★はじめに★
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#0
「みどり。君は」
深刻な視線を正座で受け止めるしかない自分が情けなかった。開け放たれた窓を閉じ、重ねてカーテンもぴたりと閉め切った手は次いで、ベッドの上で固くなるわたしの肩をやんわりと掴む。
「よくあの手合いに見つかるね」
「返すことばもございません……」
「おちおち目も離せない」
キョーヤいわくわたしは「小さくて弱い」。今だって放課後のお出かけを取りやめてキョーヤの部屋に連れられているのは、待ち合わせ場所でわたしが知らない男のひとに絡まれてしまったから。
「……これは、君を監視しておく必要があるかもしれないな」
「そんなぁ」
「いっそ監禁してしまおうか」
――耳を疑ったところできっと聞き間違いではない単語だった。キョーヤは至って真剣に口にする。大好きな、低くて優しい声で。だからこそ、冷たいシチュエーションしか連想させないそれとは酷くアンバランス。
「かん……え? 監禁⁉︎」
「そうだよ。例えばこれとか」
どこからともなく取り出された手錠が、軽い金属音を立てて揺れた。ドラマの中でしか見たことがないフォルムをまじまじと眺めても突然消えたりすることはない。これは現実だ。
「そんな、そんなのやだよ」
「怖いのかい」
「だって痛そうなんだもん……」
「拷問とは違うよ」
あんまりな非日常を形を持って突きつけられるわたしを、キョーヤは小さく笑いながら柔らかく両腕で包んだ。
片膝が乗り上げるベッドが、微かにひずむ。
「さっきも君は棒立ちだった。動けなかったの」
「うん。でも、キョーヤがすぐ助けてくれたからもう平気だよ」
「……いつも僕の手の届くところにいたらいいのに」
数度髪を撫でてくれる穏やかさのまま、言外に考えは変わっていないことが伝わってくる。キョーヤは本心からわたしのことを捕まえておきたいんだ。
少しだけ怖くて、それと同じくらいに嬉しい。
「えっと、えっとね……ほんのちょっぴりなら、大丈夫」
「本当かい」
「痛くないんでしょ。それなら。キョーヤがしてくれるなら」
「……わかった。みどりがどこまで行けるか知っておくべきでもあるからね」
そのひとこととともに、先ほどと同じ音が背後で響いた。ワイシャツに顔をうずめたまま振り返っても、ぎりぎりのところで確かめることはできないあの鈍色。
「手錠……?」
「うん。これから拘束するよ」
#背中で
「あれ? 今どうあがいても同じ答えしか返せなかった気がする」
「嬉しいな。僕にそこまで身を預ける気でいたの」
「あ……」
片腕で抱かれたまま、右の手首にひやりとした硬さが触れるのを感じた。何となくそちらへ視線を向けるのははばかられて、またキョーヤの胸元へ額を押し当てる。そのせいか喉奥で微かに笑う声が直接耳に届いた。
「見ないのかい。こんな機会めったにないよ」
「キョーヤ、楽しそう……」
「そうかもね」
後ろ手にまとめられた左側へも、同様に。片手での作業なのにとても器用。
そうしてキョーヤが体を離したときには、わたしの手首は後ろで完全にひと揃えに固定されていた。軽くもがいても、かちゃかちゃと軽い鎖の振動があるだけで状況は何も変わらなくて。
「どう? こうして囚われた感想は」
「……ちょっとだけ怖くて、でもどきどきする」
「僕に何されても抵抗できないから?」
「な、な、何でわかっちゃうの……」
「みどりがそういう顔をしてる」
「してないしてない、そんなことないもん」
図星を慌てて否定することはできても、楽しげに覗き込む目から距離を取ることはできない。そのために自由な両脚でベッドを飛び出したところで、ドアノブを回すための手が封じられている。
