腑に落ちる

※モブ視点

 まだ正式な編入ではなく、特別な措置だという。彼は他の生徒と同じように授業を受けながらも、保護観察と称しその生活は常に監視の目に晒されていた。

 煩わしくないのか、ルームミラー越しにそう問えば「それだけのことをした」とだけ返ってくる。

 素っ気ないことだ。しかしその笑みに混じっているのは苦さだけではない気がした。喜びにも似た、見る者を困惑させる甘さが。

 ***

 彼と同じく高専の監視下にいる人間。空野藍、その名は我々の間で決して広く知られてはいない。呪いが見えず、呪術師でもない、単なる一般人。彼と共通するのは呪われたということ。彼女は自らを取り巻く異質に奇跡的に気づき、これまた運よく高専の保護を受けられたという。

 接点すらないはずのふたりの間に、それはあった。

「いつもありがとうございます」

 真っ黒な車に拒絶反応を示すことなく、彼女は頭を下げた。送迎を任される身としては無難な対象でよかったと思わなくもない。補助監督の中には呪術師と反りが合わず任務に支障をきたす者もいる。礼儀正しいという点では彼も同じだ。つくづく幸運な日だと言える。

「怪我がなくてよかったぁ。今日はどこに?」
「港の方だよ。さっき別れた二級のひとといっしょに」
「そういえばその辺りって今日お祭りだったよね。朝テレビで見たよ、すごく混んでた……」
「だから呪霊も集まってきたのかな」

 後部座席では和やかなおしゃべりが続いていた――話題に目をつむれば。カーブのついでにそちらへ注意を向ければ、ふたりは空野側のスマートフォンを覗き込んで頷き、笑い、また頷き。

 そのさなか、彼はふと真横を見つめた。ああまで近くに座っていては逆にその必要などないというのに、画面を注視する空野を無言で。

 一時停止した今だから気づけた。

「楽しみだね、水族館! わたしペンギンのぬいぐるみ探すんだー」
「藍さん、まずは生身の生きものを見なくちゃ」

 彼の苦笑が浮かぶのは唇だけ。

 その目は今隣にいる彼女を見ているのだとはとても思えない、遥か彼方の月の海に憧れ仰ぐのと同義の光があった。

 ひたすらに愛おしげに、永遠に手が届かないなどとは考えもしない真っ直ぐさで。
 
 ***

 空野藍がこのことに気づかなかったのは幸せなのだろうか。また今度、と手を振る微笑みの真上には満月が輝いている。

 彼女は自宅へ戻り、我々は高専へ帰投する。乗員がひとり減った車内にはいっとき沈黙が降りた。走り出し、タイヤが砂利を弾く乾いた音すら鮮明に聞こえるほど。

「吉野くん」

 はい、と、小さな返答とともに彼はミラーの中で顔を上げた。そこに何の異変もありはしないし、瞬きを繰り返す様には年相応のあどけなさがある。けれど同時に、あれが見間違いでないことも確かだった。

 月のひかりを手にするためなら命すら差し出しかねない危うさが。

「君の空野さんへの態度は何だ?」

 あいまいな問いかけに答えはない。それでも畳みかけたのは焦燥のせいでもあった。異端者を弾圧する狂信はこのような心境なのかもしれない。理解できないことが目の前にあるのはいけないことだと。

「恋人を前にした十代ではないんだ。まるで崇拝でもしているかのような」
「そうですか?」

 ふ、と。

 彼のかんばせには笑みがあった。

 酷く現実感の淡い。

 幸福な。

「僕は藍さんのことが好きですよ」
「……あぁ」

 あぁ、それはそうだろうなと感じミラーから正面へ向き直った。きっとこの男は彼女が突然一枚の絵画になったとしても後生大事に守り抜くのだろう。

 その光景を脳裏に思い描き――戻ったらいちばんに意思表示をしようと決めた。

 極力、この子らと関わる案件からは外してもらえるように。

ランダム単語ガチャ No.1324「腑に落ちる」