新鮮なレタスに目を細める藍さんも、嬉しそうにサンドイッチをかじる藍さんも、もうどこかへ行ってしまった。ささやかな昼食会は今や静寂に沈み、どこかで鳥がさえずるのすら聞き取れる。
「僕があなたの骨格になれたら」
頬骨をなぞってこめかみへ。両手で柔らかな輪郭をたどるのを誰も咎めることはない。藍さんが僕の名前を戸惑いとともにこぼした声は床に落ちたまま誰も拾い上げることはなくて。
「あなたがおいしいって言ってくれるたびに嬉しくて泣きたくなるんだ。僕の作ったものが」
藍さんの一部になるのが嬉しい。そのひとことは音にはならなかった。事実であることと、それが理解可能であるかは別の問題だ。
毛足の長いラグに座り込む姿勢、その維持に不可欠な骨肉はきっとここの誰よりほっそりとして脆いのだろう。僕はそれが気がかりだった。きょとんと見上げる視線もろとも明日には何者かに喰われていてもおかしくはない。
「藍さんは柔いから、何かの拍子に壊れないか心配なんだ。毎日でも僕の料理を食べてほしいよ。そうしたら安心できる……」
汎用的なことばで包んだ支離滅裂な欲求にこのひとが気づく日は来るのだろうか。藍さんを失いたくない。僕に守り抜く力があるかといえば答えは否だ。けれど僕が人柱になるのだとしたらどうだろう。一見飛躍しているこの理論が成り立つ世界に僕たちは立っている。
命ひとつと引き換えなら?
「僕を食べてもらえたら、僕はあなたの中にいられるかな」
「食べないよ」
――意外なほどはっきりと、否定が倒錯を叩き切った。気づけば藍さんの手はすっかり冷え切って、僕の両手をやんわり引き剥がしにかかっている。
「すぐに意味がなくなるよ」
「それは、どうして」
「そういう仕組みだから」
人間の体は絶えず新しくなっている。新しい細胞が生まれるたびに古いものが死んでいくことはどうとも言い換えなど効かない。本当にそういう仕組みだから。
それなら魂はどうだろう。あくまで僕の存在を維持しようとしてくれる藍さんは、これから何十年たってもこのままなのだろうか。
あくまで、僕の言う手段の結果だけを否定した藍さんは。
「僕を食べるの自体は、いいんだ?」
「だめ。ずっと隣にいてくれなくちゃ」
藍さんが笑うのには数秒の間があった。これはチャンスなのかもしれない。サンドイッチでなければ、料理でなければ、僕がこのひとと永遠にいられる道があるのかもしれない。
