01

 この前、すずめちゃんがオレの家に遊びに来たんですよ。イーピンといっしょにお絵描きしてたっけ。オレは京子ちゃんとハル、あと獄寺くんと宿題やってました。そうそう、後から山本も合流してすごく賑やかで! なのにランボはベッドでずっと寝てたんですよ。朝早くから遊び回るから……あ、ランボってわかります? あの牛の子ども。大人しいもんだからリボーンと喧嘩し始めなくてホッとしたなぁ。そうだ、すずめちゃんはクロームも誘ったって言ってたけどまた今度ってことになったみたいで。あの子、いつもどこで過ごしてんでしょうね? 雲雀さん、知ってますか?

 沢田綱吉の計画のとおりに、何も知らない沢田綱吉たちが十年前からやってきた。記憶の中の彼と多少の齟齬があるのは当然として、しかしこの口数の多さは明らかに異常だった。ともに地下を移動する間、隣を歩く獄寺の呆気にとられた視線に気づきもせずに話し続ける。

 数日前いきなり未来などに飛ばされてきた不安や、今後の作戦への緊張をごまかしているのではない。きっと彼はとっくに感づいていて、そこから目をそらそうとしている。超直感とやらがもたらすのは、どうしようもない事実を曖昧に突きつける迷惑極まりない予感らしい。

 無機質な金属の廊下の中、途切れ途切れな沈黙に四人分の足音が硬く響く。この十数分、主に口を開くのはツナだけだ。無音を恐れるかのように、引きつった笑みを唇にたたえて。

「あの、ヒバリさん、草壁さん」

 ツナの声は震えていた。努めて何でもない風を装って結局失敗している情けなく弱々しい声。草壁が小さく息を呑むのを横目に認める。避けられない瞬間が来てしまったのだと無言で嘆くのがわかった。それを見ても、心は動かない。

 動揺など、あの日に一生分使い果たしたから。

「すずめちゃん、元気ですか?」
「すずめちゃん、ですか」
「何となくオレの中でヒバリさん、草壁さんときたらすずめちゃんだから……三人は学校でいっしょにいることが多かったし」
「そうでしたね」

 草壁の相づちが上擦る。剥き出しの配管が幾重にも伝う天井を視線だけで追っても、この場をやり過ごしたことにはならない。明るいことばは空々しく反響し、誰にも拾われることなく床に落ちた。

「怖がったりしてないか心配だったんですけど、ふたりがいるなら安心ですよね!」

 答えはない。草壁はとうに返事ができる状態ではなくなっていた。うつむき、奥歯を噛みしめ、慟哭を喉で殺すのを後ろにいるふたりが目の当たりにすることはない。受け取るとしたら予感だけだ。話題の人物が一向に姿を見せない理由の。

「なぁ」

 獄寺が短く促す。とはいえ、本心では聞きたくないと拒んでいる。それはツナも同じだろう。しかし彼らがほしいのは事実だ。その場しのぎの楽観で満足できる神経は、今のふたりにはない。

「すずめちゃんはどこなんだよ」
「ここにはいない」

 スーツの内ポケットを探りながら振り向いても、なぜと問われることはなかった。こうなることは想像がついていた。確かにすずめちゃんはいつでもいっしょにいたから。そのすずめちゃんが、ここにはいない。みるみる凍りついていく表情は、かつてここにいたボンゴレたちのものでもある。

「ここにはこれだけだ」

 指先で摘み上げたものを差し出す。反射的に受け取ろうとツナは片手を伸べかけ――目を見開いた。何を思っているのかは、悲嘆に歪んでいく頬で一目瞭然だった。

 すずめちゃんの帽子についていた白いリボン。

 解かれたその半分は血染めにされて、黒く固まっている。

「あの子にはもう小さくて被れなくなったから、それだけは残したんだ。友だちに直してもらった大切なものだからと」

 出かける前に姿見の前で念入りに帽子を、とくにリボンの形を整えていた姿がある。行ってきますと元気に走り出ていった後には必ずただいまを聞ける。そんな日はいつまでも続かず、あるときを境に失われた。

