★はじめに★
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#0
ここまでのあらすじ
みどりは手錠で遊んでいたらうっかりキョーヤを捕縛してしまった! 謝り倒そうと思ったけどむしろこれはチャンスかも?
あらすじおわり
「何で嬉しそうなの」
「こんなキョーヤ貴重なんだもん」
両手が胸の前で掲げられると同時に、鎖の軽い音がかちりと揺れる。力に任せて引きちぎろうとしないということは、そこそこしっかりとした作りなのかもしれない。破壊するなんて選択肢がありえる時点でキョーヤが規格外なのだけど。
「ふぅん。じゃあ、君は何するつもり」
「な、何って?」
漠然と考えていたことを正確に読み取る笑みがあった。
「今なら反撃の心配をしなくていいでしょ」
うずうずとしていた気持ちに、キョーヤが形を与えてしまう。
そう、今まで何度か(そしてなぜか)拘束の憂き目にあっていたわたしにとってこれはお返しにうってつけの機会だった。
けれど、立場的には自分がどうにかされる側なのにキョーヤこそ嬉しそう。座布団の上に落ち着いてしまって、手錠を外すことは優先順位から外してしまったみたい。
そんな風に構えられたらぜひとも何か悪戯してしまいたくなる。何しろ安全保証を本人からもらえたのだから。なんて優位なんだろう。期待に胸が高鳴るとはまさにこのこと。
「う、うん……」
畳の上をにじり寄って、余裕の表情で広げられた両脚の間へ収まりにいく。これから何が起ころうが動揺なんてありえない、みどりに負けるなんてまさかそんな。そう言いたげな表情を崩してみたい。見上げる瞳が見開かれるようなすごいことで。
そのためにわたしが仕掛けられることは……?
#キス……?
「嘘でしょ」
呆れた声。
「どうして一択しか出てこないんだい」
「まだ、まだ何もしてないのにどこ見てそう言ってるの……?」
図星は、突かれるとこんなにパニックになるものなんだと思い知らされる。あんまり綺麗に言い当てられて質問に質問を返すことしかできない。
「企業機密」
ひと息のあと、キョーヤは片脚を器用に引っかけるようにしてわたしを引き寄せた。おかしい。ひとつの拘束もされていないわたしの方がこんなにあっさり捕まるなんて。
――かといってこのまま抜け出すのも、もったいない気がする。優しい目を間近で見つめていられるこの時間がくすぐったくて。
「落ち着いてもう一度考えてみるといい。これまで僕が君に何してきたかとか」
「これまで……」
言われた通りに思い浮かべてみる。
「あーっ」
「覚えてるでしょ。例えば」
「やだやだ言っちゃやだー!」
具体的に並べ立てる気しかないのを、がら空きの胸に額を埋めて食い止めた。キョーヤはくすくすと笑いながら、連ねられた腕のままわたしを輪の中に閉じ込めて抱きしめる。それすらひとつのスイッチになって、芋づる式に次々と回想が止まらなくなっていく。
忘れられるはずがない。どきどきして、嬉しくて、思い出すたびに恥ずかしくなってしまうようなことの数々。
「君には難しいかな。無理はしないに越したことはないよ」
「ば、ば、バカにして……!」
キョーヤの煽りにはとことん弱い。
――そう自覚するのはずっとずっと後のこと。だから、この瞬間に主導権を握られたことにはちっとも気づけなかった。
そうして見事挑発に乗せられたわたしが、ありとあらゆる思い出の中から選んだのは。
#キス
「結局ここに行き着くのか」
口では不満げにしながらキョーヤはやっぱり楽しそう。
「目、閉じててね」
「どうして。君ががんばってるところは見せてくれないの」
「だって恥ずかしいよ」
「何を今さら」
「だめなものはだめなの!」
