刑務所や病院の一部の部屋では、壁や床を柔らかい素材で覆っていると聞いたことがある。受刑者や患者が暴れて体を打ちつけ、けがをしないようにという対応だとか。それならいっそこの光景のように、拘束してしまったほうがましだと思うのは当事者ではないゆえの感想なのかもしれない。頭を打つより、すり傷の方がましだと思うのは。
――なんて考えは今やはるか彼方へ、とにかく最優先はこの状況をどうにかすることだった。その唯一の協力者となってくれるはずのシャニはにやにやとわたしを見下ろすばかり。
ついさっきまで彼をベッドに縛りつけていた黒いバンドは、今はわたしの右足首に巻きつけられた。そうした犯人は目の前で愉快そうにしながら隣に腰を下ろす。
「で? 俺をここから出せって命令だっけ?」
「もう落ち着いたって聞いたから来たのに……!」
「落ち着いてるだろ。だからこうなってんだって」
口が減らない。錯乱から戻ってきているのは本当らしくて、そこはひと安心するべきところ。そして同時に最大限警戒するべきところだった。
「どうしてこんなこと?」
「……面白そうだったから」
「外してよー」
「やだ」
説得の余地も交渉のポイントもまったくない。シャニにとっては単なる気まぐれ、ただのお遊び。これはまずい。わたしたちの兵科には、ナイフをはじめとしたこの場をなんとかできる武装や器具はほぼ持たされていなかった。ここが施設内だという状況も相まって今は正真正銘のゼロ。ほかの兵士だったならすぐに脱出できたはずだ。
「でもなにも考えてない。シアにはとくに仕返ししたいことないし」
前言撤回ターゲットがわたしでよかった。温度の低い眼差しであれこれと考えるシャニはついに隣へ寝転んで、ふところりとこちらを向く。
「こういうのも、ちょう……懲罰? になんの」
「なるよ。シャニにこんなことされましたって、わたしが報告したら……」
「ふぅん」
いくらかの間のあと、その目は笑うように細められた。彼にとっては面倒な事実が待っているというのに。
「じゃあ、シアが報告できなきゃいいんだろ? 口にできないほどやばいことがあったとか?」
「やばいことって」
監視対象に監視されました、というわたしの落ち度を指摘するものではない気がする。なんとなく。それは喉の奥で小さく笑ったシャニが肯定した。勢いをつけて起き上がるとすぐさまわたしの手元を指差してみせる。
その視線の先。
「それ」
横たわる黒い帯がある。
「どれ……ぇ、えっ?」
声がひっくり返ったのはわたしがノミの心臓なのではなくてシャニのせいだった。
いつの間に何をどうしたのか、手首にもバンドが巻きつけられていた。絶妙な遊びを残しているせいで痕も鬱血も残らないとすぐにわかる。こんなことに策を巡らせるなんて……そんな恨みを込めて見上げても、返ることばは愉悦だけを含んだ。
「ビビりすぎ。そうやって捕まったことくらいあるだろ、兵士なら」
「ない……ザフトには」
「は? 身内ならあるってどういう状況」
言い募られる予想は外れ、挟まったのは一瞬の間だった。そうして表れる表情にはあからさまに「いまいましい」と書かれて。
「……あー、あいつらか」
「シャニも含めて三人だよ三人」
「俺はいいんだよ」
「えぇ……」
なんともきれいな棚上げはいっそカウンターのように効いた。話しながら頭の片隅で描いていた説得の筋立ても忘れて呆然としているとその隙にこつんと額を小突かれた――というのは勘違いで、あわてて意識を目の前のことに集中すればシャニが自分の額をぶつけてきたのだと気づいた。
笑みの形に細められた目は、笑ってはいない。
わたしの脚か、手首のどちらかで金具が硬く音を立てた。
「シアは甘すぎ。俺たちの気が済んだら終わるいたずらだって思ってるからいつも酷い目にあう」
「……みんなは、殴ったり蹴ったりしないもの」
「そんなのより、お前には別のことしたほうがずっと楽しいからな」
――そのひとことは、骨張った人差し指をわたしの唇に押し当てて。そうして渡された輪郭のあいまいな答えの意味をわたしはわかっていた。少し前に彼らに教えられた、のほうが正しい。記憶の底で息を潜めていたものが這い上がってくるのを深い呼吸でやり過ごしていると、唯一の出入口を顎で示された。
「どうせ設定の時間にならないと開かないんだろ、あれ」
わたしの背後から淡い予感が忍び寄っているのを見透かす瞳で。
「なにするつもり……」
「誰にも言えないようなこと。って、なんだろうな」
首を傾げてはいても、具体例は知っている。伸べられる手とともにもたらされたのはそんな、問いかけの形をした遊び。
ランダム単語ガチャ No.1217「やばい」
