こっち向いて

 並盛どころか日本中、世界中の誰もが浮足立っているようだった。教室の真ん中でぼんやりとラジオに耳を傾けている彼女も例外ではなく、窓からいくつでも数えられる色彩の賑やかなアドバルーンを横目にしている。

「もうすぐミレニアムなんだね」
「そうだったかな」
「全部変わっちゃう」
「関係ないよ。僕らはこのままだ」

 そうかな、と短い相づちは消え入るようだった。彼女を含めた少なくない数の人間が、祝賀ムードと終末論それぞれの情報量に押し潰されそうになっている。今よりもっといい時代へと前を向き続けることと、二〇〇〇年を迎える前に地球は滅ぶとの予言を大真面目に考察すること。新聞テレビ世論何もかもが両極端で抽象的な空気に侵食されていた。

「そうだよね、うん。きっとそう」
「辛そうだ」
「大丈夫、大丈夫。そろそろ帰ろっか」

 彼女は笑って大きく伸びをして見せるが、それが空元気だと余計に知らしめるばかりで。ありえないと自分に言い聞かせつつも、心のどこかで予言通りに明日全てが終わることを心配しているのは明らかだった。

 下らない、と切り捨てることは簡単だ。けれど日を追うごとにその笑顔が繭を纏っていくように、微かにだが確実に遠くあいまいになっていくことに気づかないはずがない。

 秋と冬の間、冴えた冷気が辛うじて意識を透明に近く保つ。空の色を透かすほど薄い雲のせいで、ここ最近視界が白む晴ればかりが続いていた。やけに間延びして聞こえるチャイムとともに、鞄を肩にかけた彼女がふと視線を窓の外へ戻す。

「あ、飛行機雲」

 ***

「校則違反だよ。いや、不法侵入かな」
「見逃してよ、委員長」
「却下」

 真夜中の学校の屋上に人影が揺れた、錯覚じみたそれをなぜか無視できずに来てみればやはり見知った女子生徒が立ち尽くしていた。外周をぐるりと囲むフェンスに背を預けることもせず、雲の多い星空を見上げている。こちらに目もくれずに。

「物見櫓のつもりかい」
「……そうだよ。キョーヤは怖くないの、あの中のどれかが降ってくるかも知れないんだよ」
「そんなことは怖くないよ。君がどこにもいなくなることに比べたら」

 突然ひっくり返った悲鳴が上がるのは、僕がその冷たい頬に両手を添えたからで。こうでもしないと目も合わせられないほど、彼女は雲よりも遠いところをわざわざ眺めては苦しんでいる。

「やっと僕を見た。よく聞いて」

 どれだけ前からここにいたのか、きっと体は冷え切っているだろう。温めてやるのは後でいくらでもできる。

 彼女を僕の隣へ連れ戻すことが先だ。

「隕石は落ちないし大洪水も起きない。僕も君も、何も変わらない」
「どうしてわかるの?」
「僕がそうさせないからだよ」

 彼女は呆気にとられ――笑った。これが笑うところなのかわからないままで、同時にとても面白い冗談を聞いたような、泣き笑いの形に。

「キョーヤなら星も打ち返せそう」

 細められた目に浮かぶ涙が、街の微かな明かりを返す。真っ直ぐに向けられる視線を取り戻せたことに安堵し――やはり明日も明後日もその先も彼女はそばにいるのだと改めて確信する。

「帰ろう」

 また明日会うために差し出した手に、かじかんだ小さな手が重ねられる。

 彼女は黙って、頷いた。