「あの装備、何であんなに変な形してたんだろうな」
手にしているのはすずめちゃんから預かった匣だった。後で返す約束はしているものの、一応は兵器と位置づけられているものを持たせておくのは気が引ける。
「推測は立てられるぞ。お前、戦闘中にふざけた格好のやつが現れたらどうする?」
「どうって……どうもしないよ。何もしてこないなら」
「でも、嫌でも目は引くわよね? 大多数が入り乱れる戦いのときほど隙を作れる」
ビアンキのことばには頷かざるを得ない。素顔のわからない黒ずくめの人間というだけで警戒度は高まるというのに、そこに可愛らしく兎に擬態しようとする不気味さが加わるのだから。顔に当たる部分にはめ込まれたガスマスクの硬質な無表情を思い出し、身震いしそうになるのを何とか押しとどめた。今回はよりによって、その下にすずめちゃんがいたという事実が違和感に拍車をかける。
「すずめちゃんはミルフィオーレの建物から持ってきたって言ってたよね。だったら、並盛を攻撃するのに使おうとしてたんじゃないかな」
「ようするに、あの匣は囮ってことだな。注意を引きつけて、なるべく多くの攻撃を自分に向けさせるんだ」
「でも、別に生きた人間に着せなくてもいいんじゃないか?」
「ツナ兄、すずめちゃんが持ってたのは晴属性のリングだったんだよ」
フゥ太の補足に、封じられたリボーンのおしゃぶりへ視線を落とす。本来は目の覚めるような黄色。その覚悟の炎をすずめちゃんが扱ったことが信じられない。戦いとは無縁の場所にいたはずなのに。
「オレが思うに、あのコートは活性が常に作用してんだ。だから攻撃を食らうたびに装備の損壊も所有者の負傷も修復される」
「そのためには炎を灯し続けておかないといけないよね。本人が装備し続けないと意味がないんだ」
「じゃあ、もともと大勢に攻撃される前提なんだな!?」
「そうね。非効率すぎるわ……所有者を人間と思ってるのなら。それに、すずめちゃんは意識が混濁していた。あの装備はそういう効果も持ってるのね」
「そーだな。逃げられる攻撃から逃げないってのは難しい。わざと思考を停止させてその場に留まらせるわけだな。立派な囮の完成だ」
想像するだけでぞっとする。この話にすずめちゃんや雲雀が加わらなかったのを心から感謝した。すずめちゃんが身に着けていたのが、人でなしが作ったような棺も同然の兵器だということを知っておく必要はない。
「それでも、まともに意思疎通ができないのは作戦行動では致命的だ。そこを重視したんなら廃棄されて当たり前だな」
「リボーン、これだけは誰にも使わせちゃだめだ! こんな怖いもの、絶対……」
ミルフィオーレとの戦力差は圧倒的で、使えるものは何でも使って力をつけるべきなのが現状だった。けれどこれを頭数に加えるのは断固拒否するべきだ。
「ラルにも言っておかなきゃ」
「ツナ」
「止めるなよ!」
「止めねーぞ」
リボーンははっきりと笑みを見せていた。フゥ太もビアンキも、ほっとしたように頷いている。
「ここの最終決定権はお前にあるからな。でもな、お前はそういう考えしかできないボスだ。ここのやつらはわかってるぞ」
「……ラルには甘いって怒られそうだけどな」
「でも絶対わかってくれるよ。ヒバリさんも……ふたりとも説得するのがちょっと怖いけど」
改めて彼の名前を聞くと、焦りと怒りで高揚した心が微かに沈む。あのとき、すずめちゃんは目の前の男が雲雀恭弥だと本当にわからなかった。そして、この時代について聞かされた今でも。
そのすずめちゃんはというと、雲雀に連れられていっしょに風紀財団のエリアにいる。雲雀はすずめちゃんを戦いに巻き込む気は毛頭ないのだから、その行動に制止すべきところは何もない。
しかし心中穏やかではいられないだろうと察しはつく。あんなにも大切にしていて、それなのにいなくなってしまって、そして物騒な状況とはいえ再会できた相手が自分を認識できなかったのだから。
何を思ったのだろう。そして、過去から来たすずめちゃんと雲雀はどう向き合うのか。
「難しいよな。いきなり十年後の世界に飛ばされたんだって言われても」
