おまじない

生まれたての子猫ほど。そんな風に小さくて無力に見えても呪いは呪い。それがいくつか藍さんの部屋に集まるのを見て最初は驚いた。しかし当の本人は自覚があるのかないのか既に対策を講じていて。

お邪魔します、を控えめに投げかけても返事がないのは織り込み済みだった。どこか中空を眺めるようにぽうっとした表情で紡がれるのはうわごとめいた恨みごと。座布団にぺたりと座り込んだ藍さんが手にしているのは刺繍枠に挟まれた淡い空色の布だ。意識があるのかさえ怪しい様子とは裏腹に、少し離れていてはその挙動の仔細を知ることもできない針は正確に模様を形作っていた。

効果範囲も持続時間もあまりに限定的すぎるこれは術式ではなくて呪物のもの。お祖母さんから譲られたという裁縫箱で作業をしている間は弱い呪いを追い払ってしまえる、お守りによる結界のようでいてその実呪いにすら立ちはだかるほど藍さんを想う人間の執念。

ここまで愛されているのは、幸せなことなのだろう。けれど比較対象としては脅威に違いなかった。

百年続く呪いと同等の恋慕。僕はどれほど藍さんを好きなのだろうか。

「……順平くん?」

もの思いに耽っている間に、白い手は落ち着いていた。テーブルにはこれからの季節らしく爽やかな青色をした魚――の刺繍をされたハンカチが畳んで安置されている。瞬く目も、開け放たれたカーテンから差し込む朝日も穏やかで、ありふれた春の一幕といった温度を纏った。

「藍さん、また落ちてたんだね」
「気がつかなくてごめん」
「気にしないで。でも鍵は閉めておかなくちゃ」

偉そうに説教をしておきながら心中はざわめいている。笑って頷くのを目の前にしても安心はできなかった。確かに藍さんのことを好きだ。もっと強くなって何からも守りたい。ずっとそばにいたい。永遠があるなら笑顔を向け続けていてほしい。ただ、それだけだ。

僕は僕の熱量を測れない。

「そうだ、順平くん。これ」

ふと差し出されたものを、反射的に座り込んで受け取る。綺麗にアイロンのかけられたハンカチ、その上では魚が元気よく跳ねて。手際よく裁縫箱を片づける藍さんを連想させる快活さ、それを僕が受け取ったことに多少の違和感を覚えた。

「ありがとう! すごく可愛いよ……でも、もらっていいの?」
「うん、ぜひもらってほしいな。お守り……って言うとおこがましいかもだけど」

ついさっき思っていた単語を言い当てられたのかと一瞬息を呑む。もちろんそんなことはなく、藍さんは照れて明後日の方向を向いてしまった。その視線の先には低く稼働音を唸らせる食器乾燥機が鎮座している。

「ほら、わたしが呪術を使うってなるとこういうことに限られちゃうでしょ。それでも、順平くんを守れるのはどんなやり方かなって考えたら、これかなって」

――胸の奥底で、本を棚にしまった瞬間じみた軽い音がした。腑に落ちたというのはこういうことだというお手本のような、文字通り落ちた音。
喉に滞っていたわだかまりを飲み込むことすらできなかった僕の背を藍さんが優しく叩いてくれたのだと、遅れて気づく。

「嬉しい。大切に使うね」
「よかったぁ! うん、お供にしてね」

手の届くところで藍さんは笑った。僕も、気づけば肩の力を抜いて笑っている。

何と比べることなどなかった。抱きしめられるほど近くに、大切な人がいる。この距離に僕がいる。同じものを見ている。過去から焼けついて痕を残す激しい想いとは対極のものを僕は持っていた。

子どものおまじないと変わらない。ただ純粋に幸福を願って互いを見据える時間を。

ランダム単語ガチャ No.1504「おまじない」