渋々閉じられた両目にほっとすると、次にやってくるのは妙な緊張感。まさか途中で薄目を開けられるなんてことはないだろうけど。
「キョーヤ、絶対絶対見ちゃだめだからね」
「気分による」
「もう」
これから好き放題されるのになんて偉そうな。笑みを隠そうともしない唇が憎らしくて、だからこそ最初の狙いはそこになる。
見つめる数秒ごとにくらくらしそうになることにも、その理由にも気づきたくなくてキョーヤの頬に両手を添えた。自分で決めたことなのに逃げ出したくなるくらい、どきどきして心臓がどうにかなりそうだ。
ここにキスするとどんな感じなんだろう。わかっているはずの答えが、思い出せない。
「キョーヤ……」
続く泣きごとを悟ったように、背中に回されている脚が少しだけ揺れる。
「まだなの」
そう聞こえた気がして。
――半ば勢いで、唇を寄せた。
「ん……」
少しだけそれて、端の方へ触れてしまう。それでもほんの一瞬の体温、輪郭、感じた全てがぴりっと痺れたようにわたしの胸へ走った。まるで電気だと、頭の片隅で思う。あんまり流れ続けたら壊れてしまいそうな、決して弱くはないもの。
キスってこんなに危険なものだったっけ。それを今わたしから、したなんて。キョーヤはいつもして、わたしはされてたなんて。
慌てて離れたのをおかしく感じたのか、それとは別なのか。低く喉の奥で笑う音がする。ほとんど呆然として唇を見つめていた視線を上げると、やっぱりキョーヤは笑っていた。緩く目を閉じたまま、この距離では揺れるまつ毛がわかるくらいはっきりと。
「君はまだ慣れないな」
「……だめ?」
「可愛い」
返ってくるのは断言で、そのひとことだってわたしを混乱させる。
「どうして、そんなに平気なの……?」
「君が懸命になってるのがわかるからね」
「キョーヤばっかり、ずるい」
こっちはこんなに、たった一度でいっぱいいっぱいなのに。拗ねたようなひねくれたような反発心が引き金を軽くした。
余裕ぶって構える表情、次はその薄い瞼へ。
「……ん」
ころりとした曲線がわずかに震えた気がして、少しだけ胸のすく思い。想定外のことを仕掛けられたようで。
「へぇ。まだがんばるのかい」
「もっと。もっとするんだから」
ぐっと伸びをして、前髪へ。
目尻。
キョーヤは黙ってわたしのキスを受け取り続けている。音のない数秒が、わたしの心拍数をはっきりと突きつけた。呼吸が浅くなって何だか苦しいのは、どきどきし過ぎたせいみたい。
そう自覚すると、一気に反動が来た。ふらりとしてうつむくと、鼻先同士がちょんとぶつかってくすぐったい。
「……みどり、無理したね」
「でも、たくさんできたでしょ」
意外そうなキョーヤの声色に、思わず得意げになってしまう。反骨精神が生み出すパワーを甘く見ていたからわたしに圧倒されたらしい。鼻高々とはこのことだ。
「そうだね。三回か」
「三回?」
唐突な数字を思い返してみる。確か、今わたしがしたキスは三回。
――いつの間にか、キョーヤが目を開けてこちらを見ていた。
圧倒だなんてとんでもない見間違い。
まっすぐ、いかにもわくわくとして輝く目で。
「あっ」
「何」
ふと、後ろの方でぱちぱちと両手が打ち鳴らされる。わたしを抱きしめたまま繋がれているキョーヤの手だ。それを合図にしたように、目の前のワイシャツの胸ポケットから現れたのは丸くて黄色い小鳥。
そのくちばしには小さな鍵が挟まっている。
「あわわわわ」
両腕の輪から解放されたのに逃げられない。
これから何をされるのかそれとなく、ぼんやりと、わかってしまったから。
「ヒバードちゃんの裏切り者ー!」
「こうするように言いつけておいたんだ」
喚いているうちにあっさりと手錠は外され、自由になったキョーヤはいっそ清々しいほど綺麗に微笑んだ。
