「答えて。あの子がいなくなってしまったのはなぜ」
それは尋問の様相を呈しているにも関わらず脈絡のない唐突なものだった。すずめちゃんに彼の言う人物との面識はない。何より子どもに向けるにはあまりにもそぐわない、平坦で色のない音。
「冷たいね」
――それはあの子の無言を批判するものではなかった。ひび割れた細い呼吸に被さった何かが、携帯から流れる音声を遠ざける。視覚の塞がれた推測は胸の塞ぐような画を脳裏に叩きつけた。アラウディはすずめちゃんに触れている。そしてすずめちゃんはそこから離れることができない。
階段で足がもつれそうになったのは焦りではなく怒りのせいだ。ようやくカーテンに覆われた窓がある一階だろう地点にたどり着いた、その瞬間に深呼吸を挟み行動の精度がこれ以上落ちることを防ごうと試みる。効果の程は期待できないだろう。時間とともに頭に熱が上っていくのがわかる。
白蘭のことば通りに違いない。すずめちゃんの声は悲鳴にも似た先ほどのひとつからかけらと届かなくなった。そのときいちばんに助けを求めたのが誰だったか。
一刻も早くそこへ行かなくてはいけない。
「僕のきょうだいもそうだった。病気で、いなくなる前にどんどん温かさが失われていった。君は? 君もあの子と同じように消えてしまうのかい」
アラウディの声は微かに反響している。静かで、狭くはない場所にいるとしたらある程度は絞れるだろう。シャッターを閉じた展示会場、そのバックヤード、プラネタリウム。とはいえひとつひとつ当たる時間はなかった。ほかに情報はないかと荒れる呼吸を無理矢理押さえつけて耳を澄ませる。あてもなく走り回ることは簡単だが結果的に遠回りになりかねない。
「君は誰かから聞いているかい。ボンゴレはこんなことが何代も続いている」
「こんなこと……?」
やっと口を開いたすずめちゃんを遮って、またひとつ鈍い物音がした。あの白い指で家のドアをノックしたならきっとそんな音がしたはずだ。木、またはそれに近い硬く軽い材質。もしかするとあの子なりのヒントなのかもしれなかった。脱出のためにもがいたと見せかけて、アラウディには気づかれないように。
「ボンゴレの雲の守護者にはいつも近しい協力者がいる。僕たちのようにきょうだいであったり、部下、親友、恋人。形はさまざまだ。その誰もが若いまま死んだ」
「ぼく……ぼくは、違うもん。そんなの知らない……」
アラウディが何のためらいもなく投げつけた決定的な単語をすずめちゃんはまだ受け止められない。未来で、一度は飲み込みかけたそのことばを本当に理解するにはまだ心が追いついていなかった。そのままでよかったものを彼は強引に引き出そうとする。
アラウディは納得できる理由を求めていた。おそらくは不本意に失ったきょうだいの死に後づけるための理由を、同じ立ち位置にいるすずめちゃんに。
「あの子はそうなった。なぜ? 治療法をもっと模索すれば助かったかもしれないのに選ばなかった。僕を置いて」
硬いものを殴りつける響きとともに震えた悲鳴がノイズに乗った。破壊に等しい轟音はそのまま暴力になる。ましてや何にも隔てられずからだを無防備に晒しているすずめちゃん相手ならなおさら。
――その瞬間、ふたりがどこにいるのかをやっと確信した。広いところ、すずめちゃんが逃げ出せないように追い詰める場所、死を語る舞台。
棺だ。
展示会場のバックヤードには、観覧用ではなく学芸員の研究のために持ち込まれたものが並べてあるかもしれない。そのどこかにすずめちゃんは押し込められている。アラウディに落とされた地点からそう遠くはない。きつく夕日が差す時刻を示す壁時計を素通りし、ついさっきふたりで見学していた展示を目指した。
