01

 えぇと、と何ともか細く今にも潰れそうな声は入江のもの。こちらへ、あちらへと行き来する眼鏡越しの視線が鬱陶しい。こんなことが起こらなかったところで今は何もかもが神経を逆撫でする要素にしかならないだろうが。

 それもこれも、すぐそこにいる僕の空似のような男の顔が視界に入り込むことが原因だ。

「じゃあ、これが夢じゃないとして……君がこの時代のヒバリくん」
「君がこんなところで何かする必要があるなら、まだ僕が出る幕じゃないはずだけど」
「……こっちが、過去から来たヒバリくん……」
「誰」

 途端に胃の辺りを押さえて苦しみ始めるところを見るに、どうやら入江の方は本物らしい。そしてここで疑うべきは、座り込んで眠たげにしながらも彼を睨む過去の雲雀恭弥らしき男だった。

 計画通りならば、本来ここにいるべきなのは彼の方。僕は入れ替わりに去っているはずで、つまりふたりがこうして顔を合わせることはない。すずめちゃんに説明するのを止めたタイムパラドックスそのものだ。こんなことはあり得ない。

「あー、ヒバリくん……いや、大きい方のヒバリくん」
「咬み殺されたいの」
「あーもう、いちいち凄まないでくれよ! ん? 今どっちが言ったんだ……ややこしいなぁ!」

 乱雑に頭を掻き毟る様は明らかに非常事態に脆い精神の持ち主だ。こんな男が、ボンゴレのボスと結託して白蘭を倒すなどと決意したのだからわからない。ちなみに今言ったのは小さい雲雀。

「……まず、説明させてほしい。君たちは同一人物だ。どちらも並盛の雲雀恭弥くん。君は風紀委員長だったね、そしてこっちが風紀財団……」

 ちらと僕を横目に眺める彼には入江の言う財団などわからない。確かに、並盛中にいた頃は十年後の自分が何をしているかなど予想もしていなかった。興味もさほどなかっただろう。

 一方、入江が中途半端に口を閉ざしたのは、過去の人間に必要以上の情報を与えないため。

「……で、だ。僕はメローネ基地から十年バズーカの研究資材をこの部屋に持ち込んだ。ボンゴレには開発に必要な何もかもが不足気味だから、用済みになったものは解体して部品を再利用してる」

 手のひらで示されたのは入江の背後だ。単なる背景としてしか認識していなかったが、改めて観察しても合板が散乱しているようにしか思えない。淡い色の壁の部屋は無機質だが清潔感はそこそこあったはずなのに、この部屋はまるでゴミ捨て場の体をなしている。

 窓のないここでは、今が何時なのかさえ掴めなかった。それでもここで入江が忙しなくしているのを見ると、まだ決着はついていない。

 すずめちゃんも、まだこの時代にいる。

「それを過去のヒバリくんが見てた。この部屋の状況はそういうことだ……で、ここからは保護者の君たちに深く謝罪したいことなんだけど」

 目線を泳がせ言いにくそうに口ごもるが、入江が何について――誰について言い訳したいのかはもう明白だった。口は挟まずとも思わず眉を寄せるが、彼の方はすでにトンファーを構え始めている。あそこまで血気盛んだった覚えはないが止める筋合いもない。

「バズーカの模造品が暴発したんだ。それにすずめちゃんが巻き込まれて、この時代のヒバリくんと交代に……本当にすまない!」

 入江が頭を下げるよりも速く、過去の僕はその胸倉を捻り上げていた。こんなことがなければ僕が同じことをしていただろう。その肩から避難したヒバードが、空中で繰り返しすずめちゃんの名前をさえずる。

「あの子はどこにいる」
「君たちが言うところの白い装置だ! 大丈夫ちゃんと元通りになるから!」
「あり得ないことだ。僕とすずめちゃんがどうしてイコールなの」
「誤動作だよ……君、この時代のすずめちゃんのものを身につけてたんじゃないか?」

