05

「これが飲みもので、こっちが果物。ロクシスご飯は食べられるんだよね? 少しでもお腹に入れないとね」

一見、ではもちろんなく正真正銘の良心がここまで胃に突き刺さることはあるのだろうか。机に次々と差し入れを並べていく見回り担当の名前はヴェインといった。入口で寝そべりそれ以上近寄ろうとしないサルファが、視線だけはじっとこちらに向けていることにすら過剰に神経を持っていかれる理由は毛布の下にある。

「……手間をかけた」
「元々当番だから気にしないで。そういえばノルン」

――もぞ、と動いた毛布を上から押さえる。慌てたように小さな手があちこちを探るのは完璧に隠れられているか不安なのだろう。見つかりたくなければ大人しくしろと毛布越しに指先を掴むのはヴェインから見たらどう映るのか。

まさかこの下に話に上るノルン本人が潜んでいるとは夢にも思うまい。彼女が小柄なのが幸いし、私に密着していれば体の一部すら外にはみ出ることはない。

問題は体温だった。近い、熱い、そんなことよりノルンの存在自体を感じる。

「ノルンが、どうした?」
「先に寮に来てたはずなんだ。お見舞いはもらった?」
「あぁ……林檎を届けてもらった。そこに」

本棚の脇へ避けていたサイドボードへ視線を投げた。白い皿には小包丁とともに未だ数切れが残されている。

「あぁ、ほんとだ」

遠慮がちにそこらの椅子に落ち着いたヴェインはくすりと微笑む。

そのタイミングを見計らったかのように、可愛らしく耳の跳ねた林檎のうさぎがころりと横転した。

「ロクシス、手先が器用なんだね」
「まっ」
「ま?」
「ま……あ、な。調合の感覚を忘れないようにしている」
「細かい作業多いからね。すごいや」

――腹の横でノルンの鼓動を感じる。そこには自分自身のものも含まれているかもしれないが真偽は定かではない。彼女に作ってもらったものにわざわざヴェインの注意を向けさせるなどなんと迂闊なことをしたのだ――とはいえ、この時刻この場所に女子がいるはずはないという先入観が幸いした。私(たち)の挙動不審に彼が気づくことはなく、またしても荷物を覗き込んでいる。

「フィロが安眠香を作ってくれたんだ。資料館の奥からレシピを見つけたって」
「そうか……それなら、もう火をつけておいてくれるか。この機会に熟睡したい」

とくに深い意味はない。ここにもうひとりいるということにだって関係はない。ただ普段の寝不足を解消しておきたいだけだ。

――頭が痛くなってきた。誰に言い訳しているのだろう。

「了解。みんな心配してたんだ。ロクシスは普段夜ふかしすることが多いだろうから……ノルンも」

ふっと部屋に滲み始める甘い、それでいて植物の微かな苦みも感じる香り。最近の調合で火薬系を扱うことも多かった分、多分に新鮮な空気のように思えた。マッチを消して安眠香の受け皿に片づける手を見ている間に、ふと彼女が大人しくなったことに気づいた。この前までは彼女の方が体調を崩している側だった分、効果はてきめんらしい。事態は何も好転していないがノルンがパニックになる可能性は下げられるだろう。

「ねえ、ロクシス。戻る前に聞いておきたいんだけど……」
「何だ?」

諸々の要素に緩み始めていた緊張に、響きだけは柔和なことばが突き刺さった。

「ノルンのことが好きなの?」

――毛布の下の反応はない。もう眠ってしまったのか、ヴェインが言ったことの意味も解せないほどぼんやりしているのかを確かめるすべはない。ここで彼に相対するのは私ひとりだけだった。少し照れたように視線をあちこちに泳がせながら「だから何ってわけじゃないんだけどね」とつけ足す彼に、他の生徒たちが持っているような下世話な好奇心がみじんもないことしか読み取れない。動揺のせいだ。ヴェインはむしろそういった話に疎いを通り越して興味がないのだと思っていたのに。

「……真面目で、親切だとは思っている。それがどうした」
「いつも思ってたんだ。ロクシスがあの子を見るときってとても優しい顔してるなって」

あれきりぴくりとも動かなくなった温かな手を密かに感じながら、目をそらした。

「……話のついでに聞くが、その逆はどうなんだ」

私を中心とした話題にそれ以上踏み込むことを嫌って混ぜ返した。

すでに自覚はしていた。ノルンが好いてくれていることもわかっている。しかし、その「好き」の色まではわからない。

彼女が大切に思っている者は大勢いる。ロクシスというひとりがその中にいることも。そんなささいな事情のみを根拠に自惚れることだけはプライドが許さなかった。ほしいのは客観的な見方と、叶うならばノルンの本音。後者を持つたったひとりの人間は皮肉にもいちばん近くで恐らく眠っている。

「逆って……あの子がロクシスをどう思ってるかってこと?」

意外そうにする家族を、その背後で無言を貫く黒猫はちらと見やった。

ヴェインはぽかんと目を丸くする――不意に訪れた数拍の空白は、何を意味しているのだろう。