目を閉じていてもわかった。トタンを叩く複数のシューズの足音が近づいてくる。ひとりくらいは、おしゃれに革靴かもしれない。ともかく、ざりざりと屋根の上に積もった砂埃を踏みしめる響きが背中に伝ってくる。抑えているつもりでも隠し切れない緊張と敵意は、あお向けの腹に直接降り注ぎ。
こんなところに大の男が何人も乗ったら、ところどころ腐食した古い建材なんてすぐにでも真っ二つだ。そうなる前に片をつけてくれたら、いや彼らには申し訳ないがそれはそれで望んだ結果になる――そんな他力本願にも似た自傷は、しかし叶わなかった。
あさっての方向、正確にはこの屋根を見上げているにしたってやけに遠いところからまっすぐ届く声のせいで。
「だ」
震えて、か細くて、そんな何もかもを強引に押し通す。
「だめ……」
女の子のもの。
思わず目を開けた先は灰色。
午後の光をあいまいに隠す、薄い雲が空を覆っている。
***
迫って来ていた数人は「萎えた」「白けた」と全員が気まずそうに帰っていった。入れ替わるように、慣れない屋根の上でふらつきながらやって来た彼女を見ていろんなことへ得心がいく。ぼんやり想像していたよりも数段華奢な、悪くいえば弱々しい見た目。凄む気も失せるというものだ。首を突っ込むなと警告する気も。
少し離れたところで、ローファーの丸いつま先がぴたりと立ち止まる。ためらいつつもこちらをうかがう制服姿にはどことなく既視感があった。こわごわとしたぎこちない硬さが似つかわしくないとわかる面立ち。生傷の多い、見るからに不良な彼らに制止をかける度胸があったのは置いておくとして、今回はタイミングが悪かった。
「なんで助けてくれたの、オレのこと」
起き上がりつつ問いかけるのは、若干八つ当たりが含まれる。
殴られるつもりの狸寝入りだったことはこの子には思いもよらないだろう。彼らから向けられていたのは悪意などではなくて、ぶつけられて当然の怒りだ。骨の二、三本は覚悟の上。そんな状況にいるなどと。
そんなことはつゆ知らず、足場の高さにやや怯みながら彼女は数歩進んだ。ちょうど、互いの表情がより掴める間合い。
その気になれば肩でも腕でもあっけなく捕まえられる距離だ。ささくれ立った神経は、本当にそうして脅かしてやろうかとよこしまになりかけ。
「このあたりで知らない大人のひとに絡まれたとき、おっきい男の子に助けてもらったの。少し前に……」
――叩き潰された。
「怖かったけど、勇気が出たから」
たったそれだけの理由を口にするごとに和らいでいく面持ちのせいで。
直視するのが後ろめたくなるほどに、その追想は憧れに満ちていた。
「……無謀だよぉ、それは」
勢いをつけて立ち上がる。そうするとこの子はことさら小さくて、こちらを見上げる視線は低いところからやってきた。入り組んだ路地に迷い込んだなら、きっと視界が塞がれてしまうだろうとわかる。
「君はちっちゃいから、そいつと同じことなんてしてたら危ない。けど」
彼女が言うその男の顔は暗がりでよくわからなかったはずだ。加えて、目元も本心も塗り替えていた時期。今日のように、沈み始める太陽がまぶしいことを忘れていたころ。
気づけば、雲は切れ切れになり空のオレンジが顔を表していた。
「ありがとう」
向き直ると、下駄がからころと軽快に鳴り、あたりに響き渡る。
何のフィルターもなくこの子と相対できるしるしのようだった。
「ところで、君の家はどのあたり?」
聞くと、どこかぽかんとした表情になって駅の向こう側を示す。第一印象どおり、気持ちがころころと顔に出てしまうようだ。そこは見た目のままだと、図らずも肩の力が抜ける。
「近くまでいっしょに行くよ」
「いいの? ありがとう……でも、どうして?」
「このあたりはすぐ暗くなっちゃうからねぇ」
面映そうに笑って、彼女は頷く。これだって本当のことだが。
「友だちになれたら」
声にならなかったこちらが本音。屋内へ戻るのに手を貸しながら、胸を締めつけ始める熱の意味を考えてみた。
「君の名前、教えてほしいな」
勇気が出たと、この子は言った。
「オレは……」
ランダム単語ガチャ No.4958「空模様」
