連打する。

「クロト、情報絞ってんなよ。ぜんぶ回るに決まってんだろうが、山も海も、芝居小屋も」
「なー、ライブハウスは」
「その持ってる板で探せよシャニは!」

 ――ごく一般的な日常生活。

 企業との交渉のテーブルに出てきた一節をふと思い出す。それは例えばこんな、目の前で言い合っている物騒な光景のことかもしれなかった。ずっとこうしていられたらと望む光景のことかもしれなかった。

 そして、いつかあの家の玄関を当たり前のようにくぐって帰ってくる彼らの姿。