足音

授業のあと、売店へ寄ったせいで遅れた。少々急ぎ足になってアトリエの扉を目指していると、目の前のそれがぱたんと開かれる。まるで私が来るのを待っていたかのようだ。

「おかえりなさいっ」

ひょいと顔を出したノルンがそう言って微笑む。彼女の背後からは、夕方の橙色をした陽射しに混じっていつもの騒がしい話し声がこぼれてくる。

「あぁ……ただいま」

いちばん見たかった顔が予期せず現れたことが、照れくさいやら嬉しいやら。つっかえる私の返事をとくに気にした様子もなく、ノルンはアトリエを出るとわざわざこちらに歩いてきてくれた。

「待っていてくれたのか」
「はいっ、その……何だか待ち遠しくって」
「……そう、か」
「はい……」

ふたりして黙り込む。何故なんだ、早く中に入ればいいのにできない。このままでは永遠に立ち話だ。

「ノルン……何故、私が来るとわかったんだ?」

無理矢理だが、話題を変えてみる。少しだけ赤くなったノルンはそうっと私を見上げると、すぐに目を伏せ、唇に拳を押し当てるようにして考え込む仕草をした。ありふれたポーズだが、ノルンがそうするとやけに唇の柔らかさが強調されるように見えるのは気のせいか。気のせいだと思いたい。こんな些細なことで私は何を考えているんだ。本人に気取られていないことを祈る。

「えっと……足音、です」
「足音?」
「そう。ありませんか? 遠目に見ただけでも、歩き方で誰なのか判断できる……っていうやつです」
「あぁ……特徴があれば、確かに」

猫背ぎみ、周りを見回しがち、歩幅。そんなポイントで個人を特定したことがないでもない。例えばノルンは背筋がぴんと伸びた綺麗な姿勢だが、この身長のせいで歩幅が狭い、とか。

「でもわたし、ロクシスのは足音だけでわかるんですよ。普段からちょっと早足で、靴の踵がこつこつ鳴るんです」

ほんの少し得意そうに、ノルンは胸を張る。

「それが、アトリエの中から聞こえたのか?」
「はい、だから出てきちゃいました……あはは」

恥ずかしそうに苦笑いをして、ノルンはくるりと踵を返した。

「驚かせてごめんなさい、さ、早く早く」
「あ、あぁ」

急かされるまま小さな背中についていく。そうしながら、犬が給餌の合図にぴくんと耳を立てる仕草を連想していた。

それと、私の気配を感じ取って、迎えに来てくれたノルン。ほぼ一致する。

――本当に、この廊下に私たちだけしかいなくてよかった。柄にもなく唇がほころんでしまったのは、誰にも見られていないようだ。

軽い足取りの、軽い靴音が耳に心地よく響く。