 半ば彼に吊り上げられる形になりながらも続ける入江に問われてスーツの内ポケットを探る。心当たりはもちろんあった。取り出すのはすずめちゃんが僕に預けた晴のリングと、汚されたリボン、そしてシルバーの指輪。入江が指差したのはリボンだった。

 しかしこの判断は正しくはない。彼は指輪のことまでは把握していなかった。

「それだ! それがこちらのすずめちゃんと誤認されたんだよ」
「なら、全部渡すよ。これで二度と間違いは起きないね……草壁にやってくれ。僕の部屋に置いておくように」

 当然、本意ではない。しばらくの間とはいえ、すずめちゃんと離れ離れになるも同然のことだといえる。草壁はともかく他人の手に渡るのは同じくらい許しがたいが、仕方ない。

 そしてこれも当然なことに、彼がこれらを見逃すはずがなかった。 

 入江をぞんざいに放ると、トンファーを手に突っ込んでくる。速さは悪くないが、ここは大して広くない一区画に過ぎない。満足に構えられない分勢いも殺され、回避は容易だった。

「すずめちゃんに何をした」

 腰をさする入江を気にもせず、端的に問うのは焦りではく純粋な怒り。今入江の手にあるリボンをひと目見て冷静さを失うことは簡単に予測できたことだった。この時代に来てすずめちゃんに会っているのなら、誰かから聞いてすでに知ってもいるのだろう。今までどんな様子だったか。バズーカを受けてここに現れるべき方のすずめちゃんがどうなったか。

「あの子は泣いてた」
「……そうだろうね。君のことをとても恋しがってたから」

 そんなことを確認したいのではないだろう。いら立ち混じりに振るわれる一撃を、今度は素手で受け止めた。これは攻撃ではなく憂さ晴らしだ。殺意ばかりの雑な力など簡単に捌ける。

 彼が微かに目を見開くのを間近で眺めた。あまり長く見ていたくないのは同族嫌悪の類だろうか。――きっと違う。誰かのために怒りを露わにする自分を初めて目にしたからだ。こんなにも自分という一本の筋が乱れることがあるなどと、どんな理由であれ認めたくはない。

 そして今回、彼を乱したのは僕だった。

「すずめちゃんは変わった。変わらなくてもよかったのに」
「僕のせいだよ。あの子にとても酷いことをした」
「……ずっとそばにいたくせに、どうしてこうなったの」

 意地でも振り抜こうとするトンファーを受け止めながらのやりとりはまるで噛み合わない。納得の行く誤解だった。僕がすずめちゃんを守れなかった結果、リボンが血に濡れたのだと。そんな僕のそばにいたから、すずめちゃんがいつかいなくなるのだと。

「ま、ってくれ……」

 腰を抜かしたまま這うように、入江が割り込んでくる。事情はともあれ一度はミルフィオーレの人間として彼と対峙した過去の僕の目は穏やかではない。ひと睨みされて怯んだ入江は、しかし三度の深呼吸の後にまたも横槍を入れた。

「ヒバリくんは何も悪くない! すずめちゃんを攫ったのはグロなんだよ……いや、そのリボンも含めて、すずめちゃんのものが持ち去られたのは彼の命令だったんだ」

 抽象的なもの言いはすぐに修正される。入江はこの点で言えば優れているらしい。このままでは曲解され、しまいにはふたりがかりで袋叩きにされると判断したのは正しかった。

 突然飛び出したミルフィオーレの部隊長の名前。明後日の方向からの情報だった。これまで六道骸との接点以外は何も話は出てこなかった……そんな事情すら、幻騎士との戦闘の最中に呼び出された彼が把握しているはずはない。そのあたりの擦り合わせは追々草壁が担うだろう。

「……とりあえず、ふたりとも落ち着いて。神経がささくれ立ってちゃ話にならない」
「僕に指図しないでくれる」

 学ランの裾を払って、彼がその場に座り込む。僕は壁に寄りかかり、彼が呼吸を整えるのを真横から観察した。戦闘とも呼べない単なる衝突に過ぎなかったというのに、軽く肩で息をしている。彼がひたすらに想っている相手の無事が確認できるまでは本調子になどなれないだろう。