――そんなことを実行しようものなら、あっさり連れ戻されるのだとわかっているけれど。
「……そう、いい子だねみどり。ここからは出られない」
ベッドに座り込み、キョーヤはわたしの頬へ唇で触れる。そのまま耳へ、髪へ、たくさんのキスが降りるまま受け取るわたしを見つめるのは、柔らかく細められた目。わたしを閉じ込めたいと考えているだなんて一見感じさせない静けさで。
「……悪くない。むしろ気分がいいよ」
「ん、そんなにしたらやだ……くすぐったいよ」
「恥ずかしがって暴れるのもいいけど、こうして無抵抗なのも可愛い」
キョーヤが開いた両脚の間にわたしを囲むと、ふたりの距離がもっと近くなる。いつも丁寧で綺麗な仕草をする男の子がそうして崩した姿勢をするなんて、もしかしたらこの時間に夢中になっているのかも――それはわたしも同じだった。いつもと違う状況が毒のように頭に回って、くらくらする。痺れた脚をかばって体勢を変えるのすらひと苦労。
「キョーヤ、どうしよう……変になっちゃう」
潤む視界を何とかしたくて、きつく目を閉じた。恥ずかしすぎると涙が出る、そんなことをまざまざと思い知らされる。
「これで音をあげるの。もっとみどりを作り替えるつもりだったけれど」
頬にかかる髪を払ってくれる指が、少し冷たい。それはわたしの体温が上がりすぎたせいなのかもしれなかった。
ゆっくり目を開くと、食い入るような視線がわたしの全てを眺めている。
きっと真っ赤になっているそこも見下ろすキョーヤの手に、いつの間にかまた新しく握られているものがあるのに気づいたのは数拍後。
「それ、なぁに?」
「土産ものの手拭い。目隠しにちょうどいいかと思ってね」
「目も、するの……?」
そういえばそこの文机に畳んで置いてあった気がする。ひらひらと揺らされる淡い空色の布は見た目にも軽くて柔らかそう。
「みどりは見えないと不安になるかい。それでも、君をもっと縛りつけられると思うと試したくなる」
ふっとことばを切って、キョーヤはわたしの答えを待ってくれる。どちらを取っても優しく頷いてくれるとわかっているから、ちゃんと考えることができた。
「キョーヤ……」
#目隠し
「……わかった。それなら、もう一度目を閉じて」
「ん……」
ふわふわと、綿を思わせる心地いい肌触りが瞼を覆った。それがわたしをさらに拘束するものだなんて、にわかには信じられない。後頭部できゅっと括られる感覚で、とうとう現実なんだとわからされるけれど。
瞼を上げると、ほとんど乳白色に滲む景色が広がっている。そろそろと見渡しても、どこに何があるかシルエットすらわからない。唯一、前髪に触れるキョーヤの指があることだけが確かで。
「きつくないかい」
「大丈夫。ほんとに見えなくなっちゃうんだね……」
「……怖くなったら、すぐに教えて」
「うん」
いつものように優しいことばが嬉しくて、大きく頷いた。それを褒めてくれるかのように大きな手が頭を幾度も撫でる。
そんな温かな気分が違和感に塗りつぶされるのは突然だった。
「あ……っ」
キョーヤの指が微かに耳を掠めた瞬間、反射的に肩が跳ねてしまうほど鋭敏に感じ取る接触。自分の体の過剰反応に自分で呆然としていると、押し殺しきれない笑い声が背後から聞こえた。キョーヤは正面にいたはずなのに。
「あれ? 何で……」
「知らないのかい。五感は補い合うんだ」
「ん、ぅ」
する、とわたしの脇腹からおへその辺りまでを滑る、ブラウス越しの温度が手のひらだと遅れて理解した。思わず身をよじろうとしても、背筋を這い上がるぞくぞくとしたものに邪魔されて力が抜けてしまう。緩やかに体重をかけられて前傾する体は、後ろからキョーヤに抱きしめられて。
