くすぐったいよ、と笑う藍さんの声が途切れて、しばらく経つ。
今やその目は困惑に潤んでいるようにも見えた。
「順平くん」
見上げる視線はすぐに落ちて。ラグにぺたりと座り込んだ脚は、立ち上がる気力を失っているのだろうか。
それは好都合ではあるけれど。
「まだ、するの」
「うん」
自分の返事が上の空になるのがわかった。
白い手のひらに指を滑らせるのに精いっぱいで。
「あなたの手に触れたい」
そう頼んだのは全くの思いつきだった。小さくて、綺麗で、滑らかな手。華奢で、わずかに丸みの残る、女の子の指。
両の手のひらいっぱいに確かめたくて仕方なかった。こんなにも他人の、しかも部位に心を奪われた覚えなどない。対象が彼女だからだろうとは予想がつく。
壊れたのかと思わせるほど鼓動が早く大きくなることは想定外に過ぎたが。
「ハンドクリーム塗ったばかりだよ」
前置きしつつ快諾してくれた笑顔が消えてしまったことが心残りだ。
崩した正座が痺れを帯びることすら意識の外へ。藍さんをひとつ残らず感じたい。次第に思考はそればかりになっていく。
もっと自分は賢いのだと思っていた。このひとが驚いて、困ることは一生できないと思っていた。
そんなものはすべてぶち壊された。
全部、思い上がりだ。
自分の指が彼女の上を這い、手の甲に至る光景がたまらなく心地いい。薬品のぬめりに助けられるまま手首の裏、薄いところをなぞると藍さんは小さく息を呑んだ。
「痛い?」
慌てて首を横に振る様子に、ことばはない。出てこないと形容した方が近いのだろうか。唇を開いては閉じ、またこちらを見上げては目をそらし、忙しいのがおかしくて、可愛い。
「可愛いね、藍さん」
また、気持ちが声になった。これが――このひとに触れることと、思ったことを率直に口にすることが、こんなに気持ちいいということだって今日まで知らなかった。
これ以上続けたら、自分を構成するものの核にまで破壊が及ぶだろう。
それに何の問題がある?
自制はすでに息をしていない。
「くすぐったいの、嫌?」
「う、ううん……大丈夫。でも変な感じ」
「どんな風だろう。教えて、藍さん」
両手は、彼女を放す気など毛頭ない。
一度逃がしてしまえばどんな手段を使っても連れ戻そうとしてしまうだろうから。
「もっと、順平くんに触ってほしくなる」
その返事を聞いて――背筋を滑り落ちていった熱が何なのか、はっきりわからなくてよかった。
どうして、こんなに藍さんが、自分が、熱いのかも。
ランダム単語ガチャ No.9771「インドラの矢」