「あの子自身がどうにか折り合いをつけないといけないわね。今までいっしょにいたヒバリと、ここにいる雲雀のこと」
すずめちゃんがいちばんに頼りにして、慕っているのは十年前の雲雀の方だ。その彼と引き離されたことを、だんだんとわかってきている頃だろう。
***
「キョーヤくん」
すずめちゃんは僕をこう呼ぶ。
草壁は愕然として、その後諦めてことばもなかった。頭上の小鳥はどこか上機嫌にその名前を繰り返す。
結局のところ、すずめちゃんがタイムスリップの詳細を掴むことはなかった。だから自分を連れる男を、よく知った雲雀恭弥だと納得できてはいない。草壁の話は「また明日からにしてあげてください」との京子の願いで中断された。
「すずめちゃん、私と同じなんです。お兄ちゃん……いえ、知ってるヒバリさんと会えないことがわからなくて、いちばん悲しくて、ここがいつもの並盛じゃないことに慌てちゃって」
草壁はそのままボンゴレのエリアに留まり、ここにはすずめちゃんとヒバード、僕だけが残された。神社から医務室、そしてここに移ってまだ数時間しか経っていないというのに、どこか焦りのようなものが胸の奥に滲み始める。
すずめちゃんは「キョーヤ」と「キョーヤくん」を全くの別人と解釈した。そうしなければ処理しきれなかったのだろう。いきなり十年分成長した保護者の前に引き出されてこれがお前の探している人間だと告げられ、それを飲み込めるほどの余裕は今のすずめちゃんにはない。
だから、このすずめちゃんといっしょに学校に行って、歩いて、眠ったのは僕ではない。このすずめちゃんが好きだと言ってくれたのは僕ではない。
僕のすずめちゃんはもういない。それなのに、やっと動き始めた心はふたりを同一視する。すずめちゃんとは真逆だった。すずめちゃんが小さな頃の姿で帰ってきたような錯覚を、現実と思い込みたがっている。
ふたりして間違ったまま、対して広くはない和室の中ひとつの会話もない。すずめちゃんは部屋の隅で大人しくヒバードと遊んでいる。ひとりの時間が惜しいとばかりにじゃれついてきたのは昔の話だ。この子にとって、ここにいるのは雲雀と同じ名を名乗る知らない大人。
両者の間には決定的な思い違いがあった。
「僕とキョーヤ、どこが違うの」
思わず、声をかけていた。ヒバードがこちらに飛んでくるのから少し遅れて、すずめちゃんはそうっと近寄ってくる。どことなく距離があるのは仕方なかった。知らない人間相手にはそうしろと徹底的に教え込んだ覚えがある。
「キョーヤはもう少しだけ小さくて」
沈んだ声色。あれだけ泣きじゃくった後で疲れは未だ抜けきらない。それでも、目を伏せて相手を思い描く表情は少し和らいでいた。
「あと、あなたよりちょっと髪が長くて、あなたより可愛い。笑うともっと可愛いんだよ」
――いい本音が聞けた。本人に黙っていたのは英断だ。昔の僕はすずめちゃんに可愛いなどと評されていたらプライドが許さなかっただろう。その場でくすぐり倒すくらいには。笑いながらころころと逃げ回ってさぞ可愛い光景が見られたに違いない。
「……僕は? 可愛くないの」
「キョーヤはかっこよくて可愛いの。キョーヤくんは、えっと、すごくかっこいい」
「そう」
頷くすずめちゃんがようやく、小さいがはにかんだ笑顔を見せてくれた。それだけで酷く肩の力が抜けるのを自覚する。硬い表情ばかりが続いていたのもあるが、何より好きだった……今でも好きな笑みが見られたことがこの上なく幸福なことのように思えた。
やはり、すずめちゃんは昔から変わらない。小さくても、僕の大切なひとであることに変わりはなかった。ふたりの間に距離が生まれたなら縮めればいい。すずめちゃんとならそれができるはずだ。
「おいで」
いつかのように手を伸べる。ヒバードが傍らにいることで若干警戒心が薄れたのか、少しずつ畳の上をにじり寄ってくるところを待ちきれずに薄い肩を引き寄せた。これからとてつもない勢いで成長するとは思えない華奢な触り心地が手の中にある。
「キョーヤくん?」