わたしの心境とは真逆に。
#八百万の神々に祈る
「全国津々浦々の神様仏様どうか助けてくださいこの風紀委員長は反撃しないって言ったのに誓いを破りました」
「信仰がブレてるから誰も助けに来ないし誰にも渡さない」
ぽん、と、優しい両手が肩に降りた。けどわたしはこの意味するところを知っている。これは「逃がさない」の合図だ。
「それにこれからのことは報復じゃない。みどりへのご褒美だから何の問題もないよね」
――この世界に神様はいても、並盛では関係ないのかもしれない。
#降伏する
「やっと大人しくなった」
髪を撫でる手が、するりと後頭部へ向かう。どうしてこんなことになったのか。最初にここまで距離を詰めたのが間違いだったのか。いやいや珍しがって手錠なんかで遊んだせい。そんな懺悔はまるで走馬灯のよう。
恥ずかしさで気を失えたらその方が楽だったのに。
「がんばった分、労わないと」
止める間もなく、キスが額に降りた。わたしと違って焦るとか緊張するとかが全くない、スマートで綺麗なもの。あまりの違いにまたしても嫉妬心が顔を覗かせそうになっても、今わたしにできることは何もない。気力はついさっき使い果たした。
それに、あれこれの事情を横に置いた正直なところ、キョーヤからのキスは大好きだから。
もっとしてほしい。とろけていく思考でいちばんに考えられるのはそればかり。こんな形でなくたっていつでも抱きしめてほしいし、キスしてほしい。今回は少しだけ、緊迫感がおかしなスパイスになっているだけで。
「……嬉しそうだね。今みどりは僕に負かされてるのに」
「ほんとに、嬉しいんだもん」
「そう」
ふっと柔らかく細められた目に見とれているうちに、次は頬へ。少しびっくりして肩が跳ねてしまったけど、キョーヤの片腕に抱かれたままでどうということはなくて。
それだけしっかりと捕まっているんだとわかると、胸騒ぎに似た熱が一気に上がるのがわかる。逃げられないのが嬉しいだなんて、どうにかしてしまったのかもしれない。
だから――ほとんど正座のようにしていた両脚を、崩した。もうここから自分の意思では出て行けないと何となく感じて。
両手を上げるのと同じ意味をしたそれをキョーヤは満足そうに眺めた。
「うん。そのまま目を閉じないで」
無意識に胸元にやっていた手に、長い指が絡められる。そうっと握り込むのと同時に唇に触れる、温度。
また、キスをくれたのだと思った。何度も押し当てられては離れていくことに夢中になって、細かいことなんてわからないままでもいいやと投げ出すことはさせてもらえない。
キョーヤの呼吸がほんの微かに荒い理由も、わからないまま。
「……開いてよ」
そのことばの意味がわかったのは、痺れを切らしたように舌先でぺろりとなぞられたときだった。ついばまれるたびに、濡れた音が体の奥まで響いてくるようで膝が震えそうになる。
もう、さっきの数字に意味なんてないんだとぼんやり悟った。キョーヤはしたいだけするし、わたしもそれをどこかで望んでいるから。
「いい子のみどりなら、できるよね」
そんなことできない、わからない、恥ずかしい。
全部、声にならなかった。
これから起こるのがどんなことでも、受け入れたい。
キスを受け取るままだった唇を微かに開くと、掠れた笑い声がわたしの喉に伝って。
ゆっくりと熱いものが入ってくる。
#触る
「ふぅん。みどりが」
少しだけ意外そうにキョーヤは頷き。
「どこを」
「うーん、まだ決めてないよ……」
言ってみただけであって、明確にどこに触れたいと思ったわけではない。それじゃあよくキョーヤに触れられるところをそのままお返ししてしまおうと、数ヶ所思い起こすことにした。
