夕暮時の悪人

 

 どこか遠くに行きたいな。

 使い古されたことばが、まさかこの「穏やか」「真面目」ということばを体現したようなマネージャーから出てくるなんて思わなかった。

「本気?」
「本気だよ」

 真夏の真昼。晴天の下で、御巫ちゃんはどこかとろんとした、疲れた目で頷く。夏バテ気味だとか、連日の練習だとか、進路のことだとか、思い当たる節はいくらでもあった。

「それってさ」

 思考が急速に回転を始める。世間的に褒められはしないだろう方向へ。

 お互い、家族は長く家を空けている時期だ。

「オレがいっしょじゃダメ?」

***

「綺麗だねー」
「ねー」
「千石くん、こっち、こっち行こ」
「ハイハイ、仰せのままに」

 目の前に広がる水平線。きらめく波間。真っ青な海を目の当たりにした御巫ちゃんは、はしゃぎながら砂浜を小走りに行ってしまう。空色ボレロの下の真っ白いワンピースは、オレがこの前プレゼントしたもの。そのとき御巫ちゃんからもらったチェーンを模したカッコいいブレスレットは、もちろん今オレの腕にある。

 電車を乗り継いで数時間。夏休みというのも相まって、知り合いに会うことはまずないだろう。それでいい。少しくらい、みんなのマネージャーをひとり占めしたいから。

「サンダルに砂入っちゃうね」
「気にしない気にしない! あ、御巫ちゃんの今日のラッキーアイテムはソフトクリームだよ」
「あ、海の家の!」
「そうそう、さっき見てたでしょ? 後でいっしょに食べよ」
「うんっ」

 にっこりする頬は少し赤い。普段から日焼け対策を頑張っててすごいと思うけど、白い肌にこうして幸せそうな色が差すともっともっと綺麗に見える。

 同学年の部員はそれとなく察していた。御巫ちゃんの元気がないこと。彼女がどんなに隠そうとしても、酷暑の連続じゃ限界があった。

 オレなら、御巫ちゃんを励ましてあげられる。そんな自負は間違いじゃなかったようで、嬉しい。

 そして、あの満面の笑顔を見て改めて思った。オレだけのマネージャーで、オレだけの御巫ちゃんでいてほしいと。

「千石くん」
「ん?」
「ありがとね。連れてきてくれて」

 はにかんだ笑顔で、御巫ちゃんは振り返る。「どーいたしまして」なんて言って、本心を隠しながらさり気なく手を引いた。緩く握り返す小さな手が、可愛い。

***

 少し泳いで、約束のソフトクリームを食べて、海沿いの繁華街で軽くウィンドウショッピングをして。夕方の真っただ中、御巫ちゃんは遊び疲れて寝入ってしまった。

 駅の入口前、待合室のベンチで休む子どもふたり。何もおかしなところはない。おかしいのは、ここに乗客も係員も誰ひとり通りがからないことだ。

(……いーや、オレは理由を知ってるんだよ、鞠花ちゃん)

 夕日のオレンジ色が、白いワンピースを染める。強めの海風が、暑いはずの空気を適度にかき混ぜてくれる。

 この●●線は、今日の昼間から局地的に工事を始めている。以前からの送電事故多発を受けてのことだ。近隣には何週間も前からお知らせされているし、オレたちのところでも、実は新聞で小さく報道されていた。

 今日から数日、ここには電車は来ない。代わりのバスは明後日から運行する。御巫ちゃんは何も知らない。何も知らないまま、オレとここに取り残される。

「御巫ちゃん……鞠花ちゃん」

 オレが全部全部仕組んだことを知ったら怒るかな。これから少なくとも一日、オレといなくちゃいけないことを知ったら驚くかな。

 でも、万に一つでも、喜んでくれたら。あの憂鬱そうだった日常から引き離されたことを少しでも喜んでくれたら、オレがほんの少し悪いやつになったことは報われるかな。

 そうっと、風で乱れた綺麗な髪を指先で整えてあげる。