※異世界注意
自慢の角は大ヤギのよう。自慢のしっぽは悪魔のようと皆が恐れる。それもそのはず、わたしは全魔族がひれ伏す偉大な魔王だ。
この前だって、無謀にも挑んできた勇者たちを雷で丸焦げにして追い返してやったばかり。手下はますます勢いづき同時にわたしを畏怖する。この大陸の支配者は魔王陛下。いずれ世界も手中に収めるだろうと。
それなのにまたしても城にやってきたキョーヤとかいう愚か者がいるらしい。
「また身の程を思い知らせてやりなさい!」
泣いて逃げ帰る人間の姿を楽しく思い描きながら手下たちにそれだけを命じ――はや一時間。
何の報告も上がってこなかった。勇者を倒したとも、逆に防衛ラインを突破されたとも知らされない。隣に侍っていたガーゴイルの軍師が首を傾げながら謁見の間に降りていく。
お待ちくださいと言い残した彼は、次の瞬間には振り抜いた剣の鞘で一直線に吹き飛ばされていた。
軍師を玉座の間の壁に叩きつけた張本人は、黒いマントを身につけた若い人間の男。なぜだか不満そうに、鞘に収めたままの自分の剣を眺めている。目の前に一大勢力の王がいるのに、こちらにはちらとついでのように視線をやっただけ。
「君がみどりなのかい」
筋骨隆々でもなく見上げるほどの巨体でもないのに、そのひとことには威圧感があった。けれどこちらはさらに強大な力を持っている。たった十数年生きただけの人間に何を警戒する必要もなく。
「そうとも。制圧にこんなに手間取るようなヤツなんてすぐに倒せちゃうよ、ざーこ♡」
掲げた指先に雷の魔法を浮かべてみせる。キョーヤは目を見開いてこの輝きに見入ったらしく、小さく感嘆の声を落とした。それが気持ちよくて煽るのをやめられなくなっていく。
「平和を守りに来たの? それとも最強の座? どっちもあげないんだから」
「地位に興味はないけど。僕の場所で偉そうにしてるのが気に食わないな」
「減らず口を閉じた方が身のためだよ。見たところ剣はあまり得意じゃなさそうだしね」
「君の言う通りだ。やはり押しつけられたものはそれ相応の価値しかない」
あっさり認めて、キョーヤはベルトから外した剣を床に放り捨てた。それは王国の聖剣だったんじゃ。あんまりな光景についついツッコミを入れようとしたとき、ふと彼の手に次の得物が握られていることに気づいた。
「最大のパフォーマンスを出すには使い慣れたものでないとね」
「あっ」
鈍く光を返す、多分金属。
心底わくわくと期待を抑えきれない様子のキョーヤが片手ずつ握っていたのは、重量感のあるトンファーだった。
切り裂きにくる剣でも、突きにくる槍でもなく。
シンプルに鈍器。
「勇者の装備じゃない!」
ぞわぞわとしたこの感覚はもしかして焦りなのだろうか。他のどんな武器より、攻撃されたときのダメージが簡単に想像できる気がする。今朝がた窓に額をぶつけた激痛のもっとすごい何かが襲ってくる、そんなことが。
恐ろしすぎる。
「そんなものになった覚えはない。ともかく君は並盛の風紀を乱したんだ」
トンファーを構えて狙いを定める先は、わたし。
「あわわわわ……」
「咬み殺される覚悟はいいかい」
***
「捕まえた」
魔力を集中する隙さえなかった。
まさしく水を得た魚、素早いにも程があるキョーヤの猛攻を避けるので精いっぱいだった。体力はみるみるうちに削られ、いつしか倒れ込んだ玉座の前から立てなくなり。
こつん、と脳天に落とされたトンファーの柄が最後。
わたしはキョーヤに負けた。
「このわたしが人間なんかに……!」
「その人間にこれから好き放題される気分はどうだい」
へたり込んだところを振り返ると、息ひとつ乱していないキョーヤが片膝をついてわたしの角を鷲掴みにした。心臓に等しいパーツに微かに伝う体温、こんな感覚は初めてで脚に力が入らなくなりそうだ。
今まで誰にも許したことなんてなかった蛮行。
「さ、触るな……っ」
