「そういえばさぁ」
バッグの肩ひもを掴んでぐるぐる大きく振り回していたクロトがふと振り向く。その先には彼の発言をぎりぎり拾ってよそ見をやめたオルガがいた。数分ぶりの会話に意識を向けるのは全員遅れ、ばらばらと不揃いに。
「その金塊みたいなのって何?」
「これか。見るからに金目のものって感じだろ」
彼がずっと握りっぱなしだったのは、わたしも目にした例の鈍器。
「あ、わたしも気になってた。なんでこれ選んできたのかなって」
「武器になるかと思ってよ。あとせめてもの嫌がらせにな」
「こすい」
「あぁ?」
シャニに凄みつつオルガからクロトへ渡された箱は、クロトがちょうど握り込めるほどの大きさだった。くもりの夕方の暗がりでも、金をそのまま箱にした、または貼りつけたような単調な光沢がある直方体。
三つ星の飾り彫りも相まって、宝箱めいた風体をしている。
「へー、けっこう重いんだ。それにしても開かないね、これ」
今度は上からわし掴みにして持ち上げられるそれを、立ち止まったシャニは横目でながめ。
「そこ」
ふと指さした。
「なんかある」
「裏のこと?」
クロトが箱をひっくり返す。確かに底面に書き込み――正確には、彫られた数字がひとつずつ収まっている四角形がぴったりと敷き詰められていた。
どこか見覚えのある、を通り越して親しみすら感じる並び。
「テンキーだ……」
***
「開いた……!」
「なんだよパスコード式だったのか? 中身は?」
箱の中からころりと落ちてきたのは、わたしの手のひらよりもさらに小さな金属だった。凸凹、溝――どこを取ってもモチーフがわからない複雑な意匠の、まぶしい白色をした鍵。
雲が去り明るさを取り戻しつつある空の光を返して、プラチナのようにきらりと輝く。
「あの車の、か」
「今どきカードキーじゃねーんだ」
「というか鍵だけあっても無駄じゃん?」
わたしの手からオルガの指につまみ上げられ、今にも投げ捨てられそうなところをとっさに阻止する。鮮明に思い出すのはあの車の外観だった。大きくて、朝の光から生まれたように白がきれいな、視界がくらむきらめき。
目の前もその先も照らしてくれるのだと思えてならなかった。
「ううん、クロト……使えるよ」
確信を込めて伝えたことばに、けれど全員がわたしを見下ろす。
「は?」
「何吹いてやがる?」
「僕の想像言っていい? 引き返す気?」
「えぇ……」
ひどい顔でひどい言いよう。同時に正論でもある。ここまで歩いてきた時間は決して短くはなかった。
それでも、今の自分たちが取れる最善を行けば十分おつりがくる。距離も時間も、選択肢においても。
「わたしたちみんな運転できるもの。行けるよ、どこにでも」
濡れた軍服が呼び込む寒気を追い払うように、お腹に力を込めた。ことばを重ねて説得するという決意も兼ねて――けれどそれは空振り、シャニはうっすらと笑んだ。
トンネルに背を向けて。
「罪、重くなるな」
「うそマジで戻るの? 今から? 車ぶん取りに?」
クロトに至っては明確に口調と表情が食い違った。まともではない提案を非難し引きつる唇が、いつしか牙を剥くように苛烈な笑顔を形作り。
「正気じゃないよアリーシア、壊れたの?」
「ここにいる全員元からそうだろうが」
オルガが箱をクロトのバッグにねじ込み、それが合図だった。
「行くぞ」
体がこんなにも軽い。
「かけあーし!」
「シアがいちばんスタミナないだろ」
「もしものときはシャニが担げばいいじゃん」
「いや、案外行けるかもな」
今きた道をまっすぐ見据えていたオルガは、ふとわたしの額に手をやり貼りついていた前髪をぐっとかき上げた。
力強い手つきで、視線で。
「アリーシア、今日いちばんいい顔してやがる」
***
「支社長! 今度は車両盗難です!」
電話口に大声でまくし立てる、神経質そうに歩き回る男性を観察できたのは一瞬だった。彼のグレーのスーツを破れそうに翻らせ、社屋の正門すぐ前を走り抜けた車はわたしが運転しているから。フロントガラスの隅で、彼が細いフレームの眼鏡越しに目を見開いていたような、いないような。とにかく安全運転しつつ急ぎもしたいから前を向き続けなくてはいかなかった。想定の何倍も勢いよく後ろに流れていく景色が爽快――よりは恐ろしさの方が際立つ。
