壊死

 

 コクピットを開き、ヘルメットを脱ぐ様は水面に顔を出す熱帯魚のようだった。これはアーキバスの主要施設がある別星での記憶だから、ずいぶんと前のこと。

 彼女のACの背後では、報告通り撃破されたジャガーノートが黒煙を上げて沈黙している。壁上にそんな光景を作り上げたのが、悠々と寒空に――いまだ収まらない戦火に身を晒している華奢なパイロットだというのだからしばらくルビコンは話題に困らなくなる。

 硝煙混じりの空気だが、狭いAC内の気密よりはマシらしい。

「レイヴン」

 そんな名前を持つのなら。

 ***

 解放戦線にも、戦士を名乗る若いメンバーはいる。その誰より彼女は小さかった。強化手術で成長が止まってしまったのかもしれないが、秘密裏にもたらされる情報でも傭兵への発注システムでもそのあたりははぐらかされている。戦果さえ上げれば関係ないのだから。

「わかった。気をつけて」

 ジャガーノートを任せた際の、穏やかだが端的な返答。このあたりで何となく察しはついていたが、こうして初めて顔を合わせた際にやはりと納得した。年不相応な乏しい表情に、しかしこちらから差し出した手の意味を汲んで応える反応。

 彼女もまた、何者かに奪われてきた者だ。

「ラスティ」

 絶え間ない金属音にかき消されそうな声。握手というにはあまりに弱々しい、力の入らない指。デバイスの常時稼働がなければ彼女は生きてはいかれないだろう。脊椎からの姿勢制御、ゆったりとしたコートに隠れたギプスの補助――機体を離れても、彼女はいくつもの硬質さに取り巻かれている。

 指先や表情を覆うなめらかなバイオニックスキンだけが、寒々しい金属色の工廠に子どもらしい柔らかな温もりを灯していた。

「会えて嬉しい。あのときはありがとう」
「こちらこそ。よく無事でいてくれた、ケガはないか?」

 目を細めて頷く仕草に、きぃ、とギプスの軋む音が小さくついてくる。これではこちらを見上げるのもつらいだろうと、非礼を詫びながら膝をついた。彼女は少し驚いたようだったが、それでもまっすぐ見つめてくれるのは変わらない。

「ない。あなたと、ウォルターのおかげ」
「彼は今どこに?」

 出されたハンドラーの名は、若干のいら立ちを覚えさせるものだった。彼女がここにいる理由の最たるもの。奪う側の人間。

 だというのに、ずいぶんと慕われているのが彼女の声色からもわかった。あの男の話をするとき、対外的なそれがなくなるだけではない決定的な響きがあるから。

「ヘリに戻った。ここで補給させてもらった分の計上があるって」
「そうか……君も、そろそろ戻った方がいい。ここはどうしても冷える」

 馬鹿正直に「適当な理由で拘束されかねない」とは言わずに促した。アーキバスの不利益になる依頼を受けたところで独立傭兵には何の非もないというのに、それを理屈でねじ伏せる層もいるのがやっかいな話。

 そのあたりの事情を知ってか知らずか彼女は素直に機体に乗り込みかけ。

 ふとこちらを振り返った。

「ラスティ」

 あの、と微かなためらいの後。

「うまく名乗れなくてごめんなさい」

 ――それだけのことに、これまでのなかでいちばん悲しそうに。

 この惑星で本当の名を名乗っている、名乗れる者のほうが希少だ。だから気にすることなどないのだが、彼女にとってはそうではないらしい。自他の境界線だから。

「わたしは、どこまでがわたしなのかあまりわかっていない」

 621という通し番号、傭兵という身分――恐らくはレイヴンという名も。

「私もだよ」

 そんな、当てつけのような反射はかろうじて飲み込んだ。

 今回の整備は、彼女の侵攻ルートとは逆側の壁にいた解放戦線の面々を叩き落とし終わったためのもの。

 アーキバスとして。

 先ほどの握手だって、どの「ラスティ」としてのものだったのか。すぐには後づけの理由が出てこない。困ったことに。

 

ランダム単語ガチャ No.5841「壊死」