頬……は、ぷにぷにつつく以外にどうすればいいかレパートリーが浮かばないからまた今度にする。キョーヤはよくわたしの頬をつついて摘んで「柔らかい」なんて楽しんでいるけど。
髪……も、ふさわしくない。「いい子だね」って言われながら頭を撫でられるのはとっても嬉しいことで、これは報復にはならない気がするから。
そうして選択肢に残ったのは、今は背中に回されている手だった。
いつも繋いでいる、大きな手。そういえば改まって触ったことはないような気がした。わたしの手の甲まで簡単に包んでしまう長い指とか、重いものもすんなり持ち上げてしまうしっかりした手首とか。
「こんなところでいいのかい」
不思議がって、それでもキョーヤは手をわたしの前に戻してくれた。無機質な手錠に括られた不自由な状態がふたりの間にはっきりと示される。
「好きなだけいいよ。触って」
「う、うん……」
わたしを招くように緩く開かれた両手に、とりあえず両手を重ねてみた。わたしより少しだけ体温が低いのか微かにひんやりとしている。それに見た目は綺麗なのに、驚くほど硬さがあった。わたしとは全然違う。
「手のひら、好きなの」
されるがままのキョーヤが笑ってそう問うのは、もっと他のところも確かめるんだよねという念押しに近い。いつの間にかぽかんとしていた自分に気づかされて、意を決して握手をするように手の甲へ触れた。
「え……」
まず感じたのは、何かの間違いではないかと思いたくなる厚さ。そしてちょうど指先が当たっているのは骨の部分。ごつごつと硬い筋が、普段目にしている手の甲に浮き出ているものだとここでようやく思い当たって。同じ人体だなんてにわかには信じられなくなる違いをキョーヤは感じているのかいないのか、目が回りそうに混乱するわたしを楽しげに見つめるばかり。
「どうしたの」
「えっと、すっごく硬いんだなって」
「君が言うならそうなのか。自分ではよくわからないからね……ほら、続けて」
優しく促されて、ゆっくり骨をたどっていくと手首に行き当たる。すらりとした印象ばかりがあったそこは、おそるおそる握り込んでみると確かな筋肉の厚みに包まれている。こんなの、わたしには一生かかっても追いつけない。
いつも、こんなにたくましい腕に抱きしめられていた。くっつけて嬉しいとか、温かくて嬉しいとか、そんなことばかり考えていた日々には戻れないかもしれない。知ってしまったから。
きっと、今は半袖に隠されている二の腕にまで至ればもっと感じられるのだろう。圧倒的な作りの差にほとんど呆然として、思わずことばがこぼれていた。
「……すごい……」
「腕が、かい」
「うん。すごくてかっこいい」
「……みどりは子猫みたいだ。何でも不思議そうに触って、可愛い」
くすくすと笑う低い声。
それがふと途切れたのは、ほんの一瞬だった。
「キョーヤ?」
気のせいではなくて、今のはわたしの指先がキョーヤの手首の内側をたどったタイミングだと気づく。もしわたしが同じことをされたらびっくりして飛び上がってしまう、どうしても皮膚の薄いところ。普通にしていたら触れる機会なんてないところ。
「くすぐったかったの?」
「どうかな」
顔には出ないだけで、本当はその通りなのかもしれない。だって否定はされなかった。意外なことを見つけてなぜだか胸が躍ってしまうのは、そのポイントをキョーヤが見せることは滅多にないからだ。
「くすぐったいんだ? わたしといっしょ」
ゆっくり一直線になぞると、返ってくるのは無言。余裕を表す微笑が崩れることはなくて、なんだかムキになって意地悪にしてしまいそう。今のキョーヤには腕を振りほどけない最大のハンデがある。
「降参って言ったらやめてあげる」