「アリーシアもっとスピード出せよ! できるだろ!」
「まだ町中だから!」
助手席に乗り込んだオルガが横からアクセルを踏もうと画策するのを、肩で押しやりたいけど悔しいことに射程が足りない。システムに登録済みで、自動運転を信用できる高速道路に差しかかるまではなんとしてもわたしがハンドルを握っていたかった。
「止めてくるやつ全員にぶつけようぜ」
「うわこの車ナントカ大佐ってやつも認証済みじゃん! あームカつく、このまま大佐のとこに突っ込もうよ」
「物騒!」
人死にが出かねない。
最大のセキュリティが宿舎に預けてあったからなのか、車の周りに見張りらしき人員はほとんどいなかった。それをいいことに全員でこっそり乗り込んでみれば、新車特有のレザーだの塗装だのの匂いで一気に(そしてなぜかわたしだけが)くらりとする――その隙にオルガが遠慮も情けもなくアクセルを全開にし、社屋の裏門を発泡スチロールのように軽くぶち破り、そして今に至る。なんとか運転を代わらなければどうなっていたか。
右折して大通りに出た途端、通行人の視線が車体に吸い寄せられてくる。あれほど派手に批判されていた問題の象徴が暴走気味に走ってきたらそうなるだろう。ぽつぽつと灯りはじめた街灯にとても明るく映えるのも加えて。
「ん、開いた」
そんな事情は気にもせず、リアドアについていたボタンをシャニが押し込むと同時に彼の横の窓が開き、風を切る音が鋭く入り込んでくる。左折のタイミングで車内を覗き込む住人たちの大声も散り、聞き取りづらいくらいだ。
「あんたたち社員……いや軍人さんか? さっきの爆発音はなんだい?」
「なんか燃やしてた」
「見られたらヤバいやつだったりしてな!」
オルガが割り込むことばに、交差点にいた壮年の彼らは一気に色めき立つ。「火元のくせに」とクロトがにやつく間にその姿は後方へ流れていった。バックミラーでそうっとうかがってみると、交差点にひとりまたひとりと住人が手招かれ集めりつつある。
「オルガ、見られたらダメなものって?」
「さぁな。それっぽいこと言ってれば勝手に邪推すんだろ。あいつら、この車買ったタヌキが大っ嫌いらしいしな」
「なんかあいつらブチ切れてたんだけど。笑える……」
後部座席備えつけの端末をあれこれ弄っていたクロトの手がふと止まった。隣に座るシャニがタブレット状のそれを覗き込んだとき、通行料金認証のサウンドが「ぽーん」と間延びして響く。
搬入の関係かオーブ方向の高速道路のゲートはすぐそばだった。なんとか進入できたと安心するのも束の間、端末からつんざくような怒声が飛び込んでくる。
とうとう明確に咎める者が現れたという危機感よりは単純な不快感の勝る、ざらついた。
「貴様ら! 理事になんと説明すればいい!」
新車のオプション品から出てきたなんて認めたくないほどガサガサに掠れた、男性のもの。これまで何度も耳にしてはいたタヌキ改め支社長の声だ――宣伝用に加工されていたらしい聞き心地のいい語り口とはほど遠い。
「酒焼けですかぁ?」
「煽らない煽らない」
画面越しにクロトがからかうのを、オルガは助手席から身を乗り出して振り返り。
「なぜ逃げようとする!?」
「行きてぇところができた!」
答えた。支社長の勢いをひっくり返す大声で。
「それだけだ」
表情のわからない相手を突き刺す鋭さで。
束の間、真横を見てしまった。そしてルームミラーを。
彼らは決然と、飄々と、泰然とここにいた。熱くなる胸に呼吸を忘れかけたわたしのそばに。
直後ヘッドライトが自動点灯し、今が夕方と夜のはざまだと場違いに気づいてフロントガラスへ向き直る。真っ白な光が、先の掴めなくなっていく暗がりを一直線に貫いていた。
「そうそう。最初はやっぱカツサンドでしょ!」
「俺はナポリタン。卵が敷いてあるやつ」
「なんだ寿司派はいねぇのか? 町に看板があっただろ五つぐらい」
「わけのわからんことを言っていないでそれを返せ!」
