03

 瞼を掠めていったのが雨粒だと気づくのにはいくらか時間を要した。その頃には目の前で展開していた対決はすでにお開きとなり、各々適当に固まって花を眺めたり木に登って景色を楽しんでいたが――その全員が一斉に顔を上げた。

 輝く日の光を遮る、厚い雲。

 隠れて、と声を上げたのはニケだったかパメラだったか。ぽつりと落ちた雨が見る間に勢いを増すのを半ば呆然と見ていたノルンの手を引いて木陰に駆け込み、なるべく幹に身を寄せた。生い茂る葉が傘になり雨宿りには最適だ。

「にわか雨でしょうか……」
「そうだろうな。予兆もなかった」

 決して広いとは言えない領域の中、自然と互いの腕が触れる。白く滑らかな肩の曲線を伝う雫がふたつ、目で追う隙もなく根元に落ちていった。そんなことにすら気づけるほどの、ないと形容した方が正しい距離。

 さらさらと軽やかな雨音が注ぐ。いっそ暖かささえ感じるはずの静謐さを乱すのは時折吹きつける風だった。晴れていた間は心地よい涼しさを運んできたというのにこの有様では濡れた体を急速に冷やすばかり。

 隣でこぼれる小さなくしゃみが、それを如実に示している。

「あ、ごめんなさい……ちょっと寒くなってきましたね」
「着ていろ」

 心情的には「着ていてくれ」が適切だが。パーカーを脱ぐのをぽかんと見つめるノルンは意図を察して慌てて止めるが、その理由が「ロクシスが寒いでしょう」なら聞くことはない。何よりその華奢さが外気に晒されて平気でいられるとはとても思えなかった。少し扱いを間違えたらあっさりと傷ついてしまいそうな、皆と肩を並べて戦闘をこなしているのが不思議に思えるほどのたおやかさから努めて目をそらす。

「客観的に考えてほしいものだな。私と君、どちらが寒さに弱いか」
「ロクシスです……」
「なん、だと……!? いや待ってくれ君は半病人だ、そこを加味するべきだろう」
「えぇ……」

 力技で反論を封じたところに頭からパーカーを被せた。アトリエの頭脳労働担当だという自覚はあるがノルンほどではない、はずだ。にわかにくるまれる肩や背の辺りを整えてやれば、十分とは言えないにしろ雨風避けにはなる。ほっと息をついたところでふと思い浮かぶのはヴェインら他の男性陣だった。グンナル先輩は言わずもがな、どのような質量の剣も使いこなすヴェイン、そもそも地上の物理法則が適用されるかすら怪しいムーペ。

「私ではなく周りが異常値なんだ!」
「どうしたんですかロクシス!?」
「……何でもない、改めてとんでもない環境にいるものだと我が身を哀れんだだけだ」
「意味はともかくことばの上ではわたしも賛成です」

 くすぐったそうに笑って、ノルンがこちらを見上げた。その頬に張りついた髪を避けてやると笑みはさらに深くなり。

 とんでもない環境とやらに引きずり込まれなければ、きっとこの表情を知ることもなかったのだろう。大人しい優等生かと思えば、無法地帯に等しいアトリエの中でもマイペースでいられる根性の持ち主だということも。

 私のような捻くれ者のことばを嬉しそうに受け取ってくれることも。

「目が回りそうなくらい毎日何かが起こって、慌てたり叫んだり。とっても楽しいですよ」
「ノルンは……なかなか豪胆だな」
「ロクシスが繊細なんです。……だからわたしのことも気づいてくれたんでしょう? 指摘されるまで単なる寝不足か何かだと思ってたんですから」

 風向きが変わり、雨が角度をつけて降り込み始める。来てください、とノルンが控えめに腕を引くのに合わせてさらに身を寄せ合った。図らずも左腕にノルンが抱きついている形になり、互いの体温がじわりと溶けていく。

 温度に柔らかさがあることなど、知らない。

「……ごめんなさい、こんなにくっついて」

 そう言ってうつむくのは、視線をそらしたかったからなのだろうか。

 ――きっと違う。互いに、考えていることは同じはずだ。

「構わないさ。ふたりして冷えるよりは」

 ここに至ってまで憎まれ口の形を捨てられない自分の性根が憎らしい。

 本当は、胸の熱さと鼓動の速さに気づかれないことを全力で祈っているというのに。