朝いちばん。教室またはアトリエで彼女を捕まえるのにうってつけのはずのあの時間、どこで何を聞いても帰ってくる答えは同じだった。
「さっき窓から出て行った」
おかしい。ノルンはそこまでアグレッシブな女子ではない。あのアトリエを基準にするならば、だが。彼らのことばを鑑みるに、彼女は私の接近を予期して脱兎のごとく逃走を決め込んでいる。
――責められた話ではない。
昨日、何とかヴェイン(の方だけ)の目を欺くことに成功した直後に私にも安眠香の効果が訪れた。緊張状態が途切れたのだから当然といえる。
そして目が覚めたとき隣にノルンの姿がなかった時の私の気持ちを誰にぶつければいいのか。
これもまた窓から脱出したのだろう彼女は、病身を気遣って黙って行ってしまったらしい。そこまではわかる。わからないのはこの焦燥感のようなモヤモヤだった。
不本意に私の添い寝状態になり、不本意に眠り込んでしまった人間――それも女子のとっさの行動として何もおかしなことはない。到底誰かに吐き出すことのできない事件だというのもあるだろう。そう、ノルンの反応を検証することに何の意味もない。
異常をきたしているのは、こうして授業に集中できずにいるロクシスただひとりだった。
「――ということよ。燃焼は必要だけれど、煙で部屋をいっぱいにしては意味がないわね。以前は陶器の器に安定剤となる素材を載せることで香料を調整していたと前々回の講義で……」
「香料……」
「質問があるのなら後にしなさい」
イゾルデ先生は首を傾げながらも参考書の解説に戻る。
質問なら山ほどあった。どうしたらノルンと元通り話せるようになる?
***
簡単なことだった。捕獲すればいい。話はそこからだ。
「助けてください! 暴徒化したロクシスに追われてます! 助けてくれないならせめて道を譲ってください!」
ここまで大声を出せたことが驚きだった。ノルンは恐らく人生初であろう廊下の全力疾走に明け暮れていた。そのことばどおり追手は私。
「ノルン先輩が壊れた……」
「暴徒化したロクシスって何だよ」
「レヘルン投げるべき?」
「え、それってどっちに?」
狙い通り野次馬がぞろぞろと周囲から集まってくる。彼女を捕まえるのも時間の問題だろう。
「今日こそはこちらを向かせてやるからな!」
これが運動によるセロトニンの効果というやつだろうか、いっそ清々しい気分になってくる。とはいえ、いざノルンを追い詰めたところで何を言うべきか決めているわけではなかった。ただ、この状態を放置していたらいずれ後悔するだろうという根拠のない確信があるだけ。
あの日の、ヴェインの表情を思い出す。「何を言っているのか」「本気で言っているのか」とでも形容できるほど、不思議そうな。
自惚れていいのならば、この大捕りものに全力をかけられる。ノルンのことを思えば酷だが、つきあってもらおう。