三人の希望を聞きもしない彼の背後では、ばたばたと複数の足音らしき騒がしさが続いている。対応に追われている、という状況なのかもしれなかった。わたしたちの確保、住人たちへの対応、関係各所主に連合軍への説明もとい弁明――思いつく限りでもこんなにある。
おおごとだ。わたしたちがそうした。
「あと人質を解放しろ、いるだろうひとり!」
「ついでみてーに言うじゃん」
「……人質って……?」
なんとか呼吸を整えたころ、この場の全員の視線がこちらへ集まっていることを察する。「なぜわからないのか」と言わんばかりに呆れている気がするけれど、その理由を知ってはいけない気もした。理不尽すぎるから。
「……やっぱりわたし?」
「シアがいちばん人質っぽい顔してんだろ」
シャニの解説に頷く者が二名。心外だ。
わたしだけが蚊帳の外だなんてことは、絶対に。
「わたしは……」
思いきりアクセルを踏んだ。真っ先に浮かぶのはほっと笑顔になる優しい味。
今この瞬間のような。
「大きいいちごケーキが食べたいなー!」
「共犯ではないかこの女ぁ!」
彼ががなり立てるのはこれが最後だった。シャニが唐突に振り上げた拳を画面に叩きつけ、通信はそれでおしまい。どんなありさまになっているか直接見なくてもわかる。
「……うるさかった。いいよな別に」
「なんにも問題ないよ」
「あれこれ追いかけてくる前にずらかろうぜ」
「まずどこ行くの? アリーシア」
「うーん……」
考えながら運行をオーブ方面の自動運転に切り替え、水を吸って乾ききらない軍服を脱いで膝の上に丸めた。苦しいくらいもどかしくて、それなのに頭を悩ませるのが忙しいほど楽しくて。
もしこれがオープンカーだったなら、両腕を掲げていたのに。
「最初はどうしよう? これから行きたいところ全部行けるもの」
「僕、こういうことなら迷うの嫌いじゃないかも」
「当てがないでもない……お、これだ」
笑うクロトがわたしのシートに寄りかかる下で、オルガは手探りで鞄を引っ張り出した。そのポケットからさらに取り出したのは、くしゃくしゃになった紙片。名刺だ。シャニが「嘘だろ何時代だよ」とげんなりしながら開いたセンターコンソールの中の自動車電話へ乱雑にキーを叩き、車載スピーカーに響く相手の声を待たずにいきなり呼びかける。
「町に来てた記者か? あの企業をいちばん潰したがってる同業はどこにいるか教えろ、俺たちは手土産持ってそこに行くからよ」
「え、どちらさま? あ待って、詳しくお願いね?」
女性の声が当然、驚きを隠せず返ってくる。この名刺をくれた女の子のものによく似ていた。オルガが「連合でこき使われてたパイロットもどき」と身も蓋もないことを言ってさらに戸惑わせてしまうのを、クロトが座席から浮くほど前のめりに補足する。
「あれこれいじくられた強化人間! 三人! いろんな企業機密を知ってたり知らなかったり頭ん中に埋められたりしてる!」
「と、風邪引きかけの脱走兵がひとり」
シャニが唐突につけ加えてすぐ、寒気とともにくしゃみが出てきてしまった。前途は多難。
「僕が代わるよアリーシア、というか運転させてほしい絶対楽しいこんなデカい車」
「ふざけんな俺だろ。スタートダッシュも俺だったしな」
「じゃあ途中が僕でもいいだろ!」
「とにかく、すぐ迎えに行くわね。というわけで今走ってるところを次の次で降りて……」
クロトとオルガがつかみ合うのを置いて、彼女はこちらの位置情報から合流地点へのルートを割り出してナビに送ってくれた。オーブの小さな港町、目印は灯台だとか。
「……着くんだからなんでもいいや。シア俺寝る」
「うん。おやすみ」
「ん」
がたがた揺れる車内でシャニは背もたれに崩れるように倒れ込んでゆっくり目を閉じた。確かに今日はとても疲れる一日だった。多分、明日からはいろんな意味で忙しくなるだろう。
彼女にお礼を言って通話を切り、ふと窓の外をながめる。景色がきれいだよ、とみんなに教えてあげたい気もしたけど、そうっとしておくことにした。これから毎日だって見られるから。
肌寒さを忘れるくらい、満天の星空の下。