こちらはぜえぜえと呼吸が荒れているというのに、こうまで余裕を見せつけられては屈辱の極みだ。やり返したくてもそんな力は残っていない。にらみつけるしかないわたしを、キョーヤは反対に笑みを浮かべながら覗き込んだ。
「ふぅん、ガッツはあるらしい。ますます楽しみだ」
「何が楽しいっていうの……?」
「みどりに身の程を思い知らせてやるのが」
まず、と、その目はこちらを――正確には身につけている装備を見下ろす。漆黒の高貴な装束だ。
「このボンテージは何なの。王都では教育に悪いだのサキュバスだの話題だよ」
「失敬な! 上に立つ者は挑発的な装いをするものだって聞いたから!」
「誰がそんなこと言ったの」
「うちの軍師」
キョーヤはすぐそばで伸びていた軍師を片手で掴むと窓から放り投げた。
「軍師ー!」
彼はほぼ石像だからとても重かったはずなのにキョーヤは顔色ひとつ変えない。
「そんな格好はやめさせる」
「じゃあ代わりに何を?」
「……並中のジャージ」
「ふざけないであんなパジャマみたいなの!」
「まだ立場がわかってないらしいね」
ぐっと身を乗り出されて、思わず座り込んだまま玉座を支えにのけぞってしまう。
冷静なのに、勇者(のはず)なのに、いやに相手を掌握するのに慣れている気がする。ついでに恫喝にも。
「みどりのすべては僕のものになったんだ」
握られた角が軋む、そんな錯覚がした。
気がするどころではない。キョーヤは本当にこれまで何度も相手を屈服させてきたことがあるんだ。どんな抵抗も反撃も通用しない。そんなそぶりを見せたなら――どうなるか想像すらできない。
いつの間にか、この場の主導権はキョーヤが握っていた。わたしの命すら。
こんなことは、こんな感覚は知らない。味わったこともなかった。
確かに玉座は目の前にあるのに、この手で触れているのに、叩き落とされて戻ることもできないなんて。
「キョーヤ……っ」
敗北感が、体中から気力を奪っていく。
「つ、角は折らないで……」
「いらない」
「あっ、しっぽも切らないで……」
「いらない。高く売れるなら少しは考えるけど」
「あとあと」
「注文が多い。まず僕のやることをするよ」
「え……?」
角から離れた手が次に触れたのはわたしの胸元だった。
「こんな化けの皮を剥いだらみどりの本性もわかるでしょ」
その指は留め具のリボンをあっさりと解いて。
「ま、ま、待って……」
鎖骨もその下も晒されてしまう前にと、慌てて玉座に縋りつくようにして背中を向ける。こんな弱点を見せるようなことをキョーヤが見逃すはずもなく、その両手は腰のベルトや背中のリボンを奪い取っていく。
「やだ……っ」
「……君が王都に宣戦布告しに来たときから、こうするつもりだった」
無防備な耳に降りる、それは真摯な響きを帯びていた。
「こんなに小さいのに態度と口は大きい。ぜひともこの手で負かしてわからせてやりたいって。それに」
そのことばの続きは、ぞろぞろと複数上ってくる足音に遮られた。玉座の間に戻ってきたのはウェアウルフやガルーダ――腕自慢の幹部たち。全員が歩くのもやっとというほど痛めつけられているのは、キョーヤひとりの力によるものなのだろうか。
そして、彼らの驚く目は残らずわたしに注がれていた。
とっくに剥き出しになっていた肩や背中が途端に熱くなって、耐えられずにぎゅっと目を閉じる。せっかく助けに来てくれたのに、こんなに情けない姿を見られることになるとは思っていなかった。
何より、人間なんかに支配されていくわたしを知られたくなんてなかったのに。
「み……見ないで……お願い……」
「ちょうどいい、君の部下に知らしめてやろうか。今日から君が誰のものなのかを」
不意に、指先がわたしの顎を掬った。
振り向かされた先にはキョーヤの真摯な瞳がある。
嘲笑も慢心もない、まっすぐな。
「僕は本当のみどりがほしい」
唇に触れたものが、何か。知ることはできなかった。
自分の鼓動が激しくなっていく理由を認めたくなくて。
