サラダボウル

「小学生のころの国語の教科書に乗ってた覚えがあるんだ。病気のお母さんのために女の子が大きなサラダを作ってて」
「いろんな動物が助けてくれるやつだ?」
「あ、それだよ! 藍さんも読んだことあるんだね」

弾む会話は、しかしふたりして視線を手元に向けている。僕はきゅうり、藍さんはキャベツを切ってはボウルに乗せてを繰り返した。仕上げのトマトは、パックに入ったまま隅で出番を待っている。

エプロン姿を初めて見た。ちらと横目で眺めるのは少し低いところにある可愛らしいリボン。それに飾られたポケットからは猫の顔をしたクリップが覗いて。

――生活感そのものが隣にあるようで、なぜかどきどきしてしまう。さっと括った髪。綺麗に洗われた手。野菜のヘタや皮を処理する慣れた手つき。途切れ途切れになるほど微かな鼻歌。

もう、全て好きだ。

「順平くん、そっち手伝うよ」

心臓が潰れるかと思った。まっすぐに見上げる視線が何もかも見透かしてしまったように感じて。

「あっはい!」
「順平くん!?」
「な、何でもない……」

挙動不審な僕を藍さんはとても興味深そうに観察し始める。あぁ追及しないでほしい。何せ今、脳内は限りある語彙がさらに失われつつある。

同居、同棲、新婚。残っているのは主にこれだけ。共通点はといえば――口にするのも恥ずかしい! 何よりこんな状態を藍さんに感づかれてしまうのを想像するだけで転げ回りたくなる。せっかくのお昼ごはんを前に煩悩を持て余しているなんて。

「あんまり、見つめないで」
「うーん、どうしよ? だってこんなに近くに順平くんがいるのって久しぶりだもん」
「いっしょに暮らせば毎日並んで料理できるよ!」

暮、の辺りまで口走りかけてとっさに両手で塞いだ。さすがにただならぬ雰囲気を察してくれた藍さんはおずおずと問いかけてくる。

「具合悪い? あ、トマト嫌い……?」

テンションを乱高下させる隣人に引かないでくれる優しさが胸に滲みて痛いほどだ。僕はどうしてしまったんだろう。教科書のあの子たちのように、ボウルいっぱいの瑞々しいサラダを食べたら完全復活できるのだろうか。

ランダム単語ガチャ No.7509「サラダボウル」