「あなたが悲しむのと、自分が苦しいのが嫌だったからだよ」
ほとんど泣きじゃくった、聞いているこちらが胸を抉られそうな苦しい呼吸とともに投げ出された答えはアラウディに届いたはずだ。何が起きたのかわからないが、何日も探してやっと手に入れたすずめちゃんのことばに彼は反応しない。少なくとも音の上では。
「ぼく、熱を出したことあるから知ってるもん。苦しかったの、悲しくて、嫌だった……」
「……苦しい? マリーノが……?」
「苦しくない病気なんて知らない、そんなの、ないよ」
血を吐く苦々しさにアラウディはやっと、だが呆然と返した。その可能性を初めから排除していたかのように。
「痛くも苦しくもないと言っていた。あの子が嘘をついたと」
「嘘だよ」
――硬く鋭い、それは拒絶にも似た断定だった。すずめちゃんが口にしたとはにわかに信じがたい、諦念を内包した確信。
「だって、だって泣いてるとこなんか見たくないんだもん」
そのことばはそのまま、すずめちゃんの思考だった。アラウディのきょうだいと同じ場面に遭遇したなら同じことばを、同じ道を選ぶと。
「キョーヤも哲さんも、みんなだって、ぼくが苦しいと悲しくなるんだよ。そんなの嫌、嫌だからほんとのことなんて言わない……」
ふらりと熱に浮かされることばはかき消え――その瞬間に合金のドアを蹴り開けた。無惨にこじ開けられた錠が目印となり、狙い通りそこにはふたりがいた。膝をついてこちらを振り向くアラウディ。傍らには棺のレプリカがある。横たえられるのはすずめちゃんだった。両腕を手錠で繋がれ、内部の金具に括りつけられて。
その光景に我を忘れるほどの衝動を覚えることはなかった。感じたのは寒気がするほどの怖気。この子が、このような目に遭っていたと突きつけられたのだから。
しかし飛んでくるのは泣き声ではなく。
「キョーヤ……!」
懸命に涙をこらえていた表情が、視線が交錯した瞬間に華やいだ。まだすずめちゃんは折られてなどいない。アラウディの苛烈な姿勢に真っ向から受けて立った反動は疲労となって色濃いが、喜びが大きく上回り始めている。
「待ってて。すぐ助ける」
「うん!」
「……勝手を」
微かなため息の後、音もなく立ち上がる長身はこちらを捨てすずめちゃんを再び見下ろした。だらりと下げられた両手には何も手にしていない。だからこそ次の瞬間どんな構えを見せるかわからない異様さがあった。
「また君をみすみす手放すとでも思うのかい」
「ぼくはすずめちゃんだよ! もう誰かと間違えちゃやだ!」
無駄と知りながら小さな手がもがくのに合わせてそちらへ踏み込んだ。ちらと低温の視線が投げかけられるがアラウディは武器はおろか拳すら向けようとしない。戦闘に入る気すら感じない――実際そうなのだとこの男の真正面に飛び込んでようやく察した。
そこにはただ、虚があった。
「……マリーナ」
振り抜いたトンファーを間一髪かわす足は一歩下がる。返す刃も最小限のステップで回避した彼の空けたスペースにさっと差した影があった。
ここにいる誰のものでもない、第三者の。
「すずめちゃん、バニラを連れて来たよ! 変身して!」
軽く肩で息をしてその手を振りかぶったのは白蘭だった。ぎこちないピッチングで放たれる白い球はしかし綺麗に放物線を描き、仰向けのすずめちゃんの胸にふわりと着地する。安心したようにぺたりと頬ずりする子兎はとくにダメージもないらしい。振り返れば彼は満足したように頷いている。
「……君、何ふざけてるの」
「ふざけてないよ、これが最適解だってヒバリくんにもわかるはずだ」
「ありがとう白蘭! 変身!」