「見えない分、触覚は敏感になるんだよ」
「ひゃ」
「もちろん聴覚もね……あぁ、可愛い声。みどりは捕まるともっと可愛くなる」
様子がわかるはずのない唇が、耳元で笑みを浮かべているのがありありとわかる。ひとつひとつことばが紡がれるたびに、さっきキスしてくれたそれが時折耳の縁に触れるたびに、信じられないほどびくびくと体が反応してしまう。その気になれば立ち上がれるはずの脚はとうにぺたりと崩してしまった。膝を小さく震わせることしかできない。
「や、やだ……そこ、そこで話しちゃやだ」
「どうして。よく聞こえるようにこうしてるのに」
「だって、ぽそぽそってして」
「気持ちよさそうに見えるよ」
気持ちいい。思っても見なかった指摘が、これ以上はないだろうと思っていた熱をさらに上げた。
そうだと認めてはいけないような気がしていたのに。とっても、いけないことのようで。
「自分のことなのにわからないのかい。困った子だ」
ちっともそう思っていない揶揄った響きとともに、顎をなぞった指が唇に押し当てられた。
「ここはもっと素直に言えるはずでしょ」
「え……?」
唐突に降りた指先に、ブラウスのリボンを剥ぎ取られていく。ボタンでくっついていたそれはあっさりキョーヤの手中に収まって、喉元が空気に直接触れた。
「泣いてばかりの口は塞いでしまおう。これを咥えて」
滑らかな感触が、唇の端に重ねられる。今取られてしまったわたしのリボンだとすぐにわかった。
「これで誰にも助けを呼べなくなる」
――心の底からそうであってほしいと願っているのが、背中越しに届く。これで万が一にもわたしがキョーヤから離れられる可能性はぺしゃんこに潰される。そう思うと、不安と同時に喜びもあった。確実に自由を奪われているはずなのに。
こんなに酷いことをされても、キョーヤだから嬉しいなんて。
#猿ぐつわ
密やかな呼吸は、確かに高揚を纏った。
「……そう。それじゃあ、唇で挟んで」
「ん」
「上手。落としたらだめだよ。そのままだ」
「んん」
リボンの様子を見ようとしたのか、キョーヤが正面に回る気配がする。ということは、視界も口も塞がれたわたしを隅から隅まで眺められてしまう。楽しげにそうしているのが伝わりすぎるほど伝わって、恥ずかしいからあんまり見ないでほしいとお願いすることもできない。少なくともことばの上では。
「んんん」
「抗議のつもりかい」
「んんんんんんんんー」
「何が何でも会話しようとするそのガッツは好きだよ」
「んん……」
そこを褒められても。せめてと体ごとそっぽを向こうとしたわたしを、キョーヤはまた抱きすくめた。今は、離してほしくてももっとぎゅっとしてほしくても伝わらない。もどかしくて、でも目の前にいるキョーヤにそうされたという事実がなぜだか胸を甘く痺れさせた。
もう、自分の心をたどることも難しい。
「力、入ってる。歯を立てないで」
リボンが軽く揺らされる。キョーヤの腕の中に収められては、こんなささいな悪戯も防げなかった。
「加減を体で覚えないといけないね」
「ん、ん」
「いいや、次も同じことをしたい。みどりをこうするのがこんなに」
一瞬声が途切れた。
「……嬉しいだなんて知らなかったよ」
嬉しい、その気持ちでわずかにでも呼吸を乱すキョーヤを初めて見た。正確には目隠しされているからそうではないけれど。キョーヤも、普通じゃない状況でペースを狂わされているのかもしれない。
「んーん」
「今、僕を呼んだの」
「ん」
「……不思議だね。言いたいことが大体わかる」
「ん……」
