05

 雲雀に怒られた。

 そんなことを聞いてしまえば好奇心より恐怖心が勝る。これまでに咬み殺された思い出の数々は走馬灯のようだ。それがまさかすずめちゃんにまで降りかかるなんて。

 雲雀が獲物を狙う表情は冷たい無表情か獰猛な笑みと相場は決まっている。それを乗り越えた……というよりほうほうの体で何とか生き長らえた者は数多かった。ここにいる三人もその中に含まれる。

「えーっと……ヒバリさん何で怒ったんだ?」
「キョーヤくんって呼んだだけ。そしたら気に食わないって、ぼくのこと高いところからぶら下げたんだよ。怖かったー」

 ――昼食がみるみる味を失っていくのを感じた。謎の部外者を加えた四人組を遠巻きに眺めていたクラスメートたちも、卵焼きを頬張り始めたすずめちゃんの発言を聞くなり顔を青くする。この調子では語尾に音符でもつけていたに違いない。ご機嫌に呼ばれることを嫌う人間は多くはないだろうが、雲雀はその少数派らしい。

「高いところ……? 応接室の窓の外とか……? えぇ……」
「ツナくんはいいのに、何でかな」
「心が狭いんだろ」
「狭いとどうなるの?」
「いろんなことが気に食わなくなんだよ。十代目とは大違い、いってぇ!」

 雲雀のことはさておき誇らしげにツナを褒めにかかる獄寺の頭に、ぽこんと置かれたのは丸めた教科書だ。すずめちゃんがきょとんとするように音は軽かったが、獄寺の反応からして威力はそこそこあったらしい。

 絶妙なカモフラージュを披露した山本は、反撃の右ストレートを椅子に座ったままあっさりかわすと残りのサンドイッチにかじりついた。しゃきしゃきといい音を立てるレタスは、すずめちゃんの弁当箱のサラダにも入っている。千切っただけだと言うが、さっそく料理を覚え始めているようだ。

「てめぇ何しやがる!」
「一応は保護者役なんだからさ、そう悪口吹き込むなって」

 「なー」とにこやかに同意を求める山本に、すずめちゃんはにっこり「ねー」と返す。多分、よくわかっていないだろうけれど。

 すずめちゃんは風紀委員に身柄を預けられた形になる。しかしそれは日中の話。学校が閉まる時間帯はどうしているのかというと、雲雀が自宅に連れ帰っているのだという。

 山本の言う保護者役というのは冗談でも何でもなかった。

 ***

「明日のー、お弁当はー、何それ?」

 夕食の皿を覚束ない手つきですすぎながら、すずめちゃんは自分の背後に置かれたボウルを振り返った。限りなく音程の不安定な即興曲が中断したのを内心で歓迎しつつ、よく育った一房をつまみ上げる。

「ブロッコリー。草壁が置いていった」
「野菜?」
「野菜だよ」
「へー。野菜は緑色なんだねぇ」

 今度茄子を見せてやろうと決心する間に、すずめちゃんは洗いものを終えている。何もわからないから何もできないこの新顔に、初めに任せてみたことだった。挙動に若干の怪しさはあるものの丁寧な仕事ぶりで、覚えが悪いということはなさそうだ。

「おいしい?」
「調理次第。どうすればいいと思う」
「んー、茹でて、マヨネーズ? お塩かな?」
「……君に任せるよ。こんなにあるからね」

 失敗したところで、そのふたつの方針的に食べられないことにはならない。朝ごはんにしてみるよ、と意気込むすずめちゃんは、あの日からまるで暇を嫌うように動き回っていた。家に置く代わりにと申し出たのとは違う訳があるのではないかと勘ぐりたくなるほど。

 皿洗いも料理もと自分から忙しくするのを見ると、昼寝の心地よさも教え込んでやりたくなった。あれはいい。一度経験したら癖になるタイプの快感だ。

「お弁当といえば、今日の昼はどこにいたの」
「ツナくんと、獄寺くんと、山本くんのところだよ。いっしょにご飯食べてたの」
「そう」
「ね、キョーヤ」

 ひと悶着の後、雲雀恭弥の呼び名はこれに落ち着いていた。

「何?」
「ありがとうね。ぼく、朝はちゃんとお弁当作れたよ」
「そう」

 微笑んで頷くすずめちゃんだが、昨日までは包丁の存在すら知らなかった。それがこうして、口に入るものを用意できるようになるのだからわからない。

「ぼく、これからもっとできるようになるかも。明日はキョーヤの分も作る!」

 その、あまりにも早すぎる行動が気にかかった。

「やらなくていいよ」
「そうなの?」
「君、時間制限でもあるの」

 ――一拍おいて、ぽつりと「ないと思うよ」と返ってきたのが答えと気づいたのは少し遅れてからだ。

 出どころのわからない気合めいたものに突き動かされていては、体力があり余っていてもいずれ電池が切れるだろう。

 やたらと元気だったのが、肩の力を抜いていく。それでいい。

「ぼく、何だか急いでたね」
「子どもは早く寝るのも仕事だよ。終わったなら片づけて」
「はぁい」

 すんなり言うことを聞くのは、本人が素直なのか、それともお灸を据えたのがよほど堪えたのか。

 キョーヤくん、なんて呼ばれたのが何だか生意気に感じて、座布団に落ち着いていたところを文字通り担ぎ上げて空き部屋のベッドに放り投げたのは記憶に新しい。

 すずめちゃんは「高い」「落ちる」「怖い怖い」しかことばを発しなかった。高く飛べそうな名前のくせに、高いところから落下するのは人並みに恐怖を感じるようだ。記憶はともかく、感覚は正常に機能している。

「ね、またあれやって」

 手を洗い終えたすずめちゃんが、廊下に追いついてきた。振り返った表情は明るくて、何かを待ち遠しくしている。

「あれって何だい」
「あの、ぼくのことベッドにぽいってするやつ。もっと低いとこから」

 身振り手振りされなくてもわかる。

「あんまり高くなかったら楽しいかも」
「やだ」
「えー」

 ――すずめちゃんの感覚は正常に機能している。常人のそれよりも多少歪んではいるが。