何度も指先を往復させても提案したことばは出てこない。わたしだったら泣き笑いになるほどこそばゆいことなのに。とはいえ相手が雲雀恭弥だからという納得するしかない理由が鎮座しているのだから想定の範囲内だ。
けれど降参の代わりに返ってくるものがある。
「……正直に言うと、少しだけ意表を突かれた」
「ほんと?」
「うん。一本取られたと言っていいのかもね。そのご褒美をあげる」
ため息混じりの頷きに、信じられないものを見る心地がする。まさかキョーヤを負かせたなんて。してやったりの笑顔があふれて隠せないわたしに、ワイシャツの胸ポケットを見るよう示す声があった。
「中に入ってる。取って」
「じゃあ遠慮なく。何かなー」
指で中を探ると、もふもふとした感触が迎えた。摘み上げてみると、そこに収まっていたのは大人しく丸まっている元々丸い小鳥。
「ヒバードちゃんだ」
「……これじゃない。もうひとつの方だよ」
ぱたぱたと窓の外へ出かけていく黄色い姿を見送って改めて作業を続けると、こつりと硬いものに行き当たる。キャンディーや、あられの包みかもしれない。わたしが勝つかもしれないのを見越して入れておいてくれるなんて、嬉しくてくすぐったい。
キョーヤの温かいプレゼントに感謝しながらふたつめを摘み上げる。
それは小さな鍵だった。
「え? どこの?」
「ご苦労さま」
ぱくり。
そんな音が聞こえてきそうなほど、それはあっさりと行われた。
キョーヤの唇が鍵を咥えて持ち去っていく。
「あ、あ」
かちゃり。
そんな音ははっきりと聞こえた。
手錠が開かれる、わたしにとっては最後通牒も同然の。
「ななな何でそんなの持ってるの……?」
「これは僕のものでしょ。当たり前だ」
ぽいと、これもとい用済みの手錠をそこらに放るキョーヤを止めるものは何もない。それならわたしが逃げればいい、そんな考えは未だ絡められている片脚が許さなかった。
逃げる。キョーヤはやり返さないと言ったのだからそんなことはしなくていいはずなのに、どうしてもそんな選択肢が最優先にされてしまう。
「僕が百本取るまで離してあげないよ」
両肩に置かれた手が、これから起こることの意味を教えてくれる。
これは報復ではなくて脊髄反射だ。
#屈しない
「り、理不尽! 風紀委員長! 約束と違うよ!」
「逆に考えてみなよ」
もがいても無駄。脚には力が入らない。キョーヤこそ、ぬいぐるみをつついて遊ぶ猫のよう。可愛い笑顔の裏には鋭い牙を持っている。
「僕がやられっぱなしで済ませると思うの」
ぐうの音も出ないとはまさにこのこと。
「初手で決定打使わないで……」
「でも、みどりは初手の初手で僕を捕まえるなんて最大のミスをしでかしてたわけだから」
転がる手錠はその最たる証拠だった。
「その諸々と帳消しだ。五十本くらいでやめてあげる」
ここでどんぶり勘定だなんて反抗したら百五十くらいにサバを読まれるかもしれない。
#強い 勝てない
「賢いね。悪あがきは余計に体力を使うよ」
大きな手のひらが頬を包んで撫でていく。どうしてなのか、やけに敏感に肌が動きも温度も感じ取っているようで。ぞくぞくとした何かが全身を震わせておかしくしていく。
「熱い。どうして」
「わかんない、頭がぽうっとする……」
「それじゃ困る。これからのこともしっかり覚えててもらわないといけないから」
何のことだかわからなくて聞き返そうとしたその瞬間に、一瞬だけ呼吸が遮られた。
唇に挟まれたもののせいで。
「ここには関心が薄かったね。よく教えようか」
ここ、が指すところがわからない。何が起こったのかわからない。
そろそろと視線を下ろすと、口にねじ込まれそうになっているのはキョーヤの人差し指だった。折り曲げた関節が、わたしの歯に当たっている。
