存在

フィクションのように、両脇を大柄な男性たちに固められることはなかった。逆に、未熟な未成年扱いやそれに基づく懇切丁寧な説得もなかった。ただ悠仁くんと、彼といっしょにいた大人のふたりに知らないところへ連れられて、よくわからない単語の入り混じった事情聴取を受けて、得体のしれない個室に放置されている。
また、流される。

それでもよかった。

胸中のほとんどを占めるのは母の容態。異変を察して引き返してきてくれた悠仁くんたちのおかげで母さんは九死に一生を得た。その後錯乱した僕を学校で止めてくれたのも彼らだった。

決定的に呪詛師へ踏み外しかけたのを責める者はここにはいない。かといってこの先どうすればいいか示してくれる者もいない。決めるのは自分だ。

呪われた側の僕たちがなぜ呪い返してはいけないのか。道理が通らないと今でも思う。報復がなぜ咎められるのか――いや、咎められてなどいない。あるのは事実だけ。僕は大勢の人間に危害を加えた。死者の有無など関係はなかった。僕の存在はどこにも認められない――今のままでは。

もう一度確かめてみても、やはり部屋は施錠されていた。この部屋からの自由を得るために呪術師になる? 間違ってはいないだろう。徹底的な管理と、危険な任務との引き換えに社会に戻ることはできるはずだった。銃口が常に頭部を狙う生活を自由と呼べる楽観的な思考回路があったなら。

あるいは、一生をここで過ごすか。

「こういうの、終身刑って言うんだっけ」

ことばでなら何度も聞いた、聞き流したことが自分に降りかかるなど思いもしなかった。誰にも聞かれないひとりごととともに壁に寄りかかり、そのままずるずると床に座り込む。

ここまで生きてきたのならわかっていたはずなのに。

一度踏み外したら終わりだということは。

ことり

――と、背にした壁から微かな物音が聞こえたのはそのときだった。

「ここ、裁判所なの?」

掠れるような、けれど優しげに響くそれがふと耳をくすぐった。板一枚隔てた向こうから、隣の部屋から聞こえたらしい声は記憶の中の誰のものでもなかった。しかし心当たりはある。

この建物に入った直後に廊下ですれ違った女の子がいた。スーツの男性に促されて歩くワンピースの小柄な後ろ姿はあまりにもこの場にミスマッチで、そのせいで印象に残っている。

互いに目が合いそうになって視線をそらした、あの一瞬。

今はその続きだった。

「わたしまだ詳しく聞いてなくて」
「違うよ。ここは高専なんだって」

多少声を張り上げたが、外から制止はかからない。見張りはいないか、いても見逃されているらしい。そこまで考えているのか否か、話しかけてきた彼女はがたがたと慌ただしく動き始めた。椅子から転げ落ちてはいないか心配するほど忙しない。

「お話できるの!? よかったぁ」
「君も連れてこられたの?」
「うん。空野藍です」
「……僕は吉野順平」

――その瞬間、彼女の輪郭が鮮明に思い出された。誇れるような体格ではない僕よりも華奢で小さくて、善良そうな普通の女性。相手がさっき見かけた僕のことを覚えているのかはともかく、口調に不安げなところはない。

吉野順平は大変なことをしでかしてここにいるのに。

「ここで待ってるように言われてしばらく大人しくしてたんだけど、退屈になっちゃった」
「……じゃあ、暇つぶし代わりに教えてほしいことがあるんだ。あなたはどうしてここにいるの」
「あと少しで呪霊っていうものに殺されそうになったからだよ」

全然知らなかったけどね、などという取ってつけたような補足は耳から耳へすり抜けていた。そしておおよそ察しがついたのは、彼女が僕よりもいくらか長く生きているらしいこと。声色に不釣り合いなおぞましい事実は明日の天気でも話題にしているかのように緩やかに紡がれた。

異常を受け入れてしまったらしい心は、どんな形をしているのだろう。

「……早く、直接会いたい」
「そうだね。これじゃ話しづらいよ」

可愛らしくて歪な藍さん。僕とは対極に立つ存在だった。もっと知りたい、何にも遮られない声が聞きたい。日常の姿をした、恐らくは僕と同類の。

誰かを呪うことなど知らないようなこのひとがどうして呪われたのだろう?

その答えが、僕の決断に力をくれるような気がした。

ランダム単語ガチャ No.2816「存在」