突発RPG

※異世界注意

 

 愛用の軽鎧と、王から賜った剣。ふたつがあればひとりぼっちの冒険もこんなに心強い。

 王国の人間を震え上がらせる恐ろしい魔王がいるというこの城は草原の先、岩山に造られている。冷たい空気を振り払って、薄暗い大理石の大広間へ足を進めた。

 奇妙なことに見張りも番人も、魔物のひとりも見当たらない。奇襲を警戒しながらひときわ豪奢な扉に手をかけようとした。

「ねぇ」

 そんな緊張に横やりを入れたのは、低く静かな声。

「ここで何してんの」
「え? 人間?」

 柱の影から現れた背の高いそのひとは一見すると普通の男の子。

 きれいな髪と同じくらい黒いマントが、異様に目につくのを除けば。

「えっと、魔王を退治しに来たんだけど……あなたは? まさか捕まってるの?」

 何の用もなくここにいるなんてありえない。見たところけがはないらしいけれど、ひとまず彼を連れて撤退しようと構えていた剣を鞘に収めた。

 こちらに歩み寄りながらそれを眺めている様子はやけに冷静で。

「ふぅん。じゃあ君がみどりなんだ」
「知ってるの?」
「有名だよ。僕にたてつく若い勇者だって」

 楽しそうな笑み。

 ――そのことばを飲み込む前に、すらりと長い腕がこちらに伸べられるのを見た。

 ***

「く……」

 最後の光景は凄まじい勢いの、デコピンだった。何かしらの力が加わったとしか思えない威力は、あっけなく気絶するには十分で。

「悔しいー!」

 屈辱のあまり飛び起きた瞬間に、今まで横たわっていたのがふわりと柔らかいベッドの上だと気づく。広い部屋に比例したとても大きなもの。

 だからわたしの隣にもうひとりが腰かけていても何ら問題はなかった。寝ることにかけては。

 この状況では大問題でしかない。なぜならここは敵地で、目の前で不思議そうにこちらを見つめているのは先ほどの男の子。いや、その正体は既に彼自身から明かされていた。

「あなたが、キョーヤ……魔王だったなんて」
「元気だね。それでもひとりで乗り込むなんていい度胸だ」
「それはあなたが戦士を残らず倒しちゃったから!」
「あんな弱虫たち、咬み殺す価値もない。君は違うみたいだけど」

 そういえば王都に辛うじて戻ってきた先輩勇者たちは、負傷したうえに酷く怯えて未だに復帰できていない。そんな様子を思い出したのか、キョーヤの唇に微かに冷笑が浮かんだ。

 それはそのまま、わたしの現状にも向けられている。

「喚く力が残ってる。少しは骨があるらしいね」
「覚悟しなさい。神妙にお縄についてもらうんだから……」

 思えばわたしの体には鎖のひとつも巻かれていない。完全に油断して構えもしない彼から十分に距離を開け、腰に提げた剣を手に――取れなかった。

「え、え……っ?」

 驚いて体勢を崩すと、ベッドが微かに軋んだ。その白いシーツのどこを見回しても、もう一度わたしのベルトを確かめても、あの剣はどこにもない。ついでに鎧もきれいに消え失せ、わたしが身につけているのは簡素な旅人の服だけ。

「わ、わたしの装備……」
「みどりが伸びてる間に両方とも行商人に押しつけた。もう王都についたころかな」

 今ごろ気づいたのかと、喉の奥で笑う声はさらに追撃をかけてくる。

「王城はさぞ混乱するだろうね。頼みの綱の君が魔王の手に落ちたとなれば」
「あなたの……?」
「まさか、ここから出られると思ってたのかい」

 ――にわかには受け入れられない事実で。

「どういうこと? 勇者を捕まえても魔族にいいことなんてないはずだよ、今までだって……」
「今まではね。けれど今回は相当な利がある」

 そう言われて気づく。ここに来た勇者の中でわたしは最年少だ。だからこそ体力はある。

「ろ、労役……過重労働……!」

 満足な食事ももらえず馬車馬のように働かされるに違いない。血も涙もないという噂が本当だったなら――お先真っ暗な未来予測を否定したのは他でもない魔王だった。

 呆れながらも一分の隙も逃さない目で。

「そうじゃない。君だよ。みどりが僕のものになるんだ」

 突然左の手首を掴まれて、再びベッドに引き倒される。覆いかぶさってわたしを見下ろすキョーヤが両腕を広げると、その黒いマントの裏地が深紅に染められていることに気づいて。

 一瞬、激しいコントラストに見とれた。冷たいだけとばかり思っていた彼の中に、違う何かがあるのだと。

 そして今のわたしは完全には抗えない。

 自分を守る手段を全て奪われて初めてわかった。鎧がないと、キョーヤはこんなに大きく見える。剣がないと、キョーヤの力には手も足も出ない。次第に心が折られていきそうなこの予感の名前を思い出したくなくて、ただわたしを見つめる視線を受け止めることしかできなかった。