「グロ・キシニアの命令ですずめちゃんの遺品が盗み出された。それがミルフィオーレの施設に封印されていたんだ」
「何のために」
「……そのまた上、白蘭さんからの命令だよ。何でもいいから縁の品を持ってくるようにって。そこからは彼の領分だったから詳しくは探れなかったけど、最後は彼自らが動く任務のせいで構えなくなって倉庫にしまわれたんだ」

 その名を聞いた彼の眉が微かに跳ねた。並盛を脅かす敵で、その時点で叩き潰すべき存在。しかしその男がなぜすずめちゃんに言及するのか。新興マフィアのボスと、ただの――正確には出自不明の子ども。一見繋がりなどない。

「そのときを見計らって僕の部下に遺品を取り返すように言ったのさ。できるだけ堂々と運び出したかったからね、単なる郵送を装ったよ」
「……何便にも分けて喧嘩を売られてるのかと思ったよ」
「違うに決まってるだろ! こそこそ内密扱いにしたら逆に管理人のグロに報告が上がってしまうからだ! 君ってほんと脳筋だよね!? あいた」
「うるさい」

 若い彼のトンファーの先を脳天にぶつけられて入江は蹲る。上出来だ。

「うぅ……悪かったよ。えっと、それでだ、君が持ってたリボン。それは倉庫にあった生体反応を確かめるための薬品が漏れて染み込んでしまったんだよ。血の固まったみたいで不吉だっただろう、ごめん」
「……元が何だろうと変わらないよ。ミルフィオーレがすずめちゃんの大切なものを台無しにしたんだ」

 未だ掴めない白蘭の思惑がすずめちゃんに影を落としている。少なくともグロはすずめちゃんについて何かを調べようとしていたのだ。汚された宝ものはそれを忘れさせまいと、入江の手に存在を主張している。

 最愛のひとが彼らの手に落ちる。そんなことにはさせない。

「そして彼は僕らやすずめちゃんにすらわからないことを掴んでる。そういうことだね」
「恐らくは。……とにかく、ここで問題なのは白蘭さんがすずめちゃん本人に興味を持ってるってことだ。どういう経緯かは知らないけど……」
「彼が……」
「君とすずめちゃんが特別な関係だということ以外に事情があるとしか思えない。用心しないと」

 ――彼がはっきりと硬直した。

「特別?」
「あ」

 ぱっと手のひらで口を塞ぐ入江には構わないことにしたらしい。その視線はシルバーの指輪にのみ注がれた。いくら何でもそれが意味することをわからないはずもなく。

 無言がむしろ雄弁に、彼の動揺を語った。――その様子がおかしくもあり哀れでもある。きっと今はすずめちゃんのことを可愛い、大切だとばかり思っているに過ぎないのだろう。そうだったはずだ、と自身の記憶を反芻する。

 彼にはそれがどうしてこの指輪に繋がるのか全く予想ができないのだ。

「あの子の隣には君しか許されない」

 混乱する様を見ていてもいい気はしない。逆に嫉妬じみた感情が胸を塞いだ。すずめちゃんは僕を慕ってくれたが、本当に心を向けるのはたったひとりだととてもよくわかっている。

「君なら守れるだろう」
「誰に言ってるの」

 横目にこちらを睥睨し、しかし彼はトンファーを構え直すことはなかった。言外の自信、それが折れるのは今ではない。すずめちゃんがこの戦いで傷つくことがなければそれでよかった。

 改めて、後を任せられる。

「そうだ、すずめちゃんが言ってたことをおしえてあげるよ」

 余計なことを、と入江がじっとり僕を眺めるのが視界の端にちらつく。取りあえず落ちていた適当なボルトを投げつけてから、立ち尽くす雲雀恭弥にとっておきの事実を放り投げた。

 一種の嫌がらせだ。あの子のことばひとつひとつをどうしても無視できない若さは苦く、そして楽しくもあり。

「僕はすごくかっこいいそうだよ。それから君は……」

 これから再び去る僕が今後の顛末を見ることができないのだけが、残念だ。