呼び止める大声のすぐ後に、手があった。
橙が混ざった鈍色の海面にさざ波が立つのを柵越しに眺めたまま、振り返るのをためらった。きっと順平くんは怒っているから。
「どうしてこんなところにいるんだよ」
やっぱり。
この広い公園の奥まで急いで来たらしい呼吸は微かに乱れ。だからこそ、安堵の上を苛立ちが乗り越えてくるのは当然のことだった。
「あなたは、まだ安全じゃないんだ! その足で、ひとりでこんな遠くまで……死んでしまうかもしれなかったのに」
顔向けができない。これはわたしの事情で、言い訳だ。
掴まれる左手首をそのままに、肩越しに背後を向く。
「藍さん」
夕闇にその影を濃くしながら、順平くんは鋭い視線とともに唇を引き結んでいる。まだまだ言い募りたいことがたくさんあるのに、次から次へと喉の奥へ落ちて行ってしまうもどかしさで。
涙をこらえているみたいだと思ったのは、実際に泣き顔を見てしまったことがあるからかもしれない。
いつのことだったかは、すぐには思い出せないけれど。
「どうして、わたしがここにいるってわかったの……」
聞かずにはいられなかった――これは、また怒られるのだと予想しつつ。煽っているのかと疑われても仕方がないことを、わたしは言ったから。いちばんに、謝るべき場面で。
わたしと順平くんは同じものにはなれないのに。相手が何を思っているかわかったものではないのに。
こうしてまた互いを真正面にしていられることの理由が、わからない。
「……藍さんが」
読みは外れた。
ただ、すとんと色の消えた透明な声があった。まるで考えてもみなかったことを指摘されてきょとんとするような。
「あなたが赤い靴を履いてたから……」
波の音が、ないに等しいふたりの間を漂っていった。
「……そっか」
だから、わたしには見えないものを恐れながら。順平くんたちを酷く傷つけた、姿のわからないものたちに出くわす危険も蹴飛ばして、ここまで。
「怖がってくれたんだね」
二度と会えなくなることを、いちばんに。
「ねぇ……藍さん」
わたしよりもたくさんのことばを持っている彼からは、答えの代わりにわたしの名前が出てきた。きっと、他は後からたくさんあふれてくるのだろう。それを聞いて、受け止めて、謝りたい。
「帰ろう。海から離れなきゃ」
駅へと歩き出すその手に引かれると、こちらからは順平くんの背中しか見えなくなる。それでも、呼びかけてくれた表情の意味くらいすぐに読み取れた。
「僕は人生で四番目くらいに怒ってる」
「うん」
「……人生で二番目くらいに安心してる」
「……うん」
「……間に合ってよかった……」
ありがとう、なんてとても言えなかった。
今、人生でいちばん後悔している。こんなに想ってくれるひとを泣かせてしまったのだから。
ランダム単語ガチャ No.9801「カーラーの救命曲線」
▼追記
今書いてる順平長編の次に書こうかと考えてる長編の一部分です。順平と初対面~アップしてる短編のような関係になるまでのなれそめ編。