――僕の知らない何かが起こっている。改めてそちらを見るとバニラはすでにレザーコートに姿を変えすずめちゃんの体をすっぽりと覆っていた。その装備は欠けることなく揃っている。無機質なガスマスク、垂れた兎の耳、腰に吊られたナイフ。
その中からとっさに抜き取ったナイフで手錠の鎖部分を体重をかけて突き刺し、捻った。もともと実体などないに等しかった拘束は、鎖を断たれたと同時に霧散し姿を消す。後には、自由になった生者が残る。
「待たせたね」
緊張の糸が切れた背を抱き起こしても、ことばはなかった。――震える両手が強く抱きしめ返すだけで。
「……もう大丈夫。すずめちゃん」
「で、そっちはどうするの?」
回復が不完全なまま追ってきたのか、歩み出る白蘭の足取りは不安定だった。しかしその目はしっかりとアラウディを見据えている。彼は焦りも憤りもしなかった。立ちはだかろうとする白蘭を排除することすらせず、腕の中にいるすずめちゃんを眺めるばかり。それに相対するはずの視線は、ガスマスクのゴーグルに遮られ届いているのかもわからないというのに。
ひとり離れて立ち尽くす姿に、先ほどまでの悪辣さはどこにもない。
「……君の名前を、よく考えていなかった。僕は止めたかった。またあの子が、君がいなくなるのを」
小さく縮こまってアラウディから隠れようとしていたすずめちゃんが、ふと彼へ注意を向ける。意識があいまいながらもそれを可能にしたのは声なのかもしれなかった。ふたりの声はとてもよく似ているという。
表情は、どうなのだろうか。今のアラウディは波紋ひとつない朝の水面を思わせる。静かで、涼やかな色をした。
「僕たちは国に仮の名を与えられた。あの子にはマリーノ、マリーナの名を。どちらも海の名前だ。だから大空といっしょにはいられないと思っていた」
「そんなのは関係ない。この子がいるのは僕の隣だよ」
すずめちゃんを抱く腕に、知らず力がこもった。
「僕たちの、でしょ」
「どういう意味」
「この子を大好きなのはヒバリくんだけじゃないってこと」
完全に警戒を解いた白蘭が軽く伸びをしながら振り向く前でガスマスクとフードが自ら取り払われる。緩く頭を振り、アラウディを真正面から見つめ返して。
「大丈夫。ぼくはすずめちゃんだもん」
「……そう」
――ふっと、その唇に笑みがこぼれた。
「そうだね。それに、ふたりもいる」
こちらと白蘭を交互に見やる目は、最後にもう一度すずめちゃんへ向けられた。
いつかこの子も、本当のことを隠すときが来るのだろうか。
――そんなものは永遠にやって来ない。そうしてみせるとあのとき決めたのだから。
「雲の守護者」
「その呼び方、止めてくれる」
「恭弥」
教えた覚えのない名が紡がれる。
「僕は消える。けれど見ているよ。同じ間違いが起こらないように」
「好きにしたらいい。僕は成し遂げる」
「僕もいっしょにね」
「ぼくも!」
威勢のいいふたつの追い風を見届けてアラウディは踵を返し――次の瞬間、そこには彼の影も形も残らなかった。
ただ、床にぽつりと存在する銀色のリングだけがある。
「派手にやったな」
その声の主は緑色のハンググライダーに乗ってやって来た。降り立った先でリングを拾い上げた彼は、面白がって見下ろす白蘭を手を振って追い払いながらジャケットの袖口についた埃をはたく。
「こうなるとわかってたのかい」
「さぁな。ただリングの反応があったから来ただけだ。これからお前やツナたちの助けになる――気があるかはわかんねぇけどな」
口の端を上げるリボーンから受け取ったリングは見た目の印象よりも重かった。無言の意思が形づくる質量のように思えて、きつく握りしめる。
誰に言われるまでもないことだ。こうしてすずめちゃんがここにいる、そんな時間を守り通すことは。
