そこらじゅうで騒がしく働く人間たちの中に、若い顔が混じり始めたのは艦が海上演習から戻ってからだった。新しい軍服に身を包む彼らは、真剣な顔で機体や機器について説明を受けている。
その、説明する側のひとりには見覚えがあった。この通路からは遠いうえに専門用語らしきものが入り混じった結果なにを言っているのかはわからなかったが、意図して低く落とした声だけは耳に残る。本来はもっと柔らかく、いっそ眠気を誘う音色をしていたのを覚えているからだ。新兵たちを前に威厳でも取り繕おうとしているのだろうか、そうだったなら笑い話になる。
鉄色をした武装や兵器に囲まれるのが徹底して似合わない女だと思いながら自室に戻る。
聞かされたはずの彼女の名前は、すぐには思い出せない。あの自己紹介を覚えるつもりがなかったから。
***
「シャニ、これが今度の支援兵器の概要」
待機室にやってきた彼女が言い終わるかどうかというところを遮ってメディアを受け取った。薄い画面には細かな数値や外観の画像のほか、目の前で手持ち無沙汰になる彼女が微かに映り込む。
さまよう視線はほかのふたりを探しているようだった。使い走りにされるような階級なのはこの見た目がいちばんに物語っている。こちらと同じくらいか、それより低い歳のころだろう。だから、今話している男がなんなのかわかっていて無警戒に寄ってくる。
「ん、わかった」
「もう覚えたの?」
「だいたい」
だいたい読み飛ばした、という真相は伏せて機器を返す。それをなんとなく察しているらしい彼女は苦笑いで頷くと「それじゃあ、また」とすぐに背を向けた。
これから行く先でも、彼らの名前を呼ぶのかもしれない。今ここでそうしたように。彼女がこちらの名前を覚えているのは業務上のことだ。今この船が留まっている場所をドックと呼称する、そんなふうに。
「なぁ」
呼びかければ彼女は振り向くだろう。だがここでそうしたら、通路を行き交う大勢の作業着連中も反応することは目に見えていた。それがとても面倒で、ならば取るべき手段はひとつだった。
はじめまして、わたしは――そんなありきたりなあいさつの光景を記憶から引っ張り出す(通りがかった兵士に「こいつらはいいんだ」と雑に説明されていたのはノイズなので締め出す)。
ただのいち兵士。なにも知らなかったから俺たちの名前を知りたがった人間。
その唇がかたどった音は。
「シア」
――確か、こんな名前だった気がする。
それで正しかったようで、彼女はぱっと立ち止まると勢いよくこちらを向いた。わずかに目を見開くおまけつきで。
「なんだよ。シアだろ、お前」
銃声でも聞いたかのようなオーバーリアクションにいら立ってにらんでも「そうだけど」とふわふわした反応だけが返ってくる。合っているなら普通にしろとまたしても文句を言うのはさておき、彼女が進もうとしていたのと逆方向を指差した。
「オルガは甲板、クロトは俺たちの部屋」
「え……あ、ふたりはばらばらにいるんだね」
「だいたいそこにいる」
確証はないがそれも伏せ。
彼女の茫然自失といったようすは、しかし話し終わる頃には完全に消え失せている。
お気に入りの料理でも出されたように嬉しそうな、ほのかな笑みに。
その理由にピンとくることはなく、加えて休憩時間の一部を道案内に費やした微かな腹立たしさも相まって手のひらを振って部屋から追い出すことにした。
「毎回こんなに手間取るなら俺たちに通信機でもよこせよ」
「うん、伝えとく!」
対する彼女はついに喜色満面になったうえ小走りに去っていった。今の会話のどこに、そんなにもご機嫌になれる要素があったのか。
彼女も――シアも、もしかしたらイカれているのかもしれない。別ベクトルで。
***
「で」
向かいの上段でクロトは思いっきり顔をしかめた。
「だからいつもあんな呼び方してるんだ?」
「だったらなんだよ」
「なんでもねーよ!」
自分からことのいきさつを聞いておいて怒り出す理由がわからない。広くもないベッドの上を転げ回る姿は放っておいてテーブルについていたオルガを見るとやはり「ほっとけ」と肩をすくめている。
「お前がアリーシアを愛称で呼ぶのが気に食わねーんだと」
「愛称?」
「あー、あだ名、っていうのか? とにかく、親しい間柄の呼び方だ」
ふぅん、とだけ相づちをうって寝転がった。夜ふかししたところでなにもやることがないのだから。
そんなことだけ考えていたはずの自分の唇がいつの間にかほころんでいたのに気づいたのは、カーテンを閉めようとしたときだった。
なぜかは知らないが、気分がいい。
ランダム単語ガチャ No.858「謎」
