初めてケイちゃんを抱きしめたときは、びっくりしすぎるあまり声を上げてしまいそうになった。
自分で触れる自分の腕は、骨だの肉だので硬い。だから人体はこんなものだと思っていた。それなのにとっさに抱き留めた彼女は何かの間違いかと思うくらい柔らかくて、加減を間違ったらどこか壊しそう。みぞおちのあたりにうずめられていた頬はだんだん赤くなって、さらりとこぼれる髪ときれいなコントラスト。
「条くん、ごめんなさい」
くぐもる声は耳をくすぐって消える。
こんなに微かで消え入りそうなこと、ほかの誰にも見られたくないし聞かれたくなかった。第三者がこの明るい部屋に踏み入った瞬間、危うい均衡が完全に崩れそうで。
「……ケイちゃんは悪くないよ。ここ片づけとくねぇ」
口ではそう答えつつ、オリの一室が荒れ放題だったのをどこかで感謝する自分がいた。彼女がつまづいて転びかけなければ、こうはならなかったから。
投げ出されていた手が、オレの背にそっと触れて。
***
あのあと「ありがとう」と言いながらあわててケイちゃんは離れてしまった。そのまま視線はあっちこっちへ泳いで、かと思えば舞台の方にいるちょーじの大声に呼ばれて部屋を走り出て――おしまい。初の抱擁は、こうしてあっさりと終了した。
彼女とはそれから三日会っていない。その間、いつ持ち込まれてそのままなのかもわからないマンガやお菓子の空箱を運びながら考えることといったら。
「もったいないことしたなぁ」
そればかり。
もっと、じっと見ていられたらよかった。はっきり覚えているのは部屋にほのかに残る木の香りや、色あせて白っぽくなった床の擦り傷ばかり。
オレの両腕にすっぽりと収まってカチコチに緊張していた肩や、体が傾いで半ば浮いていた靴のかかと。記憶に刻んでおかなければならないのはこっちの、可愛い光景だったのに。
どうしてそうなったかといえば、猶予がなかったから。
ケイちゃんを助けられたことにほっとして、ふと気づくと自分たちがあんまり近くて。その事実を飲み込むまでの数秒の隙に彼女が行ってしまったからだ。
オレの前から逃げるように。
実際、逃げたのだろう。ケイちゃんは見ているだけでわかるくらい、具体的にはあのまま抱き続けていたらオーバーヒートして倒れそうなくらいだった。そして、ちょーじに名前を呼ばれた瞬間にはここがふたりきりの場所ではないことを思い出して、なおさら。
少しかわいそうな目にあわせてしまったと反省し。
だから電話をかけた。
「ケイちゃん、おはよぉ」
メッセージアプリごと震わせそうにひっくり返った返事を聞いて、思わず苦笑いが出てしまう。着信を無視することもできたのに、やっぱりいい子。
いい子だから、今度はちゃんと抱きしめて離さないようにしないといけない。
「あさっての待ち合わせ、クレープのお店の前にしよっかぁ……うん、オリじゃなくて」
ここには女の子と見ればかしこまるあまり挙動不審になる男も、自身の妹同然に構いたがる男もたくさんいる。つまりはいいやつらだから、ケイちゃんが遊びに来るたびなにかと目で追っているのを止めたくはない。
「おやつの後、オレの家に案内するよ」
ふたりだけになれる場所はかなり限られているのだと思い知らされる。だからといって自宅へ連れて行くのは気が急いているだろうか。
それでもいい。米粒大のためらいの末にそう結論づけるほどにまた欲しかった。手のひらに残るあの感覚が。
腕の中でオレを見上げたあの表情が。
ランダム単語ガチャ No.131「縛る」
