食事内容。
起床時間。就寝時間。眠りの深さ。
服薬のタイミングと量。
戦闘シミュレーションのレベルと撃墜・被弾の傾向。その計測後のカウンセリング。
血中成分。
筋肉量。
体温。
心拍数。
日々のあらゆることは数値で記録されているらしい。必要のないデータは後で破棄されるか、そもそも計測していないのだとか。例えば今日待機室のモニターで流し見たニュース。
自分のこととはいえ興味が失せて久しく、体内のどこか数ヶ所にあるマイクロチップの存在も慣れた。何かしらのデータをどこかしらに送信しているという。まるでこの体が数百のグラフの集合体のようだ。
あやふやで、それでも周囲は滞りなく進んでいる。
アリーシアもそのうちのひとりだった。明日停泊する港での補給の準備に手間取っている。具体的はいま目の前で、背伸びをして倉庫のスチール棚と格闘するなど。長くはない腕をぐっと伸ばして小さな手をぱたぱたとさまよわせて。
「何をしてんだ何を」
「そこにディスクが積んであるはずなの、奥の方……オルガは見える?」
「知らねぇ」
これは悪態のつもりはなく本当のことだった(がアリーシアは若干ふくれた)。彼女が言っているのが記憶媒体そのものなのか、ディスクを組み込んだ状態で稼働している機器なのかすら。目的の段を仰いでみるがそれらしいものは見えない。
「そろそろ更新の時期なんだって。老朽化でダメになる前に」
「そうかよ」
「ログのバックアップはぜんぶその中に保存してるもの、壊れたら大変。あ、ログっていうのはね、航行前から……」
難しいというよりは、やたらと手順を踏み延々と終わりのない作業の話。諦めたアリーシアはやっと部屋の奥から踏み台を運び出しつつ淀みなく続けた。それを遮る者が現れないのは、この倉庫が艦の通路の奥まった場所にあるからだろう。照明はあるのに薄暗く、ほぼ無音で、人間の気配が薄いところ。
こんなところにわざわざ来た理由でもある。こうして先客がいるのは想定外だったが。
「で、通信の速度低下もログをたどれば原因がわかるってこと。次の開発や機器配備の参考になるの、ね?」
一歩と踏み出せない四角で狭い足場の上でアリーシアは振り返り、ふと黙り込んだ。こちらをやや見下ろす高さにいることに気づいたせいかもしれない。とくにやることもなく彼女の作業を観察していたから自然と目が合う。
接続されていたコネクターを数個外したのか、かちかちと硬く軽い音が降り注いで、その後。
「オルガ」
静かに額に触れるものがあった。
目を伏せ、俺の頬へ指を添え、慎重に足場から身を乗り出すすべてが息を潜めて。
「……アリーシア」
呼びかける、その寸前にぱっと彼女は離れている。ほのかな笑みは悪戯っぽく朱に染まり。
「何をしてんだ、何を」
「だって、隙があったから」
答えになっていない。段差を飛ばして床に降り立った両足は逃げを打つ気でいたから、両肩を掴んで阻止する。両手に黒い箱のような機材を手にしていたアリーシアは反撃もできない。
「勝ち逃げられてたまるか」
その一心を遂げるには好都合だった。
不意を突かれ見開かれる双眸は、やがてふっと閉じる。待つように。
***
それにしても。
なぜ俺は、前触れも予感もあったあのキスを避けようと思わなかったのか? そんな自問は、この顔を前にしてしまえば解決したも同然だった。
「ないしょだよ……」
威厳もへったくれもない、へにゃりと緩んだ笑顔でアリーシアは囁き先に倉庫を後にした。同じことをし返された、それだけであんなにも楽しそうに。
彼女いわく隙があった額を指でなぞる。普段たいして意識を向けていないところだ。
だからそこを起点に熱を持ちつつあることが容易にわかる。
「あいつ……」
これのどこが楽しいものか。そもそも誰に秘密にしろというのか。やはりあの女も相当だとひとり納得しながら倉庫を出ると、通路の曲がり角を通り過ぎようとしていた男がこちらに気づいた。逆光でわかりづらいが、見覚えのあるストラップの身分証を首から下げている。
「もうそろそろ就寝時間だろう」
抱えていた白衣を着ながら、彼は数歩やってきて。
「そんなところで何をしている?」
首を傾げた。
心底理解できないとばかりに。
「……別に」
――吊り上がりそうになる唇をなんとかごまかす。
アリーシアの笑顔の理由が、「ないしょ」の意図がわかる。
いい気味だ、ということだ。少なくとも俺にとっては。
「歩き回ってただけだ」
そうとだけ答え、自室へ向かうルートに素直に戻る。
疑うことなく逆方向へ去っていく彼は、その仲間たちは一切気づかない。
画面にあふれる平面のグラフ、それらを構成する変数には多分にノイズが混じっている。
ランダム単語ガチャ No.885「シュレッダー」
