エンドルフィン

 

※開幕暴言モブ注意

 

 ここまでのあらすじ

「こんなやつにオレたちが負けるわけねー! 好きな子に手も足も出ない年中デレまくりの浮かれ野郎! 行くぞー!」

 あらすじおわり

 

「何も言い返せなかったなぁ」
「というか亀ちゃんがミケちゃんに手も足も出すわけなくない? わかってないよねー」
「でも無傷じゃん十亀。逃げてきたの?」
「いや、四人とも丁寧に畳んで川辺に並べてきたよぉ」
「くっ……一から十まで意味深に聞こえちまう……」

 そもそもケイちゃんと初めて会ってからまだ一年たっていない。その彼女とはこの後で待ち合わせの約束がある。年中あっても足りないくらいのイベントだ。

「じゃあ、行ってくるねぇ」

 少し錆びついた扉を一息に開きながら、ふとまだ引きつった表情をしている有馬を振り向いた。

 気になることがひとつあって。

「オレそんなに顔に出てる?」
「おー出てる出てる」

 即答。

 ***

 有馬の周りでうんうんと頷いていた鹿沼とちょーじも同意見なのかもしれない。そもそも、好きな子がそばにいたら温かくて幸せになるのは当たり前だ。だから不良ABCDがふっかけてきた因縁はまったくの見当違い。問題は緩みすぎるらしい表情だけ。

「十亀くん、これ。半分こしよ」

 前言撤回、緩んでいて何がいけないのか。おいしいものをオレにもと、いつも分けてくれるこの笑みを前にしたら自然にそうなるのだから。

「じゃあケイちゃんはこっち……ん、うまい」
「おいしー」

 カスタードと、こしあん。たまにつぶあん白あん。おなかで割れたたい焼き同士をトレードするのは恒例行事だった。駅周りのどこかでほかほかのおやつを満喫して、その後はケイちゃんを家の近くまで送る。一時間にも満たない、だけど満たされるデート。

「十亀くん、ひとくちがおっきくておいしそうに食べるね」
「ケイちゃんはちょっとずつだねぇ。かわいい」

 そんな話をしたこともあった。面映そうに目を細めるのは、今も変わらない癖。たくさんの小さなことを覚えている。「十亀くん」そう呼びかけてくれる声とともに。

 こんな日がずっと続けばいいと思っていた。

「条くん」

 のに。

 そろそろ行こうかとベンチを立ったときにそれは聞こえた。短くほのかな音が指し示すものを飲み込んだ瞬間に膝から崩れ落ちかけるところをなんとか踏みとどまる。

 前触れもなしに心臓が騒ぎ始めて。

「……今の……?」

 危うくブレそうになる体を根性で立て直してそちらを向くのに、今日いちばんの体力を使った気がする。

 彼女も同じような表情をしていた。いつもよりずっと赤い頬が夕暮れのなか、平静に見えるだけで。

「あの、あのね」

 必死に伝えてくれることばの上、目がそらせない。

 泣き出してしまいそうに揺らぐ水面が綺麗だから。

「いつもケイちゃんって呼んでくれるの、大好きで……わたしも、名前で呼んでみたいなって」

 視線とは対照的に、小さな両手は握られたり脱力したり。

「いやじゃない……?」
「そんなわけない」

 返事は食い気味になった。同じくして夕日はふと雲の影に隠れ、こちらを見上げていた彼女の目が急な暗がりにわずか見開かれる。

 痛いほどの日差しも、緊張も。そちらへ手を伸べるのを遮るものは何もなかった。

「……そんなはずないよ、嬉しい。すっごく」

 柔らかな指を、ありったけのブレーキを自分に課しつつ両手で包んだ。ことばが、気持ちがあふれて喉につかえてコントロールが効かなくなる前にと。華奢な女の子は、それだけでもっとか弱く映る。けれど。

「たくさん、オレのこと呼んでね」

 頷き――ほころんだのは大輪の花。

「条くん、にこにこ。かわいい」
「こうもなるよぉ。それに、ケイちゃんも……あー」

 今度こそ膝の力が抜けたのをごまかして、顔を覆いながらその場にしゃがみ込む。びっくりして呼びかける声は今だけは追撃にも等しくて。

 甘いものが舌の上でゆっくりとろけて広がる感覚が今、耳から後頭部へ抜けていった。次いで体の芯からつま先までじわりと温かくなるそれは、オレが真似をしても同じことは決して起こらないだろう。

 彼女の声でなぞられる名前でなければ。

「年中デレまくりの浮かれ野郎になっちゃいそう……」
「えぇ……」

 もちろんケイちゃんには何のことかわからずに困らせてしまう。君がとても可愛くて大変だ、という話だと正直に白状したら――どうなることか。

 

ランダム単語ガチャ No.6777「エンドルフィン」