ここって、指のこと? そういえばさっきは指にあまり触れなかった。確かめたくてもできない。離れようとするのを頬に添えられた手が阻むから。
「手で触ってなぞるだけが全てじゃない。食事と同じだ」
「ん……」
「唇や舌で感じるのも接触だよ。子猫ならできるでしょ……さぁ、舐めてみて」
言われていることがよく呑み込めない。呑み込めないから拒めない。
こんなに優しい声で言われるならきっといいことなんだと短絡的になる自分がいる、気がする。
「ん、ん……?」
どうしたらいいかちっとも想像できなくて、とりあえず舌先でたどってみる。感じる熱がわたしのものなのかキョーヤのものなのか、輪郭があいまいだ。口元に押し当てられるごつごつとした手に両手を添えてよく確かめようとするのを楽しげに見守るのは、視線。
「従順だ。さっきまでの余裕はどうしたの」
「んー……」
「不満にもならない。ほらこっちも、ゆっくり」
「んん」
今度は指先を押し当てられて、微かに爪の硬さが舌に触れた。わたしの丸いそれよりも長くて、綺麗な。
滑らかなそこを感じるのに夢中になりかけたのをキョーヤは見逃さなかった。
「ん……っ?」
「もっと大きく開けて」
ぐい、と口の中に一気に指が入れられた。びっくりして言われたとおりに迎え入れてしまってからでは遅すぎる。わたしの手は何の抵抗もできなくて、ただキョーヤの骨を感じるだけ。
「小さな口。歯を立ててもいいよ、初めてのことだからね」
「んー、ん」
「苦しいのかい……いや、どうしてこんなことをさせるかが気になるの」
伝わったことにほっとして、自由にならないまま数度頷いた。だってこんなことは、ありえないことだ。わたしの想像のレパートリーにこんなのはない。その理由だって。
「僕の全てに触れてほしい。それにみどりがどんな風になるのか知りたかったんだ」
穏やかに微笑んで、キョーヤは微かに指先を揺らす。ぎゅうぎゅうに咥えさせられた状態では舌を避けることもできなくて、結果的に全体を舐めてしまう。はしたなくて恥ずかしくて、今すぐ消えたくなる。
でも、この手を離したくないとも、思う。
「君は何をしても可愛いね」
確かにわたしをいじめる手を、なぜだか。
「休憩は終わりだよ。続けて」
#押し倒す
「大きく出たね」
「それくらいできる……うん、できる」
なんてことはなくて、きっと読まれているとおり強がりそのもの。もちろん、受け身もとれない今のキョーヤを文字通り畳へ倒すことは簡単だ。
問題はわたし。
「えっと、じゃあ……えい」
わたしが実際にされたときはどんな手順だったとか、流れだとか、全く記憶にない。というよりも動揺で一時的にかき消されたような心地。とりあえず勢いをつけて頭を打ったりしないように、大人しく待つ体をゆっくりと横たえた。背中に回された手に引き寄せられるようにして、わたしも自然とキョーヤの真上に覆い被さる形になる。
――記憶が飛ぶのも納得の光景だった。
自分を支える両手の間に、キョーヤがいる。わたしを見つめる目がこんなにも近い。両脚に挟まれるような位置にある自分の膝を少しでも動かしたらぶつかってしまいそうなほど、ふたりの間に余白なんてなくて。
どうやってもキョーヤに逃げ場がない形。わたしがキョーヤを逃がすなんてありえない構図。
ぞくぞくと首筋を駆け抜ける何かを、知らないふりで通す。
ここで、この状況で高揚するだなんておかしくて、いけないことみたいで。
「へぇ」
微かに首を傾げて、薄く笑う声がある。
「僕は相当丁寧に扱われるらしい」
「怪我しちゃったらいやだもん」
「それもそうだ」
そう頷くのにはなぜだか実感が含まれている。その意味するところはわたしに向けられているのだとすぐわかってしまった。こういうことをされるとき、痛みがあったことなんて一度だってないから。