「こんなことになるずっと前から、すずめちゃんは体調を崩していたんだよ」

 会釈の後、草壁は足早に先を行く。止める者は誰もいなかった。奇妙な姿勢のまま硬直するツナも、拳を握りしめて黙り込む獄寺も、淡々と事実だけ話す僕も。

「病だった。最期は苦しまずに眠ったよ」

 それが全てだ。ボンゴレ狩りの少し前に、すずめちゃんは目の前から永遠にいなくなった。声も笑顔も鮮明に焼きつけたまま。辛いとも、死にたくないとも言わなかった。その瞬間に手を握る人間がいたことを喜んで、ひとこと、温かいと、それだけを残して。

 ――今、自分がどんな顔をしているのかわからない。それと同じに、あの日の自分がどんな顔でそのことばを聞いたのかを思い出せない。

「……そう、ですか」

 ツナの返答に含まれたほんの少しの安堵は、決して場違いなものではない。外の荒れようを見れば当然だった。そこから連想するのは凄惨な暴力ばかりだろう。すずめちゃんがそれに巻き込まれたのではないとわかれば、誰だって胸を撫で下ろすに違いない。

 確かに、悲しい。悲しかった。すずめちゃんを奪っていったのは人間の魔手でも自然の脅威でもなく理不尽に現れた病魔だった。けれど、安心してもいた。その最期を痛みではなく安らぎで終えられたことが唯一祝福すべきことで。

 今は、空っぽだ。

 ――胸の喪失を埋めるのは、今や怒りだけ。ボンゴレに手を貸すのもそれが理由だった。

「あの子は並盛で眠っている。けど、それで終わりじゃない」

 目的の部屋へ、草壁が向かった方へ歩を進める。もはやことばもないふたりが茫然自失のままついてくるのがわかった。きっとふたりはこの空虚をそう遠くない未来に忘れるだろう。この局面を乗り越えるために経験不足を埋めなくてはならなくなる。戦っているうちは、ひとつのできごとに構っていられない。

 僕にはそうならない理由があった。

「あの子の遺品のほとんどが奪われたんだ」
「どこのどいつに」
「ミルフィオーレ」

 ――今、壁を殴りつけたのは獄寺の方だろうか。ひとり分の足音が途端に崩れ始めるがそれには構わず進んだ。手の中のリボンに皺がつかないようにそっと握りしめながら。

「でも、すぐに返ってきた。最初は病院に持ち込んだ鞄。次に、中に入っていた本が数冊。着ていた服、ぬいぐるみ……次々送りつけられてきた。イタリアからね」

 メッセージのない、ただの荷物として一箱ずつ。開けるたびに、体の真ん中に空いた穴が塞がれるような気がした。苛立ちと殺意でだ。ご丁寧に明記された差出の所在地はミルフィオーレが所有するタワーのひとつだった。挑発行為とも取れるこれを見逃すはずがない。

 首魁を潰すために、敵方のはずだった入江正一が計画に加わるのも黙認した。彼の案に乗ればいつか首謀者をこの手で始末できるだろうと読んで。

「最後は、今見せたリボン。なぜこんな汚れがついてるんだろうね」

 問いかけておいて答えなど求めていないひとりごと。時系列からいって、すずめちゃんの血液ではない。相手の思惑などどうでもよかった。今やるべきことは並盛を守ること、そしてミルフィオーレの首を断つことだ。

 仇討ちなどという殊勝なものではない。ほんの一時でもすずめちゃんの一部を持ち去ったこと、そしてすずめちゃんの宝ものを汚したこと。それだけで十分だ。

 それに、まだ返ってきていないものがひとつだけある。それを取り戻すまでは……。

 その瞬間、耳に細く突き刺さる雑音が走った。放送機器に電源の入る、耳障りなノイズ。

「な、んだよこれ!?」

 突如ツナが耳を塞いでしゃがみこんだ。獄寺が反応するまもなく次の瞬間にはけたたましい緊急通信が通路に響き渡っている。

「外部にリングの反応です! ヒバリさん、あなたがいちばん近い!」
「どこ」
「神社です、反応はひとつ! 明らかにここの出入口を目指しています!」
「おい、オレも行くぞ」