髪から、肩甲骨へ。背骨を伝い降りて、腰へ。太ももの横をすうと撫でる指が、スカートの裾をなぞった。わたしの全てに届きそうなキョーヤの長い腕を思い出すだけで、胸が痛くなるほど鼓動が速くなる。
「小さい。すぐに全身をたどれる」
「んんっ」
「これもくすぐったい? 声が震えてるよ」
「んー」
目をそらしておきたいことをいくつも勘づかれる。たくさんからかわれて恥ずかしくて、慌ててキョーヤの胸元に寄りかかった。こうして甘えると優しく、優しく両腕で抱いてくれるのを知っているから。
――果たして、今回はその例外だと思い知らされるのに時間はかからなかった。
「可愛い」
とろりと、底の見えないほど深い喜びが響く。
「こんな状況でも僕にしか頼れないなんて。君は今大声も上げられないのにね」
ふっと、体から天地の感覚が失われた。背中を柔らかく受け止めたのがベッドだと気づいてようやく、押し倒されたことを理解できる。
「……もっと、いじめたくなる」
酷く熱のあることば。
キョーヤがどんな表情でわたしを見下ろしているのか、途端にわからなくなって。
何を思って、そうしているのか。
「ん……っ」
指先がブラウスに降りて、ボタンをひとつ外した。
#白旗
首を横に振って降参するわたしのことを、キョーヤはすぐに気づいてくれた。纏わされていたものが取り払われたときには、体は元の自由を取り戻している。
「……平気かい」
「うん。何ともないよ」
それはほんの少しだけ、ごまかしを含んだ答え。今この瞬間も、高鳴る心臓は平静になってはくれなくて。
あれ以上進んでいたらどうなったんだろう、なんて想像は、白くぼやけた。鮮明に思い浮かべることは、思考の深いところがブレーキをかけているようで。
混乱ばかり。そんなことになった元凶は、少し気遣わしげにわたしの髪を指で何度も梳いた。
「みどりには刺激が強すぎたかもね。次からはもっとゆっくり慣らそうか」
その視線は、わたしの目だけに向けられている。
わたしたちの手元には、外された手錠が投げ出されていた。
――もしかして。
疼いたのは悪戯心か、反骨精神か。
もしかして今なら……?
#逆襲
わたしが触れるのを当たり前のように受け取るキョーヤだからこその隙だった。
「お覚悟ー!」
掴んだ手錠をワイシャツの手首に押し当てると、あっさりと輪がキョーヤを捉えた。少しだけ目を見開いてぽかんとするのをいいことに、もう片方も。
今まで好き放題を許していた相手との立場が逆転している。ここからはわたしがキョーヤを――そう考えると奇妙に心が躍る。
「や、や、やった……キョーヤ捕まえちゃった!」
「……へぇ、なかなかやる。油断したよ」
感心したように深く頷くキョーヤはおもむろにベッドから降り両手首を連ねる鎖へ膝蹴りを入れ断ち切った。
「え?」
予定調和、暗黙の了解、何はともあれ、まるで流れ作業のようにあっさりと。
ぺきりとあっけない音の意味を飲み込むのは相当な時間を要した。
「えぇー⁉︎」
「今のみどり相手に本物を使うと思うのかい。脆いおもちゃに決まってる」
「そんなの売ってるの?」
「ドンキ」
「ドンキかぁ……」
そういえばお菓子を買いについてきてもらったことがある。キョーヤは人ごみを避けて雑貨コーナーへ歩いていったけどまさかそんな前振りがあったなんて。
「まだ刃向かう元気があるならよかった」
がらくたと化した輪を片手でねじ切る、実に楽しそうな笑顔。
「報復には報復だ。僕にこんなことをしたらどうなるかたっぷりわからせてあげるよ」
「うーんどこかでやったことあるシチュエーション……」
既視感の正体を掴むことはできなかった。
背の高い影が、迫る。
「ゆゆゆゆゆ許して……」
「聞けないな」
数十分前とは全く別の意図を持って、両肩を捉えられた。
