ふたりの会話は聞いていて楽しかったり落ち着かなかったりする。話題の大半がひとりの男についてに偏っていくから。ともあれケイちゃんの今日の帰り道はそうやって賑やかだ。駅からの徒歩数分が信じられないくらいに早く過ぎていく。
「そこで亀ちゃんがネックハンギングツリーで相手を捕まえたんだ!」
「十亀くんすごい、フェイスハガーみたいなやつでしょ?」
「そこまでおっかない技使えないよぉ、ちょーじが盛ってる」
「えーそうかなー?」
本当はどちらもあながち間違ってはいないが物騒だから一応否定しておく。振り返る二対のきらきらした瞳は、しかしその持ち主自体が対照的。
「亀ちゃんってみんなの憧れなんだよ。亀ちゃんパワーもスピードもあって強いから!」
「やっぱりヒーローだ、亀ちゃん」
***
前日の記憶がない。正確にはケイちゃんが「兎耳山くんにつられちゃった」と照れ笑うのを最後に。
自分の名前が彼女の声で、あんな形でなぞられるとなぜだか優しく可愛らしい響きのように感じた気がする。叶うことならもう一度、いや何度でも聞きたいくらいに。だというのにあの場では「これからもそうやって呼んでみてほしい」とお願いできなかった。それほど呆然としていたのか――という覚えもまたこのありさまだ。
今日こそは頼んでみようと密かに意気込みながらたどりついた集合場所には、すでにケイちゃんと桜がいた。声をかけようと上げた手を引っ込めたのはその様子がおかしかったせい。公園の植え込みの近くでふたりしてうつ向いている。ついでに桜はやや視線をそらして。
「う……ん、……くん」
そろそろと死角に回り込んでみると彼女のほうは何かを唱えているらしい。
「ちゃんとできるかな、でも変に思われないかな」
「あいつは今油断してるはずだろ。そこを突けば何とかなる、気合い入れてけ」
話は一気に不穏な響きを帯びてくる。まさかケンカの指南でもしているのか。
「桜ぁ、ケイちゃんに何吹き込ん」
でるの、と続くことばは二通りの驚きの叫びでかき消された。これはいきなり現れた自分のせいだとして、問題は。
ぎょっとした顔で勢いよく振り向く桜の後ろで、まんまるの目が見開かれたこと。あとは。
「条くん!」
***
前日の記憶がない。正確にはケイちゃんが「しまった」とばかりに両手で口を覆ったタイミングを最後に。
「じゃあ何の用で集まって何してたんだよ」
「縁日……?」
「あーだめだこりゃ」
「この辺りの案内するんだって自分で言ってたじゃん。張り切っちゃってさ」
同じくオリの舞台に座り込む有馬と鹿沼にこつこつとこめかみをノックされて、ようやくその通りだと思い出す始末。昨日はあの後三人でたこ焼きとクレープを食べた。
唐突な展開だったが聞き逃しはしなかった。彼女が口にしたのは名前。呼ばれ慣れていなかったから、なんて理由ではありえないほど動揺して欠片と反応できずじまい。それだけがとても心残りだ。とても嬉しかった、叶うことならずっとずっとそう呼んでほしいと言いたかったのに。
受け入れてもらえたらきっと、取り繕えなくなるくらい締まりのない笑顔になってしまうだろう。
「もし……もし今後さぁ、条って呼ばれるようになったらどうなっちゃうかなぁ。どうなると思う?」
「捕らぬ狸の皮算用って知ってる?」
「もう十亀置いてケンカ行こうぜ」
ランダム単語ガチャ No.1237「繰り返す」