 言い捨てて、獄寺が走って引き返していく。つんのめりながらも追いかけるツナの背をしばし眺め、後を追った。

「十代目は待っててください!」
「そんなことできないよ!」

 よく聞くやりとりがだんだん遠ざかっていく。雑魚の相手など気が進まない、そんな考えが足を鈍らせるのだろうか。ふたりとの距離が開くも、これだけのスピードがあれば出入口はすぐそこだった。

 隠蔽された地下への扉を真っ直ぐ目指せる、そんな性能の匣など聞いたことがない。だが早々に相手を叩きのめしてリングごと奪えばいい。沢田綱吉の特訓につき合うというほかの面倒ごとも控えているのだから。

 ――そのツナはすぐ外で腰を抜かして座り込んでいる。獄寺はといえばリングも匣も忘れて立ち尽くし、神社の賽銭箱の方を凝視して動かない。

「何だ、あれ」

 どちらともつかない力の抜けたそれは、およそ敵対者へ向けるものとは思えなかった。理解の及ばないものへの嫌悪、その感情の源はふらりと振り返ってこちらを見つめた。

「人間、だよね……?」

 是非を断言できないものが、そこに立っている。

 一見、丈の長いレザーコートを着た背の低い人間に見える。黒い袖からは両手が覗かず、随分とサイズの合わないものを身に着けているようだ。腰に吊られたナイフを構える素振りもない。

 その顔面は有毒地帯にでも赴くかのように、無機質なガスマスクで完全に覆われていた。目深に被ったフードの装飾が垂れたうさぎの耳を象っているとわかったとき、酷い違和感に思わず眉をひそめる。異形が可愛らしく振る舞おうとしてさらにおぞましい姿に成り果てていた。

 ゴーグルの向こうの目は何を捉えているのかわからない。それが、ふらふらとした足取りでゆっくりと歩み寄ってくる。殺意どころか敵意の欠片も感じない、むしろ意識が薄れているのではないかと疑いたくなる頼りなさ。

「近づくんじゃねぇよ」

 低く唸るような警告はしかし聞き流される。数十歩先まで迫ってきたそれは子ども同然の体つきをしていた。小柄で、華奢で、戦闘とは無縁の世界に暮らしてきたかのように。こちらが見えていないのか武器を構える獄寺すら警戒する様子もなく、突風に煽られながらも足を止めない。

 ――その瞬間に、見えた。かっちりと留められたレザーコートの胸元、留め具の隙間から覗いた銀色。匣に対応するリングとともにチェーンに通されたのはシルバーの指輪だった。連なる花を模したデザインを見て大喜びしていたのは誰だったか、忘れるはずがない。

 それは僕が贈ったものだ。

「ねぇ」

 やはり呼びかけは意味をなさない。獄寺が「何のつもりだ」と言わんばかりの視線を向けるが意図を説明してやるつもりはない。すぐにでもツナが気づくと知っているからだ。

「待って獄寺君! その子は違う!」

 叫ぶ声をよそに、それに詰め寄った。フードを剥いでもガスマスクをむしり取っても無抵抗なそれは、ようやく素顔を見せた。突然の日光に反射的に細めるも、やはり何も映そうとしない虚ろな目。頬に手を添えて無理矢理視線を合わせると、もうずいぶんと触れていなかった柔らかさがある。遠い日に、毎日のように撫でていた体温。

 どうあってもここに呼び出されてしまうはずのあの子が、葬られた並盛の地に現れない理由はこれだった。心は、奪われた指輪といっしょにいたから。

「……すずめちゃんだね」

 答えはない。

 ひとつ、瞬きがあった。

「キョーヤはどこ?」

 掠れた、痛々しい声。糸が切れたように崩折れる体を抱きとめるのに苦労はなかった。

 いなくなってしまう前の大切なひとが腕の中にいる。その事実が今になって現実味を帯びてのしかかってくることの方がよほど重い。

 今回のことが失敗すれば、すずめちゃんはまた失われる。

 ――そんなことにはさせない。