かろうじて思い出したことをなぞる、ゆっくりと瞬く優しい目が今はこちらを見上げる立場にいる。
「次はどうするの」
見下ろす体勢のせいで頬にかかった髪を、キョーヤの両手が少し難儀して耳に払いかけてくれる。端がクリアになった視界は広がって、キョーヤの下にある畳の範囲が伸びたかのよう。
それでも、見つめられるのは一点だけ。
見守るような目だけだ。
「どうって……」
まるで続きを急かされた気分。決定的なことはとくになくて、まずは今されたのを返すことにした。わたしの影が落ちる頬を撫でる手で、艷やかでさらさらの髪も梳く。くすぐったいのか喉の奥で笑うくぐもった声は、けれどそれ意外の意図を纏って。
「可愛いことだね。君のほうが緊張してる」
からかわれてつい止めてしまう手のひらを、不自由な指先がするするとなぞる。
「こうして相手を押し倒す意味とか目的、わからないのかい」
「意味なんて……ただ、してみたいなって思っただけだよ。キョーヤがするから、どんな風なのかなって」
「衝動的だ、みどりは」
「教えて」
ただ、びっくりしたり恥ずかしがるわたしを見て楽しんでいるのかと思っていた。キョーヤの言い方で、その考えが間違っているのだとわかって――そこで終わりだった。その先が、今のわたしにはわからない。
「どういう意味があるの? キョーヤはいつもどんなこと、考えてたの……?」
たったこれだけのことを尋ねるのにけっこうな体力を使った。気づかないうちに呼吸が浅くなって、それは速まったまま止まらない心音のせいで。
答えを考えているのか掴みあぐねているのか、小さく笑ったままの表情を見ていると、余計に。
暑いところにいるみたいにくらくらする。
「キョーヤ、苦しい……」
もう、姿勢を保っているのも限界だった。前置きにもならない前置きを改めるのももどかしく、仰向けになったワイシャツの胸になるべく静かにもたれかかる。まともに体重を流せていればいいけれどそれを確かめる方法も思い浮かばない。迎えるのは苦笑が滲む声。
「疲れてるね。そんなに僕でいっぱいになったの」
「いっぱいになっちゃった」
「まぁ、そこはゆっくり慣らせばいい」
軽い金属音が頭上で揺れて、大きな手がわたしの後頭部を撫でていく。落ち着いた鼓動を聞きながらそうされるのは、何となく寝かしつけられている気分。現にうとうとと、心地よさが眠気を連れてきている。
「キョーヤはちっともどきどきしてない……」
「心肺機能が違うからね」
「心肺機能かぁ……」
キョーヤの心拍数を上げるにはもっと負荷をかけないといけないらしい。今のわたしには到底無理なこと。
「……君が甘えるのは好きだけど」
再び背中に触れる手が、やがてぎゅっと抱きしめる動きに移っていく。
やけに力強く。
「キョーヤ?」
「知ってるでしょ」
ぐっと視界が勢いよく回っていることに遅れて気づく。
「え、え?」
肩が畳に擦れる。
「みどりを見上げるより数百倍、見下ろす方が好きだ」
不敵な笑みが降りる。
その後ろには一面の天井が広がって。
支える腕が抜かれたころにはわたしが畳に横たわっていた。
完全に逆転している。わたしもろとも寝返りをうった当人は、ことばとは裏腹に満面の笑顔を浮かべているわけではなかった。けれどその下にはこれから楽しいことが起こることを確信してわくわくと躍る胸が隠れている。
「僕の上にポジションを取った。僕を押さえつけた。勝ち誇った。少しはしゃぎすぎたね」
「勝ち誇ってはないでしょー!」
「そうかな。見下ろしてあんなに嬉しそうにしてたのに」
当たらずも遠からず――いや、きっと当たっているし遠くもない。図星を突かれてまともに言い返せない。
これは……!
#情に訴える
「ま、待って待って」
この後何がどうなるか、さすがに察した。かと言ってこのまま引き下がるわけにはいかない。なにせわたしには言質があるのだから。
「今回はちょっと、やりすぎたかもしれないけど! いや途中で電池切れになっちゃったけど。キョーヤはやり返さないって宣言したでしょ、だからいっぱい甘えちゃったというか……キョーヤはいつも優しいから大丈夫って。ね、お願い、許してほしいな」
「……みどり、僕はね」
今の一瞬の沈黙が議論の余地を検討したものではないことは、わかってしまった。なぜならキョーヤはこんなにも楽しそう。
「調子に乗った君に力の差をわからせるのが生きがいなんだ」
「えぇ……」
「暴れない方が身のためだよ」
#防御する
この体勢なら手錠を壊すまでもないと言わんばかり。体幹が違いすぎる。わたしの両脚を挟んで、かといって完全に体重をかけずに乗り上げるこんな体勢を維持するのは。
「さっきの答え、まだ言ってなかったね。教えてあげる」
何を思って、こうしているのか。
無言で伸びてくる両手が物語ることがどんなことでもきっと無事では済まない。もしかしたら心臓が飛び出てしまうかも。ほんの少しの期待をはるかに上回る危機感に突き動かされて、拘束されていないというささいなアドバンテージにすがって両腕でボディーをガードした。つられて目も両膝もぎゅっと閉じて、甲羅に引っ込んだ亀みたい。
「何のつもり」
「やだやだ……やっぱりいいや、また今度でいいから」
「みどりにはもっと僕のことを知ってほしいな」
ふっと手首に触れる指は、けれど強引に引きはがすことはしなかった。いつも髪を撫でてくれるのと同じ柔らかさを感じて目を開け――それが間違いだと察する。
じっと、わずかに上体をうつむけたキョーヤがわたしを見つめていた。いっそこの状況にふさわしくないほど真剣で、まっすぐな視線。そらせないもの。
ことばはなかった。
意図は、この無音が嫌というほど思い知らせてくる。
どうしてこうなってしまうんだろうと答えなんてないことを考えながら、いつしか体から力が抜けていくのを感じて。
そうして、両腕が退けられるのにはさほど時間はかからなかった。
「いい子だね」
がら空きになったみぞおちの辺りに視線を落として微笑むキョーヤには、勝つどころか逃げる隙さえ望めない。
「何もできないってわかるのかい」
「悔しいー……」
「その顔。好きだな」
むむっとへの字になってしまう唇をふにゅっと押さえる指先は、次いで制服のリボンを留めているボタンをあっさりと外した。そのままひとつ、ふたつ、ブラウスの前をゆっくりと開けていく。
「あ……っ」
痛いほど跳ねた心音のせいで、ことばがもつれた。お腹に力が入らなくて情けない声しか出てこなくなる。
「だ、だめ……」
「……みどりの全部を知りたい」
それは、わたしが知りたがったことの答え。
「見たことのないところを見てみたい。触れたことのないところに触れてみたい」
「や……」
キャミソールがだんだんと晒されていくのを止めることもできない。わたしは手錠をかけた側なのに。その気になればボタンを留め直すことだってできるのに。
手のひらで、弱気なことしか言えなくなりそうな口を塞ぐことで精いっぱいだ。
「だから、こうして君を見下ろして捕まえるのが好きだよ」
捕まっている。
見られている。
触られている。
事実があって、その向こうに笑みがあった。
だめ、も、嫌、も。わたしのことばのどこからが本心なのか見透かす、穏やかに逃げ道を取り上げていく笑顔。
「声、聞かせて」
キャミソールの裾にかかる指が微かにお腹を掠めていく。思わずこぼれてしまう悲鳴を皮切りに、もう何をしてもキョーヤに歯向かうことにはならないとわかって。
するすると薄い布をたくし上げていく手を感じながら、愛おしげに向けられる目を見つめることしかできない。
#おわり
ちょっといたずらしようとしたら盛大ないたずらで返された。なんてことでは済まされない状態になっている。
「キョーヤの意地悪……」
力で勝てなかった分、何か言ってやりたい――そうできる気力もすでにない。もう、キョーヤにどこをどう触れられても嬉しくなるようにされてしまった。何がどうしてこうなったのか。人体改造も同然だ。これは由々しき事態だと思う。
「懲りたかい」
完全に力が抜けてしまったわたしを、キョーヤはまた優しく抱いてくれる。その胸にくっつきながら黙って首を横に振ると、返るのは面白がることば。
「へぇ。またこういうことをしたいの」
「……今度は、キョーヤがちゃんと動けるときに」
「覚えておくよ」
きっとまだ赤いから顔を見られたくない。甘えて離れられないわたしを、キョーヤはいつまでも腕の中にいさせてくれる。そうなると確信できるから、いつかそう遠くないうちに今日みたいなことをしたいし、してほしい。かなり心臓に悪いとわかっていても。
何だかとっても、いけないことのよう。あらぬ方向へ一歩踏み出してしまったわたしの髪を変わらず撫でてくれるのが嬉しくて、もう少しだけきつく抱きついた。