 一見優しく笑いながらその実胸の奥まで暴こうとする、熱くてまっすぐな。

「本当なら地下牢に繋いでもよかったんだ。でもあの場を任せたリザードマンは常に飢えてる」

 手首に指を回されているだけなのに、振り払えない。右手で力任せに引き剥がそうとしても、そちらにも指を絡められてシーツに縫い止められてしまう。もしこんなことがなくてもきっと、結果は同じだっただろうけど。

 体は言うことを聞かなくなっていく。

「君ぐらいの子なら簡単に丸呑みしてしまえるよ。それとも、仲間を大勢呼んで全員で君を分け合うか」

 あまりにも直球な脅しに屈したから。

「……う……」
「勇者のくせに怖いの」
「こ、怖くなんてない……」
「そう」

 ふっとキョーヤは小さく笑みをこぼして、そっと身を寄せるとわたしの目元を唇で拭っていった。

 魔物の王だとは思えない、ほのかな温度を残して。

「それなら話は早い。さっそく始めようか」
「な、何……?」

 完全に力が抜けてしまった左腕を、ゆっくり袖越しにたどっていくのはキョーヤの指先。そこから関節へ、肩へ、鎖骨へ――その道筋のままに切り刻まれてしまうのかと激痛を覚悟したものの、恐れたものはやって来なかった。

 それが左胸、心臓の真上に至るまでは。

「心音が速い。やっぱり怖がってるのか」
「違う、違うったら」
「妙な真似をしない限りは貫いたりしないよ」
「ん……っ」

 ぐっ、と指先を押し込まれて微かに鈍い痛みが走る。こぼれかけた悲鳴をなんとか喉で押しとどめるのを読むかのように、キョーヤはそうっと目を細めた。

 その様子に、どこか穏やかなものを感じる。きっと殺意はおろか敵意すらないから。わたしを見くびっているのは間違いないとして、それならこちらがどうなろうとさっさとことを進めたらいい。

 キョーヤはそうしない。その理由は、どこからも読めずにいる。

「みどりは小さいから楽に終わるよ」

 指の次は、鼓動を包めそうなほど静かに大きな手のひらが胸に降りてきた。わずかな衣擦れとともにその手は胸の間へ、下腹へと這わされて。

「ひ、ぅ……なん、で……?」

 薄いところに触れられる恥ずかしさと危機感、理解不能な攻撃。身をよじろうとしても両脚が小さく震えるだけだった。

「準備」

 端的にことばを紡ぐ唇が緩くほころぶと、無理矢理繋がれていた右手がほんの微かに握り込められた。ここから逃げられないわたしへ、なお。

「君をこちら側に、魔族に迎えるための。途中で泣き叫ばれたら面倒だからこうしてる」
「嫌……」

 心臓からお腹を行き来するように、するするとなぞって止まらない手のひら。止めなければと焦って呼吸が浅くなりそうだった。

 わたしをかき混ぜて内側から変えていくのを見せつけられているも同然だから。

「や、やだ、やだ……わたし魔物になんてならないもん……」

 拒絶が、けれど端からとろけて溶けそうに体の中心が温かくなっていく、いっそいたわりさえ感じる行為だった。

 その手が企んでいることは真逆なのに。

「人間でいたいのかい。こんな子どもを敵地に送り込むような奴らのもとで」

 キョーヤの言うことは誘惑だ。乗ってはいけない。

 乗ってしまえばこの恐怖が覆るとわかる、とても楽になれる誘惑。

「言ったでしょ。みどりは僕のものになるんだ。そうさせる」
「ならない、あなたのものになんてなりたくないよ」
「……そんなに嫌なら拒んでみなよ。僕を呼びながらね」

 胸元に指をかけられ、少しずつ服が開かれていく。次に起こることが何なのかがぼんやりとわかって、その次、さらにその次、その先の結果もなんとなく見えていて。

「……キョーヤ、お願い……」

 ――それなのに、気づけば彼の言いなりになっている。思考が鈍っていくのを頭の片隅で自覚できて、それが最後。

 ただ、こんなことはだめだという事実だけがわたしを動かしているだけ。

「どうしてほしいの」
「やめて、キョーヤ……こんなの、いや……」
「足りないな。もっとだ」
「キョーヤ……」

 わからないこと、ばかりだ。

 それだけがわかる。

「どうして、わたしなの……?」

 触れる手がふと止まり、キョーヤの目がひとつ瞬きをした。

「……見張りたちは下がらせてた。君が来るのがわかってたから。僕の手で捕らえたいと」

 ぽつりと、落ちたのはひとりごとのように宙に浮かぶことば。わたしを観察して楽しむのを忘れた透明な表情が黒い瞳にはあった。

 そうして数拍の無音が途切れたのは、彼がまたわたしの涙をキスで掬ったとき。

「それに理由が必要なのかい」

 笑みを含んで、キョーヤは答えにならない答えをくれた。

 毛布にくるまるように穏やかな熱が、意識を緩やかにうずめていく。