02

「僕は可愛いらしいね」
「うんうん、可愛くてかっこいい……」

すずめちゃんが過ちに気づいたときには遅かった。きっかり一分くすぐり倒されて畳に沈むのを見てようやく気が済む。

「僕は可愛い?」
「キョーヤは……世界でいちばんかっこいい……」
「いい子だね。その通りだよ」

笑い疲れたすずめちゃんは涙を拭いながら「ごめんなさい」と姿勢を正す。ころころと逃げ回ったせいで乱れ放題の服を整えてやると、余韻が残るのか再び笑みがこぼれた。

「何で知ってるの……?」
「ある筋からの情報だよ。君は本当に隠しごとができないね」

怪我もなくこうして笑い転げることができたのなら、と、聞きたかった何十もの質問を飲み込んだ。あれからすずめちゃんが向かった場所、学校、心当たりを全て探してもその姿はなかった。さらに沢田綱吉たちも揃って姿を消していることがわかり、ならばどうしろと――八方塞がりになりかけたところを幻騎士とやらの前に呼び出された。

一度は別行動を取ったボンゴレと合流したつもりはないが、十年分歳を重ねた……らしい草壁の願いで風紀財団の地下施設にこうして戻っている。未来の雲雀恭弥と入れ替わったすずめちゃんは無事に帰ってきて、これで一応の目標は達成したと言えるだろう。

ここで再会してからというもの、すずめちゃんは前にも増して離れたがらなくなった。自身を取り巻く事態に弱気になったのとは違い、ただ僕がどこかに行くのだけを恐れているように。地上も地下もなくついてきては、服の裾を摘んで離さない。

「君はこっちでしょ」

その度に手を差し出すと、ほんの少しの逡巡の後に温かな指を重ねる。泡にでも触れるかのようだった。指先が届いた途端にかき消えるものだと思い込んで、そんなはずはないと強引に納得して。

――いや、現にすずめちゃんの前からは人間がひとり消え失せた。ここにいたほうの雲雀恭弥。数日前に相対した、奇妙なまでに何もかもが似ていて、同時に腹立たしかった男。その彼も、ひとり失っている。

ここにいた未来のすずめちゃんの死は、マフィアの抗争には何ら関係のないものだ。だから並盛が崩壊する未来が変わったところで、あの男のもとに帰ってくる者はひとりもいない。

彼がこの子にしでかしたことが何なのか、わかった気がする。そして彼は間違いなく、過去から来たこのすずめちゃんのことも大切に扱っていたはずなのだ。

それら全て引っくるめて、どうしようもなく許せない。すずめちゃんにとって僕と彼、ふたりが別人であったとしても。

許せない、といえば。手を繋いでご機嫌のすずめちゃんと反比例するように、財団アジトへ近づくごとに苛立ちが募っていく。諸悪の根源は先日突然に現れ、ボンゴレに留まっていた。

***

「こーんなに小さかったか? いやー久しぶりだな……じゃなかった、とにかく、ほんとにいつ見ても可愛いなぁ」

一直線に投げつけたトンファーを軽々とかわし、この時代のディーノは緩みきった笑顔ですずめちゃんの頭を撫で回した。自分の匣兵器らしい馬に乗せて遊んでやる様子は、端から見れば親戚か何かのように自然に映る。よりにもよってこの跳ね馬が。

「お馬さん、かっこいいね」
「オレの相棒なんだ。仲よくしてやってくれ」
「うん。ぼく瓜ちゃんとロールちゃんとも友だちなんだよ」

話を振られた小猫は、傍らのテーブルの上でふて寝している。獄寺の指示の数々を聞き流し、さぞ面倒くさそうに。これでは目的の修業とやらの成果は芳しくないだろう。資料室に集まったのは匣の構造理解を必要とした人間と、ビアンキについてきたハル、僕についてきたすずめちゃん。結構な人数だ。

「瓜ちゃん、疲れちゃったんでしょうか?」
「隼人のやり方が悪いわ。猫相手に説明書を頭から読み上げるような……」
「うるせぇ! 理論を叩き込まなきゃ進まねぇんだよ!」

すずめちゃんの膝から飛び降りたロールが隣で懸命に鳴き声を上げても、猫は見向きもしない。この部屋だけ動物で密度がおかしなことになっていた。それを察してか、いちばん場所を取っていた馬を匣に戻したディーノはすずめちゃんを下ろす。

「そういえば、すずめちゃんの匣は入江が持ってたわね」
「何か、出力調整がどうとか言ってたな?」
「スパナくんといっしょにカイゾウするって。キョーヤ、カイゾウって何?」
「作り変えることだよ」

妙な真似をしたら咬み殺すつもりでいたが、スパナがすずめちゃんと初めて顔を合わせた際の第一声で気が変わった。心底不満そうに「何でこう大勢子どもがいるんだ」と肩を落としたのだ。そしてその手にあった匣が欠陥品だと即座に見抜き、改良を申し出た次の瞬間には入江を引きずってラボに籠もった――テンションにムラのありすぎる男だが、その倫理観は至極真っ当らしい。

「外のみなさんはアニマルちゃんたちと息ぴったりなの、他に何か理由があるんじゃないですか?」

ハルが瓜の頬をくすぐるが、持ち主のように惨事に合うことはない。ロールをその手に引き取ったすずめちゃんも不思議そうにひとりと一匹を見比べた。

「……何だよ」
「うぅん。獄寺くん、この前は野良猫ちゃんとにこにこ遊んでむぐぐ」
「おいバカ言うなって! ないしょだないしょ」

すずめちゃんの口元を慌てて塞ぐ彼の足を即座に払う。特定の相手としかつるまない男という印象――それもかなり漠然としたものだったが、こうしてすっ転ぶ様を見て気が済む。気が済むということはつまり、知らないところですずめちゃんが誰かと繋がるのを未だに厭う自分がいるということだ。すずめちゃんのいちばんが誰なのかはもう明らかだというのに。

「ってーなヒバリ! 危ねーだろが」
「やーこれはお前が悪いぞ? 恭弥の前でこの子に手出すから」
「ふたりして兄貴面しやがって……」
「咬み殺されたいの」

トンファーを構えようにも、片方は部屋の片隅に転がっている。やはり群れは嫌いだった。好きに暴れられなくなる。ここにいるのはすずめちゃんがいるからだ。そして同じ場所に跳ね馬がいるから。

「何だ、乱闘か」

察したハルがすずめちゃんをさりげなくガードした瞬間、部屋に入ってきたのはスパナだった。どこか楽しげな彼は、ツナギのポケットから取り出した匣をすずめちゃんに渡す。

「これ。ウチ考案の回路を組み込んで……あー、まぁ簡単に言うと、兎がもう少しまともに機能するようになった」
「もう少し? 意外ね、ふたりでも解決できないなんて」
「元にした動物が悪かったんだ。出してみればわかる」
「すずめちゃん、開けてみてくれ」

ずり落ちた眼鏡を片づけ、獄寺は小さな手の中の匣を指差した。

「瓜との対照実験だ。今はどんなことでも匣兵器の情報を集めてーんだよ」

真摯な視線に、しかし逆に困ったすずめちゃんはこちらに助けを求めた。誰もが開けるな危険と言って聞かせてきたものが、今や必要とされている。スパナたちの手が入ったとしても容易に判断がつかないのだろう。

「いいよ。何が起きても君は僕が守る」

手招きに応え、すずめちゃんはにこりと頷いた。僕の背に隠れるようにして、慎重にリングの炎を匣に入れる。

「きっと可愛い兎さんですよ!」

ハルの予想通りならいいが――誰もが僅かに身構えながら、兵器がテーブルに飛び出すのを見守った。黄の光の中から出てきた塊はすずめちゃんの手のひらに収まるほど小さい。

「ゆ、油断すんなよ。瓜みてーな暴れ方したら……?」

獄寺の緊張が一気に緩む。

「あれ……?」

すずめちゃんが恐る恐るテーブルに近寄る。本を数冊積めば隠れてしまうだろうほど、それは高さもなかった。そうっと拾い上げた黄がかった白い毛並みは、皮膚の赤を微かに透かす。閉じた目は開かず、呼吸に合わせて背が上下するだけの。

「あ、あ」

途端にすずめちゃんの目が輝き出した。

「まだ赤ちゃんだ……!?」

――この匣兵器を装備したすずめちゃんがほとんど意識を失っていたという理由がわかった。元となったこの兎にはっきりとした意識そのものがまだないからだ。使用者が兵器と同調すれば意識も引きずられる。開発者の意図とマッチしてはいたが、今回スパナの手で改悪……こちらからしたら改善されたらしい。

「ま、これからのコミュニケーション次第。こうして動物の形を取れただけで収穫収穫。赤ん坊だし、成長も目覚ましい……はず」

覗き込むスパナの声に反応したのか、兎が鼻をひくつかせて微かに顎を上げた。すずめちゃんの手の上をふにゃふにゃと歩き、首を巡らせてなぜか僕を見上げ――力尽きた。すずめちゃんの指に頬を擦り寄せ、またしても眠ってしまう。

ハルは頬に、ビアンキは口元に手を当て、無言でその様子を眺めていた。すずめちゃんはぽかんと唇を開けて、獄寺はあからさまに視線をそらし。

「キュートですー!」
「待っててすずめちゃん、写真撮らせてちょうだい……」
「やっぱそうくるよなー? カメラはあっちの器具庫でジャンニーニが使ってたぞ」

ディーノが苦笑いして、子兎の頭を指先で撫でた。起きる気配のない綿ぼこり同然のこの兎に、兵器と呼べるだけの性能があるなどとはまるで思えない。

「すずめちゃんの守護神にしちゃちょっと頼りないが、大人しいしいいと思うぜ」
「……可愛いな……」
「お、やっぱ獄寺もそう思うよな?」
「地獄耳かよ聞いてんじゃねー!」

騒がしく離れていく一群をよそに、すずめちゃんはぽつりとつぶやいた。

「名前、どんなのがいいかな」

差し出された子兎を受け取り、見下ろしたのはすずめちゃんの方だ。この一件に関してありえないほど口数が少なかった。あらゆるできごとに対して無感動になったのとは訳が違う。

「明日考えよう。君は疲れてる」
「そうかな」
「……君はたくさんのことを見てきたでしょ。悪いことじゃないけど、一気に受け取りすぎたんだ」

あの図書室から、ここまで。悠長なことを言っていられない状況だとしても、小さな子にはあまりにも過負荷だった。こうして手を伸ばして撫でる髪がいつもより低い位置に感じるほど、すずめちゃんは小さく見える。

――わかりたくもない話だが、ここにいた男の考えが理解できる。傷つけたくない、その一心ですずめちゃんをどこかへ閉じ込めておきたいという理屈は。

「この子見てたら、眠たくなっちゃった」
「昼食もまだだよ……いや、それならいいか。昼寝でもしようか」
「うん」

戻ってきたハルに兎を預け、すずめちゃんは緩慢に頷いた。力の抜けた手は兎に渡してしまったかのように体温が低い。いつものように隣で包んでいれば、眠りながら温めてやれるだろう。