電話をかける声が弱々しく、震えていた。
「有馬くん、屋上なの。条くんが…… 」
その原因が自分だということはわかる。曇り空ばかり映すあお向けの視界はなぜか歪んで、目薬をさした後に無理やり目を開けたときのよう。皮膚は熱くて肉が寒い。ここはフライパンの上ではなくてオリの屋上なのに。
「助かった。涼波は控え室の冷蔵庫頼む、水のボトルな。タオルはその近くに丸めてあったはずだからそれも」
「うん……」
そうしてケイちゃんの声と、焦る足音が遠ざかるのと交代で覗き込んでくる顔がある。呆れたように目を細めて心配そうに手を差し伸べる男は、オレの肩を鷲掴むとあっさり起こしてみせた。急に天地が入れ替わってくらくらするところへダメ押しに、一気に引きずるように立たせる怪力が今はありがたい。自分で歩けはしても、まず立ち上がるには骨が折れる。そんな疲労感が全身に満ちていた。
「悪いねぇ」
「それはあいつに言ってやれよ」
それもそうか、と、もう誰もいない出入口の方をながめる。
小さな手が珍しく、オレのジャケットの袖を手のひらいっぱいに掴んで引っ張ろうとした方向だ。
***
そんなふうに、盛大に風邪を引いたのがぴったり一週間前。すっかり完治して、有馬に「いつでもどこでも寝るからだろ」とからかわれて、今は真昼。休日だからと遊びに来ているケイちゃんはオリの入口に着いたという。さっそく迎えに行くとそこには先客がいた。彼女となにやら話している。
「それは風鈴の柘浦が詳しいな。柊さんから聞いた」
「そうなんだ、今度メッセージ送ってみる。ありがとう!」
「無茶するなよ」
ケイちゃんに軽く手を振って出かけていくのは佐狐だった。そこに入れ替わりになったから話題はわからないが。彼のぴんとした背中を見送りつつ合流すると、振り返るケイちゃんの目が嬉しそうに細められるのがまぶしかった。それがなおさら胸に刺さる。
「ごめんねぇケイちゃん。こないだは手間かけて」
「条くんが元気になったからいいの。もう平気?」
「うん、おかげさまで。お見舞いありがとうねぇ、すっごく嬉しかった」
ほのかに頬を赤くしてにっこりと頷いてくれる彼女の手を取る。いつもなら外へ遊びに行く合図でもあるが、今回はなんだか喉に引っかかるものがあった。足が前に進まずに留まる。
ケイちゃんが無茶をすることになるかもしれないほどの、何があったのだろう。
「……今、佐狐といたよねぇ。何を話してたの?」
少しかがんで尋ねてみると、途端に気まずそうに目がそらされてしまった。けれど、つないだ手をそうっと握り込む指は、隠すためではなく伝えるためのことばを探してくれている。柔らかくて優しくて、だから大きな荷物を運ぶにはひと苦労の。
「ちょっと相談してたの。あのね」
あんまりみんなに言っちゃだめだよ、と前置きするのは密やかな声。
「わたし力がほしいの」
自分の耳を疑った。
「ちから?」
「条くんをお姫さま抱っこできるくらい!」
「えぇ……?」
まっすぐ見上げる視線は本気だ。だからその光景を想像してみる。とても頼もしくてかっこいいけど、まず先に立つのは心配。次に疑念。
「なんで、っていうのは聞いてもいい?」
「わたしじゃ条くんを連れてってあげられなかったから」
――有馬に助けられてとりあえずのベッドまで歩いた日を思い出す。「お昼は食べた?」「お薬あるからね」と、ひと眠りできるまでそばにいてくれたケイちゃんの表情はずっとしょげていた。気に病むことないのに、なんて言える立場ではもちろんない。
オレを動かそうとしてできなかった手がこんなにほっそりとして温かいから。
「条くんが困ってたら助けたいよ」
「今回のは、オレが不摂生を直すって話だからぁ」
「それだけじゃないよ。条くんたちをいじめるやつが来たら抱っこしていっしょに逃げちゃえるの。うん、完璧」
「そっちはだめ、ケイちゃんが危ない目にあうのはだめ」
彼女の中には強くなりたい理由が満ちている。そのどれを取ってもオレの姿がある。
まるで場違いな方向へ唇が緩みそうになるのを根性でこらえた。
「嬉しいけど、そのときはオレの後ろにいてくれなくちゃ」
最優先事項は彼女の無事のほう。
ランダム単語ガチャ No.4574「ボディーガード」
