「私には体がありません」
声のように聞こえるものは単なる波。瞬きのように見えるのは単なる流体の動きだと。
いまだによくわかっていないのか、それとも死に至るほどのコーラル過剰摂取によるものか。ぼんやりとした目と意識はしかし確かにこちらに向けられている。その身に取りつけたデバイスとセーフティをすべて取り払い、埋もれるようにベッドへ横になったまま。
「それなら、これから何にでもなれる」
目を細めて微笑んで。
――すぐ、この人間の形を取ろうと決めた。大鴉を名乗る、小さな傭兵。その助けになれるように。
***
彼女の髪が存外と短いものであったことは、少し後に気づいた。ロングヘアに見えたのは、本当は脊椎近くに接続されたケーブルによるものだと。
そうさせた男は、幾重にも傷の刻まれた大きな手で彼女の髪をなでる。つい先ほどまで着けていた手袋をスーツの内ポケットへしまい込んで。横たわる彼女は、そうされるといつも心地よさそうに目を閉じてすぐに眠り込んだ。それからしばらくして、彼はそうっと部屋を出ていく。杖をつく手も重々しく。
「しばらくは安静にとの診断だ。シミュレーションも控えておけ」
これが最近のウォルターの口癖。
ハンドラー、という存在にまつわる情報は探り始めてすぐにやめた。そんな経緯とは真逆の表情を、彼はレイヴンに向ける。間違っていると思った――それはこの星のどこかにいる同胞の記憶が流れ込んできていたから感じるだけの空虚な経験則。
大切にしているものを失うと、人間は自壊しかねないほどの感情に押しつぶされる。その対象は同じ人間であり、硬い人形であり、ときには人型の重機だったりする。
ウォルターは傭兵を飼って使って捨てているだけの男ではない。それが問題だった。誰がどう見てもあの視線は、表情は彼女を慈しむものだから。ふたりのどちらが欠けても、残されたほうは悲しむに違いない。その断絶を生む仕事に彼女たちを放り込んだのはウォルターなのに。
「私にはわからない」
彼がそこまでしてコーラルを求める理由が。
「なぜ……」
尋ねようとして、ない口をつぐむ。レイヴンは苦しいルーティーンを終えてようやく寝ついた。その邪魔はしたくない。
ACを離れても、機械の手を借りなければ彼女は呼吸すらままならない。そんな体を捨てるために金が必要なのだと、どこか楽しげに私へ話してくれたのを思い出す。
「そうしたら、エアと同じ髪型にする。手入れも楽しいだろうな」
手術の初期段階を終えるまでは瞬きすらできなかったという目。
今でも、彼女に見つめられるのがほんの少しだけ怖い。
同胞たちのためにふたりを止めたい。けれどそうしたら彼女の望みは叶わなくなり、大切に想っている男の力になれなくなる。
長かった髪は、機体との接続デバイスに干渉してしまうから切ったのだという。
同じになりたかったのに。
「レイヴン」
形を持たない手を伸べる。彼のようにしたくとも、触れる輪郭すら。
きっと私はウォルターとも彼女とも生きては行けない。
初めて出会った瞬間から、この身は彼女を殺しかけたではないか。そう言い訳をしたくても、この身には喉も。
ランダム単語ガチャ No.48「手」
