勢いだけのあいつ。大声だけのあいつ。とにかく数だけのあいつら。こちらがひとりきりだったなら何とか全員黙らせることができただろう。けれど今日はふたりだ。

 ずっと待ち望んでいた、ふたりきり。

「ケイちゃん、こっち」

 仕込み中の札がかかった居酒屋の曲がり角に彼女を押し込むと、同時に大通りから複数の怒号が上がる。路地裏の暗がりでも細い肩が小さく跳ねるのがわかる距離で、不安げな瞬きがふたつ。

「しぃー、だよ。しばらく……」

 唇に指を当ててみせる。それを見上げてこくこくと頷くぎこちない動きは、胸元できゅっと握られた両手が押さえつけているかのよう。笑って安心させてあげたいのに、うまくいかない気がした。

 多分、怒りといら立ちで引きつるから。

 今日のお出かけは二週間も前からの約束。あいつらが台無しにしていった大事なもの。真昼ならと楽観したのを後悔した。ジャケットを着ていない今ならと。

「楽しみ」

 そう言って笑う声も、今は遠い。つないでいた手はとうに離れて、灰色の壁を背にしたケイちゃんの表情は強張ってしまっている。

「まだ追いかけてきてるかな……」

 そんな状態のまま不用意に身を乗り出そうとするから、とっさに遮るように腕を伸ばしていた。

 いつしかそうなっていた握り拳のまま。

「……ぁ」

 指から腹へ伝う、鈍く耳障りな音。

 わずかに見開かれた目。

 コンクリート壁を殴りつける形になったすぐ内側にはケイちゃんがいる。この場でいちばん、今の音を酷い形で叩きつけられた女の子が。

「……ケイちゃん」

 唐突に現れたばたばたと忙しない足音たちがすぐに向こうへ去っていって、ようやく何が起きたか――自分が何をしでかしたか把握した。固く握った指を解くのは簡単だ。

 目の前で静かに深まっていく動揺を鎮めるよりも遥かに。

「……ごめん、ごめんね。怖かったよねぇ」

 首を横に振るのは無言で。潤んでいく視線で。ふたつは対極にあって、どちらもきっと本心。

「大丈夫なの、ほんとに大丈夫……でも、なのに」

 ほとんど無意識のうちにその両肩を包もうとした手を、全力で押し留めた。

 これは、ケイちゃんのすべてを見下ろせるし阻めるこの全身は「怖いもの」だ。今は。

「……待っててねぇ、オレが周り見てくるから」

 だからこそ離れないといけなくて。

「やだ、行かないで……」

 それを許されないことの方がつらかった。

「今度はちゃんと隠れてるから……こうさせて、条くん」
「でも」
「お願い。行っちゃやだ」

 半ば胸ぐらを掴むように引き寄せるのは弱々しい手。みぞおちのあたりに押し当てられるのは額。

 見えなくなる表情。

 まるで罰のよう。

 オレが怖いのはこれかなぁ、と、あいまいで自分勝手な罪悪感が頭の片隅で形を取りつつある。

 この子のすべてはほかの何より、こんなに全身を竦ませる。背中を支えることすら。

 

ランダム単語ガチャ No.6976「磔」