次いで駆けつけたのは先ほどアラウディに成り変わられた職員だった。目を覚ました直後に施設の床が抜けているところを発見し、慌てて被害者がいないか探しに来たと言う。
そして当然、彼の通報によって白蘭は病院送りになった。
「また入院かなぁ。あそこの看護師さん怖いんだよね」
「あのね、白蘭。来てくれて嬉しかった! ありがとう、あと、ごめんね」
「うん。君が無事ならいいんだ」
ロビーで見送るすずめちゃんの目の前で救急車に搬送されていく彼はひらひらと手を振って消えていった。無傷と判断されて解放された僕たちは、忙しなく閉館した博物館から放り出されてバス停に退散する。
「キョーヤも、ありがとう。どきどきしたけど、もう平気」
「そう」
「ぼくの変身かっこよかったでしょ! またやりたいなぁ」
「できるよ。この先いくらでも、リングを使わなくても」
話に上るバニラは、今はもうすずめちゃんのポケットの中にはいない。白蘭のもとで、過重労働のせいで深く寝入っているだろう。空のポケットにそっと上から触れるのは、まだ自分の指輪をするには幼い指。
「バニラにも見せてあげたかったね」
雲ひとつない澄んだ星空が真上に広がっている。プラネタリウムでは見かけなかった星も、たどると星座になることは知っているだろうか。日本にいては見られない星座があることは。そもそも真夜中になってもあたりが白む場所があることは。
「もう少ししたら旅をしようか」
「旅?」
ふたりして、知らないことが山ほどある。こんなことは今まで考えつかなかったし興味を持つこともなかっただろう。すずめちゃんが驚き、たちまち笑顔になるようなものが並盛はおろか日本ではない場所のあちこちに転がっているはずだ。そのとき、この子ひとりでは意味がない。その目がこんな風に輝く瞬間を見る者がいなければ。
「君も来るんだよ。君の好きなものと楽しいことを見つけるんだ」
「ほんと!? やったぁ! うん、ぼくも行く、ずっとキョーヤといっしょだよ!」
そしてこの子を助ける方法も見つける。今日は、自称だが協力者がひとり現れた。
すずめちゃんと繋いだこの手でできないことなどない。未来は変わるのだと目の当たりにした今なら――いや、その経験がなくても断言していた。この笑顔が、体温がどこにもなくなることはありえない。そうしてみせると、口に出すことはなく包んだ小さな手を改めて握った。そんな考えを読んでいるのかいないのか、すずめちゃんはにこにことしたままこちらを見上げていたが――ふと視線を真横にずらす。
「あ、バス来たよ!」
ずっと向こうからのエンジン音に混じるのは簡素な電子音、すずめちゃんのPHSの通知音だった。ユニからだというメールの件名には「お茶会」のひとことが綴られる。
***
主催者のユニよりもその周りを固める面々が文字通り走り回る光景が繰り広げられていた。クッキーを両手に携えて飛び跳ねるランボ、それを追う野猿はキャンディーをくわえ、それをまた追うブルーベルはマシュマロをかじりつつ。騒がしい逃走劇をものともせず中央のテーブルで平然と紅茶のカップを傾けるユニは、やはり相応の度胸の持ち主なのだろう。すずめちゃんはその隣で、見よう見まねでソーサーを持ち上げカップの持ち手を摘みとマイペースに楽しんでいる。
ふたりとの会話以外に混ざるつもりはなかったが、その考えは正しかった。晴れた午後、眠気を誘うはずの陽気の中にはユニが招いた客たちが好き好きにさわめく声が響き続ける。日が経って退院した白蘭も加わり結構な人数がいる。名目はネオボンゴレプリーモの誕生を祝して、だという。当の主役は先ほどから否定を続けているが。炸裂するクラッカーに慌てるツナたちを眺めていると、そこからひらりと抜けてくる長身があった。
「恭弥も来たのか! すずめちゃんだけ来るのかと思ってたぜー」
「あなたたちがいるのにひとりにするはずがないでしょ」
大声で呼びかけながら歩み寄るディーノはこのテーブルをさっと見渡すと「ここいいか」と唯一残った椅子、つまり僕の隣を指し示した、と思えば誰の返事も待たずに笑顔で腰かけた。つくづくこういった仕草に違和感のない男だと映る。
「オレまだ何も食べてないんだよな。さっき着いたばかりなんだ」
「お仕事だったの?」
「いや、庭の入口でエンツィオとはぐれて探し回ってた」
「だからロマーリオさんたちがあちこちにいたんですね」
「手分けしてたんだ。見つかってよかったよ」
ユニがくすくすと笑うと、ふたりもつられて笑う。あの亀は、会場のすぐ外で周囲を見回しながら煙草を吸っているロマーリオの肩の上で大人しくしていた。
「そういえば、リボーンに聞いたぜ。ふたりともこの前アラウディに会ったんだろ?」
「あ、私も伺いました。どんな方でしたか?」
「顔が怖いひとだった。でも、ほんとは悪いひとじゃないみたい……?」
「……どういうこと」
「昨日の夜また会ったの。びっくりさせてごめんねって言いに来てくれたんだよ」
リングからそう簡単に現れたり消えたりできるなど聞いていない。自室に置いてきたのがにわかに失敗のように思えてきた。アラウディに家中を好き勝手に歩き回られてはたまったものではない。もし今後すずめちゃんと鉢合わせようものなら考えがある。沢田家に送りつけるなど。
「へー、律儀なんだな。他に何か話したか?」
「ふたりきりで会いたいって。キョーヤといっしょがいいって言ったら、全力でボウガイしてきそうだから嫌だって言ってたよ」
「既視感……!」
急に明後日の方を向いて笑い出すディーノの皿を没収する。あの日すずめちゃんを引き離した理由もそのような決めつけだとしたら腹立たしい限りだ。実際当たっているのがなおのこと神経を逆撫でする。
「キョーヤ、ボウガイって何?」
「……邪魔するってことだよ」
「返せよオレのクラッカー!」
「ヒバリさんはすずめちゃんが心配なんですから、やっぱり今度は三人で会えるようにお願いしてみた方がいいですね」
楽しそうなユニに頷いて、すずめちゃんは喚くディーノに新しくオレンジを差し出す。そこに寄ってきたのはブルーベルだった。両手に担いだものをディーノに押しつけて自分もオレンジを分けてもらっている。
華やかなテーブルには似つかわしくない無機質なフォルムには見覚えがあった。土管に部品を取りつけたのにも等しいシンプルさ。
「ん、何だこれ?」
「祝砲だって。ランボから回ってきた……ん、おいしー!」
「ディーノくん、それ!」
すずめちゃんが椅子を倒しかねない勢いで立ち上がる。どう見ても十年バズーカだった。現物になじみのないらしいディーノはただならぬ雰囲気だけでそれを危険物と判断し地面に安置する。
このときすでに次弾が装填されていたことにはこの場の誰も気がつけなかった。丁寧な手つきすら衝撃となり。
砲口の直線上にはすずめちゃんが呆然と立ち竦んでいる――手を伸ばして押しやろうとしても遅かった。
「あ」
その声は爆発音に吹き飛ばされていく。会場中が何ごとかと注目する中心で、すずめちゃんは濃く立ち込める煙に巻かれて姿を消していた。
「ヒバリさん……」
「……知ってる」
ユニが見上げ、ディーノが気遣わしげに閉口するのが視界の外でもわかる。
すずめちゃんの代わりに現れる人間はいない。だが数分待てば本人は帰ってくる。その間、未確定の未来が作った虚無をやり過ごせばいいだけの話だ。ひとり分の空席から、微かな痛みから目をそらしていれば。
――瞬間、鼻先をくすぐったのは淡く甘いバニラの香りだった。