少し驚いたように目を見開いて、すずめちゃんは固まった。突如ヒバードがやたらと騒がしくさえずり始めるのを意図的に無視する。所在なげに投げ出される手は小さく、こうして片手で掬うと簡単に包み込めた。記憶の中のままだ。すぐ触れられるほどそばにいて、笑顔を向けてくれる存在がここにいる。
「おかえり」
柔らかな前髪に唇を寄せた。遠い昔に感じたシャンプーの香りが鼻先をくすぐっていく。確かに生きている。大変な思いをして遠いところから帰ってきてくれたのだ、これからいくらでもこうする時間があるとわかってはいても止められない。両腕を背中に回して抱き寄せても足りなかった。
何の反応も返せなかったすずめちゃんは、その瞬間体を震わせる――まるで冷たいものに触れたかのように。
「すずめちゃん?」
「……やだ……」
それはこのすずめちゃんの口から聞く初めての、明確な拒絶だった。
半ば呆然とその顔を覗き込むと、強張った頬は微かに青ざめている。丸い目を今にも泣き出しそうに潤ませて。声をこらえるように引き結ばれる唇に触れようとした途端、すずめちゃんは腕の中から抜け出すと弾かれたように走り去った。
ヒバードがそれに続くのを見送って――しばし放心していた。この手は振り払われた。よりにもよってすずめちゃんに。
「どこへ」
どこへ行くの、そんな問いかけを受け止める相手はすでにいない。いなくなった。またしても腕の中をすり抜けて姿を消した。
「どこへも行けないのに」
いや、どこへも行かせたりしない。二度もすずめちゃんを失うはずがなかった。やっとここへ帰ってきたのを逃したりしない。すずめちゃんにはまだわからないのだろう。未来の自分は遠いところへ行ってもう戻らないことも、その現実を受け止めたつもりでまだ立ち直れない男がいることも。
胸の内にふつふつと湧き上がるのが怒りだと、すずめちゃんに向けたことなどない感情だとようやくわかった。凍りつくような熱が足を動かす。すずめちゃんを追わなければ、ここへ連れ戻さなければと、それだけのために。そばにいなくてはいけないのになぜ出ていこうとするのか。ずっといっしょだと約束したのになぜ離れるのか。どうして。
財団のエリアはさして広くはない。真っ直ぐにボンゴレ側を目指すならなおさらすぐに追いつける。認証をパスしなければ行き来できない仕組みのうえ連絡通路は一箇所のみ。
だからこうして、開かない扉の前で途方に暮れる後ろ姿をすぐに見つけられる。
「キョーヤ、哲さん」
か細く震えて、向こうには届かない声を聞いたときには遅かった。
どこかで「だめだ」と止めることばは、誰のものだろう。
「許さない」
とっさに振り返る体の両側に力任せに手をついた。金属を殴りつける轟音に怯んだすずめちゃんはそれだけで動けなくなる。こちらは背が伸びて、すずめちゃんは元のまま小さくて、きっとこの差も威圧感を生んでいるはずだった。それでいい。この子が本調子ならば捕まえるのが苦になるほど俊敏に逃げ回るから。通路を照らす照明の影になり、すずめちゃんの目には光が映らない。
「また僕を見て」
この目は違う。すずめちゃんはこんな目で僕を見たりしない。どんな目だ? そんなことは知らない。ただあの目で見つめてほしいだけだ。あの目とは何だ。そんなことはわかりきっている。きっとすずめちゃんにだって。
「僕を見て。キョーヤって呼んで」
――首を横に振られる。無言の抵抗はあまりにも弱々しい。白くなるほど握られた両手が胸の前で組まれるのはまるで祈りを捧げているかのようで、ひとまとめに掴んで捕まえるにはうってつけだった。そうして引きずっていけば後は簡単、柱にでも括りつけておけばもう安心だ。すずめちゃんはどこへも行かない。
この手で触れたら、決して離さない。
「すずめちゃん」
「……キョーヤ」
それはすずめちゃんが折れたのではなかった。すずめちゃんはこちらを見ている。涙をためた目で。
こぼれたひと雫は暗い炎を一瞬でかき消した。
「キョーヤ……」
どこで、何を間違えたのか。
「キョーヤ」
それは、ここにはいない男へ向けたことばだった。
「助けて」
それは、怖いものを